【奈良 大神神社の関連寺社 ⑨⑩⑪:志貴御縣坐社・平等寺・素戔嗚社】パワースポットを巡る夫婦旅 | 徒然なるままに山と歴史を・・・

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2023年11月 奈良 山の辺の道エリアのパワースポットを巡ってきました。その筆頭 大神神社には多くの関連寺社があります。

その ⑨志貴御縣坐神社 ⑩平等寺 ⑪素戔嗚神社 です。

 

   

 

 

八阪神社から伊勢街道を歩いて、県道に出る手前を北側に逸れると、「式内大社志貴」と刻まれた石柱がありました。

 

天理教の敷地に沿って行くと、志貴御縣坐しきのみあがたにます神社の一の鳥居があります。

 

美術館の先の正面に志貴御縣坐神社のニの鳥居が建っています。

 

二の鳥居の先は中央が広場になっていて、周囲は森になっています。入って左手に磯城瑞籬宮伝承地の看板がありました。

 

鳥居の正面には拝殿があり手前に狛犬という、ごく普通の神社の風景ですが、従五位上の神階を持つ式内社で、社格は大社という立派な神社です。ご祭神は大己貴おおなむち神ですが、これは大国主神の別名です。

 

拝殿の後ろの一段高い所には、瑞垣に囲まれた本殿があります。

 

本殿は流造りのようですが、千木がついて正面には千鳥破風もついています。

 

志貴御縣坐神社の拝殿の左は一段高くなっています。奧のブロックの玉垣に囲まれている社殿は大巳貴命を祀っています。手前の新しい社殿は厳島神社です。

 

拝殿の右側には小さな鳥居がありました。鳥居の奧には磐座があります。

 

玉垣の後ろには、同じような形の石が4つ並んでいます。

 

志貴御縣坐神社のすぐ先で、金屋の石仏の方から来た道と合流します。ここから山の辺の道です。

 

道の途中には、所々に山の辺の道であることを示す石柱があります。

 

急なカーブの所にある石段の先が三輪山平等寺(曹洞宗)です。

 

赤門には鬼やシャチが乗っていました。

 

本堂の前には島津義弘公ゆかりの寺という幟がありました。関ヶ原の合戦で西軍についた島津軍は、戦線から離脱した後に身を寄せたのがこの平等寺で、ここで借りた金で船を買って薩摩に逃げ延びたそうです。

 

本堂の右にもお堂があります。平等寺は元々七堂伽藍を持つ三輪明神の別当寺でしたが、明治の廃仏毀釈で全ての堂塔が破却され、昭和52年にようやく再興したお寺です。

 

善女竜王の池に架かる小さな橋を渡って、石段の先にある二重塔は釈迦堂です。

 

釈迦堂と並んで不動堂があります。内部は薄暗くて不動明王像はよく見えませんでした。

 

本堂の前を通って山門の方へ歩いていきます。

 

手水鉢には花や葉っぱが浮かべられていました。

 

山門から見ると、赤い柱の本堂は正面ではなく左側に建っています。

 

平等寺から西に伸びる坂を下っていく途中から、大和三山が見えました。

 

緩い坂道の途中を右に逸れると、すぐに須佐男神社があります。八阪神社と同様に素戔嗚命を祀っています。境内の正面に見えるのは薬師堂で薬師如来と十二神将が祀られています。

 

神社の入口に鳥居がなく、境内に入るとすぐ右側に磐座がありました。

 

正面の薬師堂の前を右に直角に曲がり、鳥居をくぐると須佐男神社ですが、右奥に何かが祀られているので行ってみます。

 

中央に白山神社が祀られていて、両側には庚申塔や金毘羅権現などの石碑がありました。素佐男神社は式内社であった稔代神社である、という説があります。稔代神社は江戸時代以前は白山社と称していて、この白山神社はその痕跡かもしれません。

 

素佐男神社の拝殿の前には、鳥居が建ち狛犬がいます。

 

拝殿の後ろには塀で囲まれた本殿があります。

 

拝殿の前の巨木は後ろから見ると、大きな洞ができていました。

 

 

【奈良 大神神社の関連寺社 ⑫⑬⑭:磐座神社・市杵島姫神社・狭井神社】パワースポットを巡る夫婦旅 に続く・・・