2023年7月 静岡県駿河地域のパワースポットを巡ってきました。
その1日目 ③臨済寺 です。
旅程
【1日目】
①静居寺(14分) [島田市旗指]
②智満寺(42分) [島田市千葉]
③臨済寺(10分) [葵区大岩町]
④静岡浅間神社(60分) [葵区大岩町]
⑤伊河麻神社(3分) [駿河区稲川]
⑥御穂神社(7分) [清水区三保]
⑦三保松原(22分) [清水区三保]
静岡市内 泊
智満寺から車のすれ違いができない細道を下り、島田の街から国道1号を東進して静岡市内に入り、静岡浅間神社の横を抜けて大竜山臨済寺(臨済宗妙心寺派)に来ました。後ろの山は賎機山で、今川家の詰め城があったところです。
山門の右手前の駐車場から一旦道路に出て、正面から山門をくぐります。今川家の菩提寺だけあって立派な楼門で、大龍山の扁額は徳川慶喜が書いたものです。
山門の両側の仁王像は、明治に神仏分離令の後、静岡浅間神社から移されたものです。顔に書かれたヒゲはマオリのタトゥーのようです。
山門をくぐって左に行くと、1997年に建立された仏殿があります。
仏殿の欄間には、5月に行った八戸の櫛引八幡宮の御室と同じような栗がありました。
内部の床は石張り。衝立があって周囲は見えませんが、奥には位牌が並んでいるようです。
山門に戻って、塀の間の石段を上っていきます。
広い庭の奥に大きな方丈(本堂)がドーンと構えています。江戸時代に建てられたもので、国重文です。
臨済寺は北条早雲の甥で、今川義元の父である氏親が創建した寺院で、その後太原雪斎を招いて住持としました。雪斎は今川家の軍師であり、義元の教育係でもあり、更に徳川家康が幼少期に今川家の人質となっていた時には、家康の教育もしていました。
義元や雪斎が亡くなった後、武田信玄の侵攻の際に、臨済寺の堂宇は焼失してしまいましたが、ここで暮らし、教育も受けた家康によって再建されました。
本堂の左奥には座禅堂があります。屋根にてっぺんの鬼瓦はエイリアンのようです。
本堂の右側にある庫裡は庭に向いた玄関がありますが、普段は奥の通用口を使っているようです。屋根の上の鬼板には高い格式を示す五七桐紋がついています。
本堂の正面には「勅東海最初禅林」と書かれていて、勅願寺であったことがわかります。そして賽銭箱には葵の御紋。
本堂の板戸には鶴が描かれています。
本堂の左端の玄関にも、扉や唐破風に葵の御紋がついていました。
鐘楼の脇の石段を下って駐車場に戻ります。
駿河の寺社 ④:静岡浅間神社(前半) に続く・・・




















