津波(河川遡上)

津波で鎌倉も大船ものみこまれる。

と、思っているのは私だけなのだろうか。
最近、鎌倉市内の津波ハザードマップ、洪水ハザードマップ、土砂災害ハザードマップなどを見ていて、
プロがつくっているのだから、正しいデータに基づいてつくられているのだろうけど、どうも信じられない。

鎌倉市にはなぜ河川遡上を踏まえたハザードマップがないのだろうか。

滑川をはじめ鎌倉にはいくつもの河川がある。河口から河川に侵入した津波が、1mの津波でも5kmは遡上するといわれている。
河川を遡上する津波は伝播速度が速くなり遡上距離も長くなる。2011年東北地方太平洋沖地震で宮城県(北上川)で河口から49km離れた町まで津波が到達し大規模洪水を起こし、旧北上川では津波を避けて避難していた小学生たちを遡上した津波がのみこむ悲惨なできごとも起きている。
利根川40km、多摩川13km、荒川28kmなど関東の深部まで到達していることから海に面していない埼玉県でも津波被害に対応する防災計画がはじめられている。

埼玉県がやっていて、なぜ海に面している鎌倉市が対策をしていないのだろうか?

画像は、何年か前に私がエクセルでつくった縄文時代の鎌倉の入江。
大昔の話ではあるが、鎌倉はかつては鎌倉湾が荏柄付近まで、佐助も笹目も長谷も鎌倉湾の入江として深く浸水していた。
粟船入江は10kmを超える入江で平戸(現在の東戸塚)までつづき、粟船(現在の大船)は笠間や田立など島をなし完全に浸水していた。

粟船入江は現在の柏尾川。かつて入江だったこれらはいまでも河川として残っている。つまり、津波が起これば遡上して大きな被害を出す可能性がある。
私が住む深沢の地には、柏尾川から新川、手広川、笛田川、大塚川と、かつて入江が深く入り浸水していたところに河川がある。が、深沢の住民で津波による被害があると感じてる人はいないかもしれない。

津波が起こったときには、海岸から離れればいいわけではない。河川からも離れなければのみこまれる可能性がある。
鵠沼、由比ガ浜は完全にのまれ、藤沢から鎌倉まで江ノ電はあっという間に流され、河川遡上がはじまると鎌倉駅も大船駅も大規模な洪水被害にあうかもしれない。
日本での津波の最大波高は38.2mだが、波高がわずか2mでも柏尾川の河川遡上は大船駅を超え、波高3mで戸塚駅を超えて柏尾へ到達する。
明応7年(1498年)9月20日の明応地震で鎌倉大仏の殿舎が流されたのもこの地図からは当然のように思われる。近年まで戸塚区の上倉田村と下倉田村は河川の氾濫がもとでたえず争いが起こっていたことも考えればこの問題は鎌倉市内だけにとどまらず横浜市だって危険。
それが鎌倉市の津波ハザードマップにも洪水ハザードマップにも全く触れられていない。いまのハザードマップ、本当に正しいのだろうか。

ちなみに、2012年に神奈川県が掲載した「明応型地震による津波浸水予測図」では、やはり鎌倉駅周辺や鎌倉大仏まで、逗子や片瀬や鵠沼も完全に津波にのみこまれている。ただし、この予測図でさえ、河川遡上のことには全く触れていない。

鎌倉市、これでいいのか?

 

鎌倉で本当に怖いのは津波じゃない-武士ならではの視点で防災をとらえる『鎌倉智士防災マップ』(1)

 

9月1日の防災の日消防団員として地域の防災訓練に出動し、日本赤十字社奉仕団で培った経験をもとに救急法ブースで消防署員のフォローを行いつつ、年々減りつづける地域防災訓練の参加者と、ないよりはマシだけど本当にこれでいいのだろうか…という、何とも言えない虚無感にかられる日となりました。

 

長年あたためてきてしまった武士ならではの視点で防災をとらえる『鎌倉智士防災マップ』

 

まず第一回はお馴染み。古代の地図です。

これは、およそ130数年前の明治時代迅速測図をもとに鎌倉智士がつくった古代の予測地形図です。

 

特徴は、藤沢湾鎌倉湾が大きく陸に入りこみ、大庭入江藤沢入江植木入江岡本入江粟船入江津入江田辺入江極楽寺入江長谷入江笹目入江佐介入江久野谷入江といったいくつもの入江が存在していました。入江はともいいます。海岸部にはがつく地名はいくつも名残として残っています。

 

そして、入江は岡津平戸といったあたりまで深く入りこみ、かつてはかなり深いところまでが入っていたといわれています。

 

鎌倉郡の古代の予測地形図で考えていただきたいのは、津波よりも怖い河川遡上についてです。本来であれば津波河川遡上も同意義ではありますが、海岸から離れれば安心という思い込みを払拭すべく別の危険性であると考えていただきたいです。

 

河川遡上は、津波が陸地に来襲するときに、河口から入り河川や運河・水路に沿って遡上(そじょう)、つまり、さかのぼって内陸深くまで進むことをいいます。

河川を遡上する津波の伝播速度は非常に速く、海岸から津波が来ると思い込んでいると、津波が先回りして内陸部に侵入し、後ろから津波に不意を突かれるという危険な状況も起こり得るのです。

 

東日本大震災では、津波による河川遡上は堤防堤頂面を2mも超える津波が河口から50kmも遡上し、内陸部にいたこどもたちをのみ込むという痛ましい被害をもたらしています。

そもそも、河川構造の設計や防災対策は、洪水など流水が上流から下流方向に作用する場合を考慮して設計しているため、通常の川の流れと逆方向となる河川遡上は想定されていません。

 

一般に津波は海岸から内陸に押し寄せると思い込みがちですが、海岸と逆方向の後ろから津波が襲ってくることを想定すると、「少しでも速く高く遠くへ避難」の「遠くへ」の部分は必ずしも正しくないのです。

 

海岸だけでなく河川からいかに遠くへ避難するかが重要です。

 

さて、鎌倉を見てみましょう。

例として、建長寺にいると考えてみましょう。大地震が起こって津波が発生した場合、まず由比ガ浜から津波が襲ってくるから、海岸からだいぶ離れた建長寺にいれば安心かもしれないと思いこみがちです。鶴岡八幡宮の西の御谷にも津波が流れこみ、トンネルを越えてしまえば建長寺の方へも津波が流れこむかもしれません。

と、そんなことを考えながら様子を見ていると、あれよあれよと後ろ(大船)から河川遡上にのみ込まれてしまうというわけです。

現在の柏尾川を遡上した津波は小袋谷川をも遡って建長寺まで達するのです。

 

柏尾川の河口から4.6kmで藤沢駅に到達、河口から8.9kmで大船駅に到達、河口から14.3kmで戸塚駅に到達、河口から18.6kmで東戸塚駅に到達、河口から10.4kmで北鎌倉駅に到達、河口から11.5kmで建長寺に到達、河口から11.8kmで本郷台駅まで到達します。

滑川の河口から1.4kmで鎌倉駅に到達します。

東日本大震災で50km河川遡上した規模の津波がきたとき、東戸塚駅にいても非常に危険だということが分かります。

 

鎌倉で本当に怖いのは津波じゃない-武士ならではの視点で防災をとらえる『鎌倉智士防災マップ』(2)

 

第2回は、先人たちが残してくれた地名からみる災害の危険性についてです。

 

一般的に、地名は次の4つの分類ができます。

①地形や植生、地質など自然にちなむもの

②何かがあったことにちなむもの

③誰が住んでいたかにちなむもの

④街の誕生や町域町名の変更や合併などでつくられた新しいもの

 

鎌倉において、①の地形や地質など自然にちなむ地名で、災害の危険性を後世に伝え残す地名(字)はたくさんあります。

 

では、そもそもどんな地名にこめられているのでしょうか。

①部首に「(さんずい)」をもつ漢字…池・沢・落・波・津・洲・浜・江

②水辺の動植物を表す漢字…荻・蒲・菅・蓮・鶴・蛇

③川の合流点を表す漢字…

④埋め立て地…

⑤水がたまる地質…久保・窪・袋

⑥低湿地…沼・谷・窪・沢・下・溝

といった漢字が含まれる地名には「先人たちからの防災メッセージ」がこめられています。

 

では、鎌倉を見てみましょう。

いっぱいありますね。いえ、ありすぎて、鎌倉がどれだけ危険な場所かがよく分かります。

 

鎌倉郷・小林郷・大蔵郷・荏草郷・二階堂郷

鎌倉・新居・亀谷・扇谷・会下・梅谷・和谷・雪下・御谷・南谷・亀淵・紅葉谷・理智光寺谷・浄妙寺・泉水・鑪谷など

 

由比郷・甘縄郷・深沢郷・長谷郷・星月郷・埼立郷・津郷・方瀬郷

深沢大谷・深沢小谷・桑谷・馬場谷・下手久保・姥谷・矢沢・小動崎・室谷・丹後谷・川間・大井久保・蟹田谷・御岳谷・諏訪谷・初沢・猫池・津・江島・方瀬など

 

手広郷・洲崎郷・小松郷・梶原郷

川名・中川名・向川名・西谷・向谷・池谷・大久保・馬場谷・常松下・薮下・谷戸・洲崎など

 

小坂郷・山崎郷・巨福呂郷

清水塚・町谷・瓜谷・巨福呂谷(小袋谷)など

 

山内郷・梅沢郷・岩瀬郷・粟船郷

瀧久保・西谷・宿谷・小菅谷・鍛冶谷・東谷・中谷・大橋谷・梅沢・中島・長倉・長者久保・矢沢・入谷・小泉谷戸・今泉・福泉・芋谷・粟船など

 

藤沢郷・尺度郷・土甘郷・鵠沼郷・大庭郷(高座郡)

唐池・牛沢・大谷・柄澤・渡内・山谷・大清水・唐沢・東谷・河原・大澤・藤谷・鵠沼・菱沼・綱久保・濱竹・四谷・小谷など

 

俣野郷・和泉郷・飯田郷・和田郷・世野郷

窪河内・戸久保・北窪・深谷・瀬戸谷・汲澤・四谷・和泉谷戸・並木谷戸・山谷・宮澤・棟窪・相澤・下和田山谷・四谷・宮久保・坊窪・嶋津など

 

村岡郷・玉縄郷・岡本郷・長尾郷・金井郷

石原谷・関谷・高谷・八嶋・川袋・河内・峰下・植谷戸・仲之谷・田谷・白土谷・長久保など

 

長沼郷・倉田郷・富塚郷・前岡郷

長沼・殿谷・南谷・廣谷・長谷・飯嶋・久保・打越谷・池谷・南谷・脇谷・谷・宮谷・矢澤・谷矢部・鳥谷・水穴など

 

樫尾郷・秋庭郷・品濃郷・岡津郷・大島郷・永谷郷・野庭郷

谷宿・山谷・平戸・名瀬・羽澤・岡津・狢谷・春谷戸・池坂・稲荷谷・神明谷・芹谷・渡戸・永谷・鍋谷・島越・西洗・三谷など

 

小坪郷・久野谷郷・豆師郷・池子郷・沼浜郷・端山郷

飯嶋・大崎・久野谷・池出・仲谷・池子・馬渡・沼浜・沼間・番合・岩瀬・岩谷・鶴鼻・芳久保・長江(長柄)・木下・森戸・眞名瀬など

 

金沢郷・釜利谷郷・六浦郷

金澤・泥亀・谷津・釜利谷・北谷・野島・水室・瀬戸・洲崎・六浦・高谷・大沢など

 

字(小字や小名)などはすでに失われているものも多く、住んでいる人でさえかつて呼ばれていた字を知らない人ばかりかもしれません。

自分の住んでいる土地がかつてどんな字がついていたのかを知ると、先人からの防災メッセージをキャッチできるかもしれませんね。

 

鎌倉で本当に怖いのは津波じゃない-武士ならではの視点で防災をとらえる『鎌倉智士防災マップ』(3)

 

地震にあったら、津波がくると分かったら、とにかく駅から離れなさい!!

 

河川遡上津波と同意義なので語弊はありますが、あえて、危険なのは津波ではなく河川遡上だ、海岸だけでなく河川からいかに遠くへ避難するかが重要だ、と第1回に記しました。

 

東日本大震災50km河川遡上した規模の津波がきたとき、東戸塚駅をものみ込む危険性があります。東戸塚駅まで河口からわずか18.6kmだからです。

 

驚くことに、JR線の駅という駅はほとんど川に沿ってつくられているではありませんか。


柏尾川

河口から4.6kmで藤沢駅に到達、

河口から8.9kmで大船駅に到達、

河口から10.4kmで北鎌倉駅に到達、

河口から11.5kmで建長寺に到達、

河口から11.8kmで本郷台駅に到達、

河口から14.3kmで戸塚駅に到達、

河口から18.6kmで東戸塚駅まで到達します。

 

滑川

河口から1.4kmで鎌倉駅に到達します。

 

さて、まず小田急線を見てみましょう。

北へ善行駅を越えて行けば陸地ですが、藤沢駅から南下していくとほぼかつての藤沢湾、つまり海のなかを走っています

江ノ電藤沢駅から江島駅までも見てみましょう。ほぼ同じで、やはり海のなかを走っています

 

つづいて、江ノ電江島駅から鎌倉駅までを見てみましょう。

やはり同じように海のなかを走っています

 

最後に、いつも空を飛んでいる湘南モノレールを見てみましょう。

高いところを走っているイメージがありますが、駅の多くはやはりかつての海のなかです。河川遡上がはじまると湘南モノレールの駅ものみ込まれていくのが分かります。

 

津波が来たら、 少しでも速く高く遠くへ避難。ただし、海岸だけでなく、河川や駅からいかに遠くへ避難するかが重要です

 

鎌倉で本当に怖いのは津波じゃない-武士ならではの視点で防災をとらえる『鎌倉智士防災マップ』(4)

前回までの3回の話は、私たちが暮らしている鎌倉の土地はかつては海のなかで、危険性を伝え残す地名もたくさん残っていて(先人からの防災メッセージ)、結論は、津波が来たら、 少しでも速く高く遠くへ避難。ただし、海岸だけでなく、河川や駅からいかに遠くへ避難するかが重要だ、というお話しでした。

 

さて、ではどこへ避難すればいいのか、という話です。

 

鎌倉市のハザードマップを見てみると、腰越から材木座の海岸部分しかありません。つまり、河川遡上のことは一切想定されていません。でも、仕方ないです。この記事を見ていただいて、鎌倉市のハザードマップが不十分かな?と思った方もそうでない方も、津波てんでんこ、命てんでんこなので、とにかく他の人のことは考えず、1人で避難してください。自分の命は自分で守るしかありません。

 

皆さんならどんなところへ避難しますか?

 

鎌倉市のハザードマップを見てみると、避難所(ミニ防災拠点)も津波来襲時緊急避難空地も、津波避難ビルも、低地ばかりにあって、しかも避難経路が谷を指しています。津波は一気に谷を埋め尽くしていきますから、個人的な感想として忌憚なく言わせていただくとハザードマップとは思えません。

 

海岸や河川や駅から離れて、高いところへ避難する上で、すぐ思いつくのはやっぱり高台や山ですよね。

 

高台や山が遠すぎてとても逃げ切れないと判断したときの津波避難ビルはかすかな救いだと思いますが、そもそもどこが津波避難ビルなのか日常そこに暮らしている人でさえ知りません。パニックになっているときにどこもかしこも施錠されていて入れないビルばかりだったらもう一巻の終わりです。入れたとしても、ビルの周りが津波で囲まれたらもうそのビルから避難することはできません。ビルが耐えてくれることを祈るばかりです。

 

土砂災害のことを考えれば、山が避難場所として絶対的に優れているとは言えませんが、少なくとも利点はいくつもあります。

 

私がつくった古代の地形予測図(鎌倉智士防災マップ)を見ると、大きく2つのことに気づきます。

 

1つは、かつては島だった一部の小さな山をのぞけば、山は基本的にすべてがつながっています。残念ながことに、住宅開発で崩されてしまって山じたいがなくなってしまっていたり、私有地になっていたり塀ができたりで山に入ることができなくなっていたり、途中で分断されてしまっていたりと、現在ではすべての山がつながってはいません。ただし、1つだけ言えることは津波避難ビルと違ってある程度山のなかをより安全な場所へと移動することが可能なのです。

 

もう1つは、ほとんどの寺院は谷のなか、つまり低地に建てられていますが、ほとんどの神社が高台に建てられています関東大震災で倒壊してしまった神社もたくさんありますので、神社じたいが安全とは限りませんが、関東大震災で山じたいが崩れてなくなってしまったという記録は見たことがありません。古くから残っている神社はそれだけ長い年月、何度も震災をくぐりぬけてきた歴史をもっているのです。そう考えればやっぱり最後は神頼みです。

 

海岸や河川や駅から離れて、高いところへ避難する上で、近くにいる神さま(神社)を頼るのも1つの選択です。