三十年前の姫路城茶会の想い出(前編) | 茶の湯放浪記

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田舎に住む、普通のサラリーマン茶人のおろかな日々を綴っています。
ご一笑頂ければ幸いです。
筆者は坊主頭ですが毛髪の事情によるもので、寺とは関係ありません。

先週の土曜日の表千家 姫路城献茶式の協賛茶会に入らせてもろて、めっちゃ楽しかったわ。

それと同時に、三十年前の姫路城茶会の事を思い出して、懐かしかったわ。



今回の茶券


会場の一つである「好古園」には、九つの日本庭園があり(その内一つは「苗の庭」。それって畑やろ^ ^)二つの茶室と四つの四阿(あずまや)があるねん。

その二つの茶室で釜が掛けられたんや。

それが、上の茶券の1、2、3。

拝服席と言うのは、姫路城の「菱の門」(大手門)(水堀に掛けられた橋の向こうの城門では無く、もっと内部の城廓の門。)の隣りの迎賓館のテーブル席の点て出しの事で、上の茶券の4。

普段やったら、大手門の隣で登閣券を買わな「お城」には入られへんねんけど、それが上の茶券の6,。

ほんで、天守閣一階で行われるお家元の献茶式の参列券(ただし先着百名まで)が茶券の5や。


「先着百名までやったら多分、献茶式には入られへんやろなぁ。」と言うのが、献茶式に行かへんかったけど、先日は書かへんかった、もう一つの理由なんや。


それはともかく、この茶券。

こんだけ楽しめて三千円は安いで^ ^

(ここ、ポイント)

、、、、、、、、、、、、

三十年前のある日の稽古場で、弟子たちに師匠が言われたんや。

「姫路城でお茶飲みませんか❓」

天守閣でお茶が飲めると思うがな。

要するに騙されたんや^ ^

いや、私が師匠の話をよう聞いてへんかっただけかな❓

そんか感じで姫路の官休庵系の茶会の茶券を買わされたんや。

値段は覚えてへんけど。


当時私は京都で官休庵(武者小路千家)のお茶をO先生(現在のK宗匠)に習うてたんや。

「茶ぁ一杯飲むのに、京都から姫路まで行かなアカンのか❓往復で交通費ナンボかかんねん❓高い茶ぁやなぁ💢」

当時の心境は、そんな感じ。

「失礼のないように、スーツ着て行ってください。」

当時の私は30歳の独身サラリーマンで、お金も無くて、紋付の着物なんて持ってなかったんや。

せやから茶会の時は、いつも師匠から貰った無地の紺色か灰色の着物を着てたなあ。

大寄せの茶会に行く時は、公共の交通機関でスーツで行ってたわ。

、、、、、、、、、

そのツアーの参加者は、私と、私のダチで25歳位の男性T君と、たしか22歳の美人女子大生(同志社女子大学)Mさん、と謎のカップル一組。


その謎のカップルと言うのは、ポルトガル人の短期留学生「ジュタロー」と、その彼女。

ジュタローは、お父さんが日本人か親日家で、名前の由来は、明治時代の外交官、小村寿太郎やねん。(日露戦争後にロシアとポーツマス講和条約を結んだ時の日本全権代表や。)

彼は数週間前から、お茶を習いに来てたんやけど、日本語と正座が出来へんねん^ ^

それで、彼と私とは一度もしゃべった事がなかったわ。


そんな彼が本国に帰る日が近づいて、「彼に姫路城を見せてやってくれ。」って事らしいわ。

ほんで、いつ作ったんか知らんが日本人の彼女を連れて来よった💢

その二人が、残された時間が惜しいのか、京都駅に集合した時から、ずっとベッタリくっついて、イチャイチャしてんねん。


当時の私は、彼女なんかいた時期がほとんどなかったから、そんなん見せつけられて、イライラして「帰れ‼️」て言いそうになったわ。


(続く)