昨日の師匠宅の茶稽古(裏こう釜の炭点前とお茶湯=供茶) | 茶の湯放浪記

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筆者は坊主頭ですが毛髪の事情によるもので、寺とは関係ありません。

ああ、裏こう釜の「こう」の字が出えへん。


こんな釜や。


うらごうがま、とも言うし、裏甲釜って書いたりもするねん。

五徳を使わずに、炉壇に羽と言うかヒレみないなのを透木(すきぎ)を挟んで載せるんや。

表千家では3月に、この手の「透木釜」を使い、4月に吊釜を使うのが習い。

裏千家は逆らしいで。

なんでやろなぁ^ ^


3月は暖かくなって来たので、逆に炉の火を見せない為に透木釜を使い、4月は花見の趣向で旅箪笥と吊釜を使うんや、と昔、官休庵の宗匠に聞いたわ。(官休庵は、どっちかと言うと表千家に近いんや。)


しかし実際のところ、3月はまだ寒いし、火を見せへんだけやったら透木釜は4月にすべきやけど、花見の趣向の吊釜・旅箪笥も3月には未だ早いしなあ。


透木釜の炭点前は、通常の点前と何が違うかと言うと、透木を扱うのと、釜が羽(またはヒレ)の分だけ大きいこと。


せやから所作の間に、「透木を炉壇から取り上げる」「透木を炉壇に載せる」が入るな。

また、透木の上に羽(またはヒレ)が上手く載らなかった時の直し方、なんてテクニックもあるんや^ ^


また、釜が大きくて炭を注ぐのに邪魔やから、棚が小棚でも、大棚の時みたいに釜を勝手付まで移動させるのも特徴やな。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

毎年、3月の最後の週は利休忌にちなんで「お茶湯(おちゃとう)をするねん。

供茶(くちゃ)とも言うなあ。

ウチの師匠は供茶派や。

どっちも同じやけど^ ^


床の間には利休居士の肖像画や遺偈(ゆいげ)や利休百首の「茶の湯とは、、、」を掛けて、花台を置いて菜の花を生けるなあ。


棚の天板の上に天目台に載せた天目茶碗を飾るなあ。


ほんで、薄茶点前をするんやけど、茶筅を使わへんねんなぁ^ ^


さあ、ここからが問題や。

出された薄茶を正客が床の間まで持って行って、花入を少し左に動かして、天目台に載せた茶碗を台ごと利休居士の肖像画に向けて花台に置こうとした時、師匠が

「あ、茶碗の正面は、こっち(客側)に向けて下さい。回さないで下さい。」


テキストでは、台を回して正面を利休居士(または仏像とか位牌とかお軸)、に向けるようになっとるし、師匠もそれは分かってるんやけど、ある時、あるお寺の住職に「お供え物は、こっちに向けて下さい」とキッパリ言われ、その理由も説明されて得心して以来、そうしてるんやそうな。


その理由とやらを師匠は詳しくは教えてくださらなんだけど、一言

「花は、こっち向いてるでしょう^ ^」

今、生きてる者に向けるべき、って事かなあ。


そう言えば、私は町内会の役員になってから、色んな神事に参加してるけど、玉串こそ神様に向けるものの、その他のお供え物は、こっちから見て見栄えがエエようにしてるもんなあ。

特に日本酒の一升瓶は、奉納した人の名前や酒の銘柄が参拝者に見えへんかったら、奉納した人に失礼やし、奉納した意味がないくらいや^ ^


ま、茶の湯の常識と、仏事・神事の常識と、日本文化全体の常識には、少しずつ違ってる事もあるし、お茶の流儀や宗教の宗派によっても、個人によっても違うんやろなぁ。

せやから私は、家元や流儀のテキストが絶対に正しいとも思わへんし、それを押し付ける人も嫌いや。

(そんな人は、ウチの社中にはおらへんけど)

まあ、そんな人には逆らわへんけどな^ ^


いやー、茶の湯って、日本文化について色々考えさせられるなあ。

では、また。