入り口の「どぜう」と書かれた暖簾と赤提灯が江戸情緒と風格を煽りたてる泥鰌(どじょう)料理の長い歴史を持つ老舗店。

桝酒と泥鰌さき鍋を一枚注文すると、すぐに桝酒に盛り塩が届く。
初めにひとくち舐めるように楽しみ次は桝の角に塩を置き舐めてからもうひとくち呑む 。
体に良くないとされることだが、これがまた旨いッ…

下焚きされた「泥鰌」が鉄鍋に敷き詰められて登場。
刻み葱をたっぷりのせ炭火の上で小まめに割り下を差しながら煮込み、味噌と醤油が絡んだ煮汁が炭火に溢れて芳ばしい香りが漂い出したらちょうど食べ頃。
 味は甘じょっぱく、そん所そこいらの泥鰌鍋とは一線を隔した味付 。
それが食べ慣れない人すら虜にする 人気の秘訣だ。
 泥鰌を食べ進め、鍋が空いたら刻み葱を入れて、鍋汁を足し突くのだが 、この甘辛い味と葱のからい風味が入り混じりなんともおいしい肴になる。
さらに、鯰(なまず)鍋もいただいた。

200余年も変わらずに、江戸庶民の嗜好を現在に伝え続ける逸品。
浅草ならではの風情を感じながら、良い時間を友と過ごした。

駒形に友と囲みし「どぜう鍋」2023.12.2

僕は伊集院静の小説や「大人の流儀」も好んで読んだ。

彼は日本経済新聞などに、新成人・新社会人に贈るエッセー広告に寄稿していた。

1978年から15年間書き続けた山口瞳が急逝したことを受け、2000年からは伊集院静が今日まで23の熱きメッセージを掲載していた。

だれもが、一度は向き合わざるを得ない人生のテーマを考える上で、ヒントになる言葉が満載だった。
2021年の「孤独を学べ」などは印象深い…

さて、2024年の贈る言葉を提供する人は誰になるだろうか?



「若者はたった一人、マスターズの舞台を目指して、一人修練を続けた。敗れたコースで、皆が立ち去った後も、一人でパターを打ち続けた。星の灯(あか)りだけが、彼の口惜(くや)しさと歯ぎしりを、見つめ、聞いていた。ゴルフに神様がいたら、そんな彼の姿を神様は見ていたのかもしれない」松山英樹の米マスターズ初優勝に寄稿したメッセージも感慨深いものがあった。


2014年に文化塾で伊集院静を講師に招き、話を聞く機会があった。
文章が上手、話が上手は全く別の才能なのか?
心に響く内容ではなかった記憶がある。が、実に男の色気と艶のある男だった…

来たかッ!肥土伊知郎サン

北海道という地は蒸留所としての環境に適している。
先駆者「余市」に続き「厚岸」「ニセコ」などが既に稼働し始め、それに続く「苫小牧」、今日の北海道新聞に掲載された嬉しいニュースだ。

肥土サンはウイスキー界の憧れの師匠。  
彼に影響を受けて、ウイスキーが好きになった。
ウイスキー検定も挑戦した。培った多少の知識を偉ぶってお調子に乗り、講釈を垂れる。

28年にはお披露目となるであろう「樽前シングルグレーン?」が今から楽しみだ。

コレクションの厚岸シリーズと共に並べたい。



久しぶりの投稿だ…
相変わらず京都が好きで、コロナ禍の隙きをみて足繁く通っている。
海外観光客がいないので以前の混みいった印象はなく、寧ろ京都らしさを堪能できる。

12月の上旬に「ちり紅葉」をみに行った。

今回は桜を見に行った。
相変わらず親友の竹チャンと一緒だ。
幕末のロマンに思いを馳せて、風と水の音が耳をくすぐる穏やかな時間と空気が、当たり前に満ちる場所…
自然のままに咲き誇る姿も日々その美しさを愛でることも
当たり前の日常としてある場所
その当たり前を遠い土地から訪れた僕達にも気前よくお裾分けしてくれるのが京都なのだろう。
タクシーをチャーターし、ショートカットで丸一日、満開の京桜を一生分満喫した。
夜は初日は寿司
あまり期待はせずに暖簾を潜ったが、驚くほど旨い鮨に出くわしたッ
2日目の夜は割烹料理屋にお邪魔した。
流石に手のこんだ上質の料理に舌鼓を打ち、酒量も進んだ。
友人と美酒に酔う京都の夜…
歴史が息づく老舗の味に打つ舌鼓…
ここのところ忙しい毎日が続いていたので、リフレッシュ出来た。

時間を見つけ、次は五島列島か熊本🏯辺りを狙っている。


今年もまたやって来たッ…
凍てつく北の冬…


お酒をやめて約2ヶ月になることもあり、外食もとんと減った。
が、その冬の旬が旨いッ

「真だち串焼き」だッ
河豚の白子に勝るとも劣らない…
そろそろ河豚の「白子酒」が旨くなるッ
年が明けたらチョッとだけ解禁しようか…

忙しくて体調が優れない9~11月だったが多少は戻りつつある。


しかし最近の流通事情も深刻だッ
まぁ増税は仕方がないにしても…
経産省の支援策「消費税増税のポイント還元」は、どうしょうもない愚策だッ

ポイント還元はそもそも増税後の消費喚起が目的。
来年6月まで国に登録した店でキャッシュレス決済すると、中小企業店は購入額の5%が還元させれる。
還元分は政府が公金で賄う。

その基準が曖昧だから、大企業までがその恩恵を受けようと対象条件の網を潜ろうとする。

先日もロピ社が還元対象と聞いたので小田原の超競合激戦地区に足を運んだ。
そこには500mくらいのエリアにイト社・ヤオ社・ヤオマ社そして問題のロピ社…

が、情報不足で5%還元はやってなかった…
そもそもロピ社はクレジットが使えなかった…
しかしPayPayは導入していて、エリアは過熱しており4店舗をクリニック出来たことは収穫だった。

おかげで、久しぶりに伺った湘南のお店で旨い晩飯にもありつけた。

酒を飲まないので、小一時間だったが心和む時間を過ごせた…

翌朝も8時の開門時間に円覚寺のお参りも行けた…
何とか江戸川橋のマル社の開店時間に辿り着いたが、中規模の繁盛店でとても勉強になり刺激を受けた。
デカければいいってもんじゃない…

イメージを抱え北海道に戻ったが、すでに凍てつく雪におおわれていた。

増税以降、何とか業績は維持しているが増税を舐めちゃいかんッ
このままの状態で年末商戦をスルーできるわけがないッ

老体に鞭して頑張らねば…

年内は禁酒ッ

今日は会議のあと、好物の「うなぎ」を食べて老体に元気を…

さぁッ  明日も頑張ろうッ!


仕事を早目に終わらせ、久しぶりの湘南に向かった。
とはいっても僕のすみか?四ッ谷からは小一時間で辿り着く…

あれから数十年… https://ameblo.jp/yasuboss0202/entry-12210887031.html

湘南からの贈り物…https://ameblo.jp/yasuboss0202/entry-12217731195.html

3年前のこの時期に書き込んでいる。

早速、江の電で「皿の上」を目指した。
「由比ヶ浜」で下車し、お店に向かった。

あった あったッ3年前のままで…
ドアを開けると品の良い奥様が、白いブラウスとジーパンに黒いエプロンを腰に巻き現れた。
僕の顔を見て…
チョッとだけ記憶をまさぐり…
はッと覚醒し、思い出してくれた。
3年前に2~3時間あっただけの、沢山のお客さんの中の1人の客など忘れてしまっていても無理はない…

さっそくカウンターに腰をおろし調理場の奥を覗きこむと、奥様が御主人に声を掛けてくれたッ
「田中サンお元気でしたか?」と手を差し伸べ握手をかわす。
互いに送っていただいた「じゃが芋」と「しらす」のお礼を…
あたたかく迎えていただいた。

アルコールを控えていることを奥様に伝えると美味しい爽やかなフレッシュジュースを作ってくれた。

湘南でとれたお刺身をいただいた。
料理屋で修行された御主人の腕は確かだッ


天婦羅なども食べ、さらに「糸鯵のなめろう」をオーダーし、現れたのが…
旨いッ
日本酒があれば最高だろうに…ここはグッと我慢ッ
色々と話をさせていただいている最中、タイミングよく帯広から送っておいた「とっておきのメークイン」が届いた。
恐縮はしていたもののとても喜んでくれたッ

御主人がサプライズで、メークインを使ってポテトチップスを作ってくれたッ
実に旨いッ
大袈裟だが「人生最高のポテトチップス」だった。

楽しい時間もあっという間に過ぎた。
再訪を約束してお店を後にした。
次回は御主人と杯を交わしたい…

お店を遠く離れるまで見送ってくれた。
人ッてあったかい…   感謝

翌朝、早起きして古寺を2ヶ所ほど廻った。
円覚寺の紅葉を期待したがチョッと早かったようだ。
抹茶をいただいた少しだけ、時間が止まった…

10分ほど歩いた所に「明月院」…

明月院自慢の窓越しの景観も堪能…
帰り道には「ささりんどう」が咲いていた…
ここ湘南の冬は、まだ遠い…

いただいた御朱印を抱え「雪の北海道」へ帰る…
温度差は15℃…
北海道は既に冬の雪景色と化している…

体調不良的なブログで終わっていたので、多くのブロガーサンからメールを頂戴しました。
有り難うございました。

お陰さまでそこそこ元気にやっております。
ざっくりと半年を振り返ってみることにします。

2月→念願の恩師に再会出来ましたッ
自慢の通い寿司「鮨みなと」にご招待しました。
生涯の恩人なのに…
80歳を迎える直前だった。

嬉しかったッ
僕は病み上がりだったのでセーブしたが、先生は酒量も随分と進み楽しい時間を過ごしクラス会での再会を誓った。
 (あまりにも笑顔が素敵だったので、先生 顔見せごめんねッ)
先生らしく、手紙は原稿用紙だったW
先生有り難う…

3月→「九十九会20周年」パーティーを行った。
付き合いは今後も続くであろうが、とりあえず20年の節目で閉会とした…


支えてくれた仲間達…感謝

4月→今年も満開の桜🌸を観ることが出来たッ

歳を重ねるほどに段々と愛惜しくなッてくる…感謝

5月→健康も考え、久し振りにゴルフを本格的に始めたッ
鮮やかな緑の芝と抜けるような青空、木々を飛び交う野鳥達…澄んだ空気の中でプレイするゴルフは最高だッ…感謝

6月→73歳の「吉田拓郎」を観てきたッ

吉田拓郎…まだまだ元気だッ
元気をもらったついでに浜松探索…
好物のうなぎを食することだけは忘れないw
吉田拓郎に感謝…

7・8月→祭だッ…
旭川サンロク祭


いつもの「浴衣会」に仲間達が集まった。
楽しかった…感謝

帯広「勝毎花火大会」
1つの空を20万人がわかち合う …

昨年から今年にかけて世界中を席巻したボヘラプ…
ライブエイドに向かうフレディの後ろ姿を思い浮かべながらの花火の波動が沁みる…

今年も感動を有り難う…感謝

9月→…
そして、やっと母の1周忌を迎えた…
かって経験したことのない まさかの喪失感…この1年、随分と長く感じた。

先日、通い寺の浅草寺でお参りをしてきた。

身代り守り札を1つ買ってきた…

御神籤は凶率52%のおみくじ場で、まさかの「大吉」…


                               …感謝
前回のブログは「今年は良い年になるだろうか…」で〆ている…

が、やってしまった…
2月12日午後4時過ぎ…いつものようにディスクワーク中、息苦しさと胸のしめつけ感を強く感じた…
普段だと水を飲むと落ち着きを取り戻すが、この日ばかりは落ち着くどころかチョッとした目眩までも…

普通じゃない症状に我慢はやめて総務に病院に行くことを伝えた。
救急車を呼ぶと言うが、まだ自力が可能と思い最近出来た大きな病院に向かう。

直接行ってもなかなか診てもらえないと言われたが、救急口から入り診察をお願いしたところ快く受け入れてくれた。

ひととおり検査を終えて、症状も落ち着いた…
心配して駆けつけた会社の人達も帰ってもらい帰り支度をしていると、看護士サンから呼び止められ、情報を共有していた1人の先生から戻るよう促されたという。

そしてチョッと強引なインフォームドコンセント→緊急カテーテル手術。

冠状動脈の1本が殆ど塞がっていた…
結局、狭窄ヶ所にステントを留置した。

そのままICUで翌日の午後まで監視…

検査結果は心筋の壊死、ダメージはないとのことで病名は心筋梗塞の一歩手前の「狭心症」…

帰り際、呼び止めてくれた先生に感謝せずにはいられない。
翌朝、退院させてもらったッ
いち早く駆け込んだのが良かったみたいだ。

そして今日は1ヶ月予後検査。

血液検査、心電図を済ませ軽い朝食をとった。

何事もなく診察を済ませ、1ヶ月先の予約をして終了。

大事に至らなかったものの生涯、血をサラサラにする薬は飲み続けなくてはならない。

そんなこんなで あまり良くはない1年のスタートとなった…

が、先日数十年ぶりに、会いたかった高校時代の恩師と一献を傾けることができた。

それは次のブログで…









暮れに母の「百か日」法要を終えた…
百か日法要は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、この百か日法要をもって、残された者は「哭(な)くことから卒(しゅっ)する(=終わる)」、つまり、悲しみに泣きくれることをやめる日であることも意味するらしい…

少しずつ悲しみは薄れてきたように思う…

昨年を振り返ると、あまり良い年ではなかったように思う。
愚痴る歳でもないので、あえてその事には触れまい…

12月に母の報告方々、昔一緒に訪れた浅草寺の参拝をしてきた。

何か困った時の願掛けは決まって浅草寺だった…
長い間、母を守っていただいたお礼を伝えた…
ありがとうございました。

参拝を終えた後は、近場の老舗居酒屋に顔を出した。
創業70年ほどの重鎮…
江戸前の「ねぎま鍋」は、江戸前の味を語るには外せないッ
小上がりテーブルの端には今は使っていないが、お酒の燗づけ用の湯沸し器が付いていて、昔は各テーブルに炭で湯を沸かし自分好みの加減で燗酒を楽しんだのだろう。
雷門前のホテルをとったので、ホテルのbarからの夜景を楽しんだ。
翌朝は久しぶりに「上野藪そば」に足を運び、「藪そば御三家」に決して負けることのない力のある蕎麦をいただいたッ

今年の初詣はいつもの「永山神社」
御朱印もいただいた。

「美瑛神社」も初めて参拝と御朱印…
御神籤は「大吉」…


今年は良い年になるだろうか…


母を亡くし、七七日「四十九日」を迎えた…
長く生きているが「喪失感」などという言葉を使う機会など自分にはなかった…

半年前から食べ物を受け付けず点滴だけで命を繋いできた…

数分 間に合わなかった…
駆け付けたときに触れた頬は、まだ温もりがあった…

高齢ということもあり覚悟はしていた…
なので会うたびにお別れの言葉はかけてきたが、最後を見届けることは出来なかった…

祭壇は母の好きだった赤い花をあしらった…
葬儀屋はあまり良い返事はいただけなかったが、お寺の住職は快く受け入れてくれた…

お棺の中も赤い花でいっぱいにした…
お陰で母らしい葬儀を済ますことが出来たと思っている。

慌ただしい時間が過ぎ、落ち着きを取り戻したが、父を亡くした時とは違う何かを引きずり、払拭出来ないでいる。

心にポッカリと穴が開いたような…

この歳になるまで喪失感などという言葉は使ったこともないが…
これが、世界中で1番愛してくれた人を失った「喪失感」というものなのか…

何もしたくない
人と会いたくない

現実的にはそれは出来ないが、辛くやるせない日々が続く…

今日は東京…
学生時代に母と二人で行った 相性のいい浅草寺をお参りして、母の死を報告して来たい。

そして…
七七日を節目に
早く立ち直らねばいけない…