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モンゴル8000

青年海外協力隊 2009年、モンゴル・ウランバートル赴任。
モンゴルでの日々の格闘日記です。

一人当たりの年間所得平均額、1650ドル。

日本円にして、13万円くらい。まぁ、今は円高がものすごいから、もう少し高く見積もっても、15万円くらいか。


年間所得額、15万円です。

考えられますか?


「だって、そのぶん、物価が安いんでしょ?」


と考えるかもしれない。

決して、そんなことはない。

日本の4分の1くらいだろうか。そんなかんじ。



昨日、昼食に寄った食堂で、小学6年生くらいの子供2人が寄ってきて

「この本、買ってよ」

と言ってきた。


わりにこういうことは、よくあることで。



私が日本語を教えている学校は、いわゆる「特別学校」で、裕福な家庭に育つ子供が多い。

それでも、教科書が買えなかったり、文房具がなかったりする子供もいるが、少なくとも、学校に通っている。制服を着ている。



ふと


でも、そうなんだよな・・・


と、思った。


カネのはなしをすると、この国の学校の先生の給料は、とても低い。

1ヶ月、日本円で1万6千円くらい。


つまり、平均所得に近い。

大学を出て、教育職という、いわば専門職について、その値段?



モンゴルのエリート層は、法律や経済を学び、ビジネスをやったり、国外に出て働いたりすることが多いらしい。

国内の、特に公務員、それに、医者(!?)は、給料が低い。


人材も、育たないし、なりたがる人もあまり出てこない。



でも


教育をしっかりやらなかったら、未来はどうなるだろう。


昨日も、生徒が学校をボイコットしたということで、授業が無かった。


授業時間は、40分。休憩が5分。

そんな時間構成では、生徒が教室に入るのが間に合わなくて授業時間が短くなり、結果30分強程度の授業時間しかなく、学習効率が悪くなるのは目に見えている。


しかも、建物が少ないから、学校は2部制。


日本でいうところの、小学1年生から高校2年生までがひとつの学校に、午前、午後に分かれて登校する。


先生は、ともすると、昼食の時間すらない。先生は2部制ではないからだ。




そうなんだよな…


どこから手をつければ、いいんだろう。



私に出来ることは、授業で子供たちを笑わせて、

「この日本人のおっさん、言ってることはよくわかんないけど、なんかおもしろいな」


と思わせること。

学ぶことを楽しいことだと思わせること。


未来に、希望を持たせること。



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でっかいことなんてできないし、そんなことを考えてもしょうがないことだけれど


いま、自分の近くにいるやつらに、笑顔でいてほしいな、と思う。

モンゴルの人たちは、外見をよく気にする。

先生でもハイヒールで来るのはしょっちゅうだし、生徒はだいたいアクセサリーをしている。

建造物も、見た目重視なことが多い。


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・・・これはでかすぎですけどね。



こちらにきて、私は、しばしば


「外見を気にする余裕があれば、もっとインフラ整備に力を入れられるだろうし、防寒のしっかりした服だって買えるだろうに」


と考えていた。


けれど、最近、ああ、そういうことなのかもしれない、と感じることが多くなった。



モンゴルの冬は、ひどく寒い。平均寿命だって、ようやく60歳をこえたばかりで、決して高くない。


寒くなると、外に出たい気持ちがなくなってくるし、太陽だって出る時間が少なくなるから、気分を沈みがちになる。


だから、意識的に楽しくしないと、外見を良く見せたり、まつりを多く催したりして楽しいことを多くしないと


笑う機会を増やさないと


生活がつまらないものになってしまう。



今日学校へ行ったら、


「今日は日本語祭があります。」ということで、午後の授業が無かった。


なんでも、先週まで教育実習に来ていた私立大学の学生たちが、お礼に、ということで催したらしい。


日本の感覚したら「!?」だけど、なんていうか


学校って、それくらいフレキシブルでもいいじゃん。と感じた。大事なのは、生徒が何を感じ、将来に何を生かしていくか、ということだから、そういう申し出に素直に答えられるっていいことだと思う。



というわけで、今日、13時までの授業が終わると、7年生から11年生までの、日本語を履修しているクラスの生徒たちがホールに集まり


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並んで説明を聞いて


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実習生たちが用意してくれたおにぎりをほおばり


その後、生徒たちは思い思いに、


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折り紙を折るブースで鶴を折ったり


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書道のブースで「道」と書いたり


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「話」・・・なんでわざわざ話という字を選んで書くの??


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こっちは・・・まぁ気持ちはわかりますね。絵が入っていますが・・・


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着付けのブースで着物を着たり


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私も浴衣を着ました(となりは11年生。日本の高校2年生の年です。)


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時間が進んできたら、クイズ大会が始まり・・・

(日本で一番初めに食べられた料理は?という問題があった。・・・誰がそんなの知ってるの?)



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競争ごとが大好きなモンゴル人は、優勝者を決めるまでやりました。

優勝は来日経験もある、11年生の生徒。日本語もだいぶ達者です。


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んで、集合写真とって、流れ解散。


使っている言葉はほとんどモンゴル語だったから、日本語の勉強だったとはとてもいえない内容だけれど、こうやって、動機付けとしてのイベント、「ああ、日本っておもしろいな、行ってみたいな」と思えるような内容のイベントって、ただ机に座ってひらがなの書き方を覚えるよりもずっとずっと重要なんじゃないか、と改めて感じた。


日本の学校って、こういうの突発的に…ありませんよね。

日本はなんでもキチッ、キチッとしてますから。



こういうゆるさ、好きです。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)/村上 春樹

¥740
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協力隊のドミトリーには、諸先輩隊員が置いていって書物がところせましと並んでいます。

村上春樹ファンの私は、そこから春樹作品を取り出しては、夜な夜なページを開いています。


村上春樹さんの本は、何度読んでも新鮮な、新しい発見をすることが多いです。

カフカ、たぶん5回目くらいです。


主人公であり、「世界でいちばんタフな15歳」として家出をしたカフカ少年は、物語の中盤で、



 「僕が求めている強さというのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。外からの力をはねつけるための壁が欲しいわけでもない。僕が欲しいのは外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さです。不公平さや不運や悲しみや誤解や無理解-そういうものごとに静かに耐えていくための強さです。」



と、口にしている(15歳の少年の台詞じゃないだろ!という疑問は置いておいて。)


村上春樹さんが、世界的に支持を受けている作家であることが、この一節ににじみ出ていると思う。


世界にはそれこそ不公平や不運、悲しみがあらゆる形を取って存在しており、それと気付かずに一生を終える可能性だってある。いやむしろ、そういうものごとに気付いてそれでもなおそれに耐えて生きている人がどれくらいいるだろうか。


そんなに話を大きく広げなくてもいい。

普段の生活で、我々はいろんなものごとを比較して生きている。

自分にあるものと、ないもの、他人にあって自分に無いもの。それが劣等感や優越感を生み、ときに衝突する。


そんなことの繰り返しで人生を磨耗させたくない。そう思っても、それを笑ってやりとおせるほど強くない。としばしばため息が出ることが多い。





今日、朝、川沿いをジョギングしていたらi-podから流れた曲

Greeeen「父母唄」

さいきん連絡を取っていない父と母に捧ぐ。

この前はいつ書いたんだっけ…と考え込むくらい、最近更新が減ってきました。


モンゴルの路上には、ふたのないマンホールが多く点在し、そのため、あてもなくいろいろなものごとを考えながら歩いていると、まるでスーパーマリオのようにマンホール(…あ、彼は土管ですね)に落っこちてしまうという事態が生じます。


しかしながら、地下の世界にはコインがたくさんあるわけでもなく、プクプクの泳ぐ水路があるわけでもなく、下手したら骨折ということにもなりかねません。


というわけで、マンホールに注意しつつ、あてもなく考え事をしながらモンゴルの街を歩いています。



よく人は、「忙しい」と口にします。


では、なにをもって「忙しい」となるのでしょうか。


人の数だけその理由はあると思います(もっとも、明確な定義を持って「忙しい」なんて使っている人が何人いるのかわかりませんが)。


でも、多いですよね


「忙しい」


って、すぐ口にする人。


私は、自分を「忙しい」と思ったことはほとんどありません。


だって、毎日夜寝てますから。


「夜寝る時間があるなら、忙しくなんか無い」


というのが私が独断的に考える「忙しい」への反証的定義です。



では、なぜブログの更新が滞ったか。


「忙しい」くはないんですね。


なんというか



「頭に浮かんだ考えを、うまく言葉にしてoutputするための時間と余裕が、うまく作れなかった」


という状況です。

なぜかというと、


「ここ最近、近接した未来に対する不確定要素(不安要素)の強い用事が多い」


というのが、理由です。


たとえば、今週、市内の日本語教師を集めた勉強会で、メインとして約2時間、セミナーをします。


日本語教師の経験がほとんど無い自分が、現役日本語教師たちに日本語の教え方を教える


わけです(!)

緊張しますね。。。

かなりの準備が必要ですね。。。


いろいろ考えましたが、私の教師経験をうまく使ったものになる予定です。というか、その方向でしか、自分のフィールドに近づけることでしか、納得のいくセミナーはできないと感じたわけです。


ほかにもいろいろあるんですが、本題に入る前にこんなに長くなると思わなかったので、省略。




---------ここから、本題------------


ウランバートルの学校をまわりながら、現地の日本語教師の方がもっと効率的に教えられるよう、学習者たちがもっと積極的に学べるよう、指導をする…


はずの、立場にいます。


難しいですよね。


急に横からなんか知らない日本人が入ってきて、授業に関してあれこれ言って、特に責任も取らずに2年後、日本へ帰っていくわけです。


自分が英語教師の立場で、そんなやつがきたら、


「ふん、うっせーな」


くらいに思うに違いありません。



人に何かを教えるということは、それによって何か新しい価値を発見し、自分の見ている世界がもっとおもしろくなるようになる手伝いをする、ということです。


なかなか難しいです。


何かを教える 前に、 相手に、教えられることを受け入れる素地がなければ、学びは成り立ちません。


しかしながら、相手が、「受け入れる」という状態であるならば、教える側にとって、何かを教えることは非常に簡単です。


山の斜面でビー玉をころがすようなものです。手を離せば、ビー玉は勝手に転がっていきます。




いまは、相手にその素地ができるのを、じっと待っている段階です。

学校に行って授業に入っても、生徒とはなしをしたり、先生と笑い話をしたりするだけで、まだ「教える」ことはしていません。


相手との信頼関係を、築くこと。


これが、一番難しく、我々はこのことにかなりの集中力を注がなければならないのです。



では、また。



注:大学院の講義が始まっていてしかもさっき論の投稿を終えた直後のため、文が論文的になっています。

そんなモードでございますm(__)m

自分が大学院生だということを、しばらく忘れた1ヶ月はあっという間に過ぎ…


あさってから、後期日程が始まります。


後期では、テキストの学習に加えて、

・修士論文の計画書提出

・モンゴルにおける具体的な開発現場でのレポート(4単位)

をやり遂げないと…卒業できない…


という、いつもがけっぷちな私ですが、

「イチロー、200安打、だいじょうぶかよ、おい」

なんてどうでもいいようなことを相変わらず考えながら


「牛乳が1割値上げした!!」


とこれまた些細なことに怒りをあらわにするなど、不毛な生活を送っております押忍。



大学院、前期日程ですが、無事に単位を取得できました。


研究方法論 A

開発教育論 A

参加型開発論 B


・・・6単位ゲット~~~~~!!



あと8単位で、テキスト科目フィニッシュです。


後期では、

開発計画論(基礎論Ⅱ)

開発協力論

開発組織・制度論


の3科目を学びます。無事取得できれば、残り4単位。


というわけで、また2足のわらじ生活が始まります。

2足に加えて…


最近、自宅の近くに

「英会話学校、80%OFF!!」

というデカイ看板を掲げた学校を発見しまして…


教科書代込みで、週3回、7ヶ月のレッスンがなんと…


10.5万tg


日本円にすると


6千円!?


で、受講できるんですよまじっすか!?って思ってこの前プレイスメントテスト受けて、クラスも決まっているんですが



3足…やってみっかな

と思ってます。


向学心の高いモンゴル人友達も出来そうですし。



そういうわけで、最後に、後期科目のテキストを紹介して終わります。


開発援助の経済学―「共生の世界」と日本のODA/西垣 昭
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開発経済学概論/ジェラルド・マーヴィン マイヤー
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テキスト社会開発―貧困削減への新たな道筋/著者不明
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うーむ

読む気しねぇ 笑