姫路のお茶会を終えて軽トラで二時間、高速道路を飛ばして丹波篠山に行ってん。
6月1日と2日は丹波篠山市の味島奥で行われる「丹波茶まつり」のお茶会があって、私は薄茶席のスタッフの一人やねん。
せやのに勝手を言うて、姫路のお茶会に行かせてもろたんや。
「半日くらい居らんでもエエんと違うん❓」て思うかもやけど、篠山のお茶席は私の師匠が、陶芸家で茶人のアメリカ人のピーターハーモンさんらと始めた、丹波篠山でお茶をやってる男達の会である「篠山茶遊会」の主催で、要するに人材不足なんや。
元々、男性茶人は少ない上に高齢化が進んでなあ^ ^
せやから私が行くまで、薄茶席を師匠を含む三人で回してたんや。
しかも師匠は弟子の育成と遠慮で、点て出しとか水屋の担当なんで、同輩のM氏とK君のどっちかが点前をして、どっちかが半東 兼 お運びと言う無限地獄。
何で無限地獄かと言うと薄茶席は、ほとんどが濃茶席の後で10名くらい来はるから、お点前さんは四客まで点てて、半東は6人分を一人で運びながら、お道具の説明をするんや。
つまり、怒涛の「スクワット&スピーチ」(別に英語で言わんでエエねんけど)で、それが延々と続くんや。
せやから遠路はるばる到着した瞬間から私は、一服する間も無く「お運び2号」になってん。
せやけど、そのお蔭でブログ読者の「りさこさん」にも逢えて、間に合って良かったわ。
濃茶席も予約してくれたんやね、ありがとう。
楽しんでもらえたみたいで、良かったわ^ ^
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二日目は、K君が都合で来れへんから、最初から4人点てか、「怒涛のスクワット&スピーチ」の連続。
しかも、私は朝8時から町内の一本桜の草刈りに参加せなアカンかってん。
私は町内会役員で、この活動の主催者の一人やからなあ。
これが、やる前。
原型が判らへんやろ❓
やった後。
私も1時間近く重たい刈り払い機(チップソー)を振り回したんやけど、ボランティア40数名も頑張ってくれたお陰で綺麗になったわ。
つまり、何が言いたいかと言うと、行った時点で、私はかなり疲れててん^ ^
しかし偶然、M氏が昼メシに行ってるタイミングに、薄茶席に但馬の養父市から一人で来てくれはったブログ読者の女性と「一客一亭」が出来て、楽しかったわあ。
あんなアホな話ばっかり、大勢のお客さんがおったら出来へんやん。(充分やってるかも❓)
来年は是非予約して、濃茶席も入ってな。
絶対楽しいから^ ^
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薄茶席の床の間は、こんなん。
篠山藩出身の大徳寺 明堂和尚の竹の絵に、
このお軸の持ち主やった千藤公の和歌で
「節ごとに 千代に越したる 呉竹の
栄ゆく色は 君ぞ見るべき」
て書いてあるねん。
花入は有馬籠。
花は上から、九蓋草(くがいそう)、露草、仙台萩、七段花(ひちだんか)、有馬の馬の鈴草(牧野富太郎博士が命名)。
薄茶席の点前座
風炉と水指。
水指は、萩焼の坂田泥華さんの作品で、編笠型やて。
釜は与兵衛作。
風炉は唐銅面取前欠。
薄茶器は、竹製で蓋の上に黒漆で明堂和尚が梅って書いてはるねん。
これに松の茶杓を合わせたら
松竹梅の完成や^ ^
主茶碗
茶杓は、山崎の待庵(利休が作った)がある妙喜庵の「太閤袖擦りの松」の古材で、銘は老松。
茶筅は黒竹。
表千家はホンマは煤竹の茶筅を使うんが正式なんやけど、師匠は黒竹に変えはってん。
煤竹の茶筅は、今では貴重品で高い上に入手困難になってしもたんや。
茶だまりの巴と口縁の近くの白い雪崩れがエエやろ❓
ほんで高台が枡形で四角いねん。
縁起もエエし、座布団に座ってるみたいで可愛いやん^ ^
菓子は薯蕷饅頭で、銘は「濡れつばめ」
「つばめの後ろの線は、空気の流れを表現しています。」
「音速で飛んでるんですか❓」
「マッハか⁉️^ ^」
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濃茶席の床の間
板床に花と花入
風炉と釜
濃茶席の主菓子。
きんとんで、銘は「龍の珠」
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しんどかったけど、とても楽しい二日間やったわ。
お世話になった皆さん、お茶飲みに来てくれた皆さん、ありがとうございました‼️
では、また。