【近江 湖東・湖南 ⑭⑮:大笹原神社/苗村神社】パワースポットを巡る夫婦旅 | 徒然なるままに山と歴史を・・・

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2022年11月 琵琶湖の東から南にかけてのパワースポットを巡ってきました。

その⑭大笹原神社 ⑮苗村神社です。

 

 

旅程

 【2日目】

   08:38 芦浦観音寺 (3分) 

          [草津市芦浦町]

   09:04 兵主大社 (46分

          [野洲市五条]

   10:20 御上神社 (25分)

          [野洲市三上]

   10:50 三上山 (1時間5分)

          [野洲市三上]

   13:26 大笹原神社 (16分)

          [野洲市大篠原]

   14:06 苗村神社 (31分)

          [蒲生郡竜王町綾戸]

   15:04 新善光寺 (12分)

          [栗東市林]

   15:29 大野神社 (10分)

          [栗東市荒張]

   16:06 八丈岩・三雲城跡 (48分)

          [湖南市吉永]

   17:47 金勝山横ヶ峰展望所 (14分)

          [栗東市荒張]

 

    草津市内 泊

 

 

 【3日目】

   善水寺 [湖南市岩根]

   常楽寺 [湖南市西寺]

   長寿寺 [湖南市東寺]

   金勝寺 [栗東市荒張]

   金勝山横ヶ峰展望所 [栗東市荒張]

   建部大社 [大津市神領]

   石山寺 [大津市石山寺]

   

 

 

 

三上山から下り、昼食後は大笹原神社です。左側の広い駐車場に車を止めます。大笹原神社は寛和2(986)年に創建されたと言われ、明治の神仏分離令までは牛頭天王社でした。

 

鳥居からまっすぐ参道が続いていますが、右の手水舎の向かい、つまり左側に大笹原神社があります。まっすぐ行くと行き止まりのようです。

 

手水鉢には白くて丸い石が入っていました。神主が常駐している神社では鉢に花があったりしますが、参拝客もいないような神社ではそうはいかないようですが、玉石にはコケも生えておらず、きちんと手入れされているようです。

 

手水舎の向かいが大笹原神社です。参道の入口に鳥居がりますが、ここには鳥居はありません。

色づいたモミジの向こうに拝殿があります。周囲に板壁などはなく、神楽殿のようです。

 

本殿(国宝)の棟には中心に桔梗紋、その両側に近江源氏佐々木氏の四ツ目結紋がついています。建立した領主馬渕氏は佐々木一門です。

本殿の右には小さな社が3棟並んでいます。

 

大笹原神社本殿の左横にある篠原神社(餅の宮)本殿は、応永34(1427)年に建立されたもので、国重文です。

 

拝殿から左右に伸びる玉垣に隣接して、隠れるような感じで小さいながらも檜皮葺きの立派な社殿がありました。メインの社殿より装飾されています。両側にキツネがいるので、お稲荷さんのようです。

 

拝殿の右へ玉垣に沿って行くと、奥に「寄倍の池」があります。この池は深い沼で、干ばつの際にも涸れたことがなく、かつて沈めた2基の神輿が今でも沼底にあるそうです。

 

大笹原神社から鏡山を挟んで東側にある苗村神社に来ました。延喜式内社です。楼門(国重文)の前の広い砂利道の路肩に車を止めてお参りです。楼門は少し離れた県道からもよく目立っています。正一位苗村大明神の勅額が掛かっています。

 

楼門の内側も砂利敷で広々としています。右が楼門、左が神楽殿のように周囲に壁のない拝殿です。中央に見えるの板壁の建物がテンブン(1536)に建てられた神輿庫で、これも国重文です。正一位神位授与式に下向した勅使の御休所を転用したものです。

 

垂仁天皇の時代に創建されたということなので、キリストが生まれた頃になると思いますが、垂仁天皇も138歳まで生きたと伝えられているので、どちらも眉唾物です。広い神域に古墳もありますが、神域内に古墳を造ることは考えられないので、古墳のあるところに神域を設けた、つまり創建は古墳時代以降ということになります。

元々はご祭神の那牟羅なむら彦神や那牟羅姫神と同音になる長寸なむら神社と称していました。寸は村の古字だそうです。

石板の上部に何と隠れミッキー。

 

拝殿の後ろにある玉垣の中に社殿が建ち並び、玉垣の右には護国社が祀られています。

 

拝殿の後ろにある門の軒下には左右に猿がいます。左が子守猿、右が厄除猿です。

 

幣殿の梁の上に鏡があります。その向こうが国宝の本殿です。

 

本殿は装飾の少ない質素な建物です。

 

本殿の左には永享2(1430)年頃に建てられたといわれる八幡社本殿(国重文)があります。その前に綾之社が拝殿を向いて建っています。

 

本殿の右には十禅師社本殿(国重文)が建っています。こちらも永享2(1430)年に建てられたと考えられています。拝殿を向いて恵比須社が建っています。

 

楼門から出て、県道の向こうの東本殿の方へ行ってみます。

 

こちらは鳥居の扁額は、苗村神社の古名の長寸神社となっています。

 

広くて明るい西側と比べると、森の中の薄暗い境内です。参道の途中に小さな社が祀られています。

 

参道の突き当たりに東本殿(国重文)があります。こちらには玉垣はなく、本殿に触ることもできます。

 

東本殿は左右に小さな社を従えています。左は佐々貴社、右が天神社です。天神社は小さいながらも廻縁に高欄がつき、脇障子まであります。

 

本殿の屋根の上には鬼が睨みをきかせています。

 

向拝の蛙股にも隠れミッキーがいました。

 

再び県道を渡って西側の楼門横に止めた車に戻ります。

 

 

近江 湖東・湖南 ⑯⑰新善光寺/大野神社に続く・・・