2024年8月 隠岐の島町の名所を巡ってきました。
3日目 ⑤高田神社 です。
釜屋から県道44号を少し北へ行くと都万支所があります。その裏の方へ入っていくと道路の突き当りの森の中に高田神社があります。
南北朝末期の至徳年間(1384~87)に、この地の地頭佐々木隠岐次郎左衛門の娘の小花姫が、高田山頂の鳴沢の池で授かったご神体を祀ったことに始まるとされ、関白二条良基らによる百首和歌と千句連歌が至徳4(1387)年に奉納されています。百首和歌は現存し、県の文化財に指定されています。
鳥居をくぐると1m程先にだいぶ朽ちた狛犬がいます。神社MAPには「かわいいユーレイ?」と書いてあります。
狛犬の先から長い石段です。
石段の先に随神門があります。流木をスライスしたような趣のある扁額ですが、高田神社と左から書いてありました。
随神門の手前には一対の狛犬。
随神の前に小さな狛犬が一匹。
首の長い狛犬はやけに手足が大きく、小さな頭とはバランスが取れていない感じがいいです。
穏やかな感じの随神は衣冠束帯姿で笏を持っています。
元文2(1737)年に建てられた拝殿は、本殿と共に町の文化財に指定されています。
拝殿の内部には「三つ柏」紋。かつて割拝殿だったことは、見た目では分かりません。
拝殿の横から後ろへ行く古めかしい石段があります。
本殿にはどっしりとした大きな屋根が乗り、鰹木の上の一本木はありませんが、向拝が屋根とは独立した隠岐造りです。向拝の上にはカラフルな龍の彫刻があるそうですが、見えませんでした。
向拝虹梁の上には透かし彫りの彫刻が、木鼻には龍の彫刻があります。
正面の四枚引戸の上にも蟇股に細かい彫刻があります。
拝殿の左側からも奥へ行けます。
本殿の脇障子には絵が描かれていて、よく見るとその上にも透かし彫りの彫刻がありました。
拝殿の左側に建つ若宮社は文化8(1811)年に建てられたもので、これも小さいながらも隠岐造りで、町の文化財に指定されています。
文化13(1816)年に奉納された灯籠は、笠の下が丸っこくなっていて、手が込んでいます。
県道44号に戻った所にデイリーストアがありました。この先に飲食店はなさそうなので、ここでおにぎりでも買おうと入ってみましたが、「いらっしゃい」も何もなく、あまり感じが良くなかったので、何も買わずにすぐに出てきてしまいました。
【隠岐 島後 3日目ー⑥⑦:天健金草神社・那智神社】パワースポットを巡る夫婦 に続く・・・



























