2024年5月14日 埼玉北部を拠点に活躍した平安末期の武士たちの史跡を巡ってきました。
その② 大倉神社・鎌形八幡神社 です。
源義賢の墓所のすぐ近くに大倉神社があります。ここは源義賢の大倉館があったところです。道路沿いの土塁が、かつて城館だったことを物語っています。神社の隅に大倉館趾の石碑が建っていました。
土塁の途中に大倉神社の入口があります。
今残っている土塁は戦国時代のもので、源義賢の時代は一辺70m程の規模だったようです。
奥の鳥居をくぐると、左側に2基の鳥居が並んでいます。左側は扁額に富士浅間と書いてあり、奥には石碑があるだけで社殿はありません。右側は山王大明神が祀られています。大倉神社はかつては山王社と呼ばれ、大行院の隣の安養寺が別当寺でした。元々この地には稲荷社が祀られていましたが、大正7年に山王社が遷座して社号も大倉神社となりました。大倉館の敷地内にありますが、源氏とは関係ないようです。
奥には正面を向いた大倉神社拝殿と右を向いた神楽殿があります。奥のシャッターが閉まった建物は八坂神社です。
神楽殿にも拝殿にも、本殿の小さな社がありました。
右向きの社殿の正面に石段があり、下に大倉稲荷大明神の額が掛かる鳥居がありました。
大倉神社から少し西に行って都幾川を渡った所に鎌形八幡神社があります。こちらは大倉神社と違って源氏とゆかりがあります。そもそも八幡神自体が源氏の守護神ですが。
鳥居を二つくぐると、その先に壁のない建物があります。割拝殿のようにも見えますが、石段の上に拝殿があるので神楽殿かもしれません。正面には八幡宮の扁額が掛けられています。
参道と並行してもうひとつ参道があります。正面には護国神社があります。参道の入口の鳥居のすぐ前は雑草が生い茂っていにはるので、この鳥居をくぐる人はあまりいないようです。
参道の突き当りの石段の横には手水舎があります。
手水の水は木曽義仲の産湯の水です。
手水舎の向こうに池があり、池の中島にはお堂が建っています。
お堂の中には小さなお社がありました。祀られているのは弁天様でしょうか。
手水舎の先の石段を上っていきます。
拝殿の向拝には、欄間から飛び出して向拝虹梁にまではみ出した彫刻がありました。
拝殿にある扁額の文字は普通の「八幡宮」でした。
格子のスキマから覗くと、本殿の手前に祭壇が設けられていました。
本殿の左に2棟の建物があります。それぞれ境内社の覆屋です。
左側は八坂神社です。
右側の瀬戸神社には3基のお社が納められていました。
本殿の覆屋を兼ねた拝殿は、横から見るとかなり奥行きがあることがわかります。ちょうど本殿が納まっている辺りに連子格子があり、その下には小さな窪みがあってそれぞれに御幣が供えられています。
連子格子から覗くと本殿の側面が見えました。殺風景な本殿ですが、脇障子に彫刻がありました。
覆屋の後ろにも注連縄がついていて、御幣が供えられていました。
本殿の右後ろに3棟の小さな建物があります。
左から山の神・天神宮・白和瀬神社で、どれも小さな祠と御幣が納められていました。
急な石段を下って駐車場に戻ります。
【北武蔵の史跡 ③:慈光寺】パワースポットを巡る夫婦旅 に続く・・・