出土した平安時代の大鎧の遺物はわずかしかない

940年ころにつくられたとされる大山祇神社所蔵の『延喜の鎧』が現存する最古の大鎧であり、『延喜の鎧』の小札は全て革で、実は大鎧は軽い革鎧にすることを目的としてつくられたと
今回はその出土した平安時代の大鎧の遺物を1つ1つ紹介していきたいと思います。
国宝および重文(重要文化財)などはざっとあげて20点に満たない数しかありません。リストから漏れているようでしたらぜひ情報をご提供いただけるとありがたいです。
福島県 都々古別神社 緋絲縅大鎧 重文 平安時代
東京都 御嶽神社 赤絲縅大鎧  国宝 平安時代
東京都 東京国立博物館 十枚張星兜鉢  重文 平安時代
東京都 東京国立博物館 赤絲縅鎧  重文 平安時代
栃木県 唐沢山神社 大鎧  重文 平安時代
山梨県 菅田天神社 小桜黄返縅大鎧 国宝 平安時代
愛知県 猿投神社 樫鳥縅大鎧 重文 平安時代
長野県 清水寺 雲龍文金銀象嵌鉄鍬形 重文 平安時代
京都府 高津古文化館 一枚張筋伏星兜鉢  重文 平安時代
三重県 八代神社 獅噛文金象嵌鉄鍬形台 重文 平安時代
滋賀県 木下美術館 雲龍文銅象嵌金銀鍍金鉄鍬形  重文 平安時代
滋賀県 木下美術館 脇楯の壷板  重文 平安時代
広島県 厳島神社 小桜縅大鎧  国宝 平安時代
広島県 厳島神社 黒絲縅大鎧  国宝 平安時代
島根県 甘南備寺 黄櫨包縅大鎧  重文 平安時代
愛媛県 大山祇神社 逆沢瀉縅大鎧 国宝 平安時代
愛媛県 大山祇神社 紺絲縅大鎧  国宝 平安時代
平安時代初期から平安時代中期にかけての鎧について
まず940年ころにつくられたとされる現存する最古の大鎧『延喜の鎧』(大山祇神社所蔵)について。愛知県大山祇神社所蔵の国宝沢潟縅鎧残欠は越智押領使好方(藤原好方)奉納と伝わる鎧です。延喜年間(901~923年)につくられたと伝えられてきたことから『延喜の鎧』と称されていますが、実際には天慶のころ(940年前後)につくられたとされています。
胸板、障子板、脇楯壺板、大袖冠板などの金具廻は欠失しており、弦走韋、肩上、蝙蝠付などの韋部分も欠失しています。また、化粧板、八双鋲、栴檀板、鳩尾板などもありません。
日本に現存する最古の大鎧の小札は、全てが革の小札(三目札)。三行孔(あな)の革札(かわざね)を3枚重ねに揺組に緘(てが)みます。小札の高さ6.3cm、幅は2.9cm、厚さ9~10mmです。
正倉院の挂甲残欠の縅毛の組絲と縅手法(縦取縅)と最も近似しており、そもそも縦取縅挂甲の縅し手法であることからも古式のものと分かります。
特徴は、札頭の両角を無雑作に切り取った素朴な小札であることと、下鍼(したがらみ)は揺ぎで塗固めていないことです。
 
つづいて、伝聖徳太子玩具鎧(法隆寺旧蔵)について。
沢潟縅鎧雛形は高さ14cmほどですが、実物大と同じ作域であるので古式の鎧の形式を知る上で欠かせない資料となっています。愛知県大山祇神社所蔵国宝沢潟縅鎧残欠(『延喜の鎧』)と並び大鎧の祖型として最古の遺物となります。
革札を刻んで重ねたように見せた切付板(きりつけのいた)に縦取縅で縅してあります。縦取縅挂甲に行う縅し手法であり、大鎧や胴丸には見られない手法であることから平安初期の古式のものであることが分かります。
縅毛は四ツ打で、緋色地に白・萌葱・紅・紺・紅・萌葱・白の逆沢潟に縅してあります。
絵韋については別で詳細を記しますが、鹿鞣韋に団華文(または矢車七曜紋藻に七曜蛮絵紋などとも)です。六花繋ぎに矢筈の丸が連接し、三匹蝶が埋められている紋です。
 
3つめは、平安時代中期の大鎧です。
愛知県猿投神社所蔵、重文樫鳥絲縅鎧は、後三年の役源義家から伴次郎が賜った源氏重代八領の鎧のうちの「薄金」であると伝来および寄進状にある鎧です。
鉄革交ぜ」の三目札(敷目札)を啄木打の絲(樫鳥の羽色に打った六組絲)で縄目縅にしています。初期鎧の形式のように縅毛の幅が狭い(毛幅8mm)ことが分かります。弦走韋の下の縅が縦取縅である点はすこぶる古式であることが分かります。
脇楯は三目札(敷目平札)の革小札を藍韋で縅しています。大袖は三目札(敷目平札)の革小札を黄返紅・黄小桜韋を2間ずつ交互に縅しています。大袖と脇楯はほぼ同年代の別物とされています。
鳩尾板は2段蝶番付で屈曲し幅広長大。栴檀板4段(現在は3段に補修されている)という特色が見られ、これも他に例はありません。
小札は全体的に革札で、厚さ1.5cmほど。一部鉄革交ぜ(鉄札1枚に革札2枚交ぜ)になっています。胴背面・草摺上段まで鉄交ぜがされているのは異例です。
全長73cm。草摺が通常どおり5段ではありますがやや長いことから『御著長の鎧』と称されています。
左側草摺の蝙蝠付に接する小札頭に水引を敷いた化粧板を配して菊座の八双鋲で留めているのも特徴です。
逆板や菱縫板における菱縫が赤韋で行われており、透漆(すきうるし)がかけてあるのも初期的手法です。
絵韋については別で詳細を記しますが、藤襷霰地に三連の蝶円文(あるいは菱襷に蝶丸藤花襷霰地に中央菊花に三ツ蝶などとも)です。矢絣状の襷のなかに菊花を置き周りを三匹の蝶で囲み霰地としてあります。
 
以上平安時代初期から平安時代中期にかけての鎧についてです。
次回は平安時代後期の鎧について。