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モンゴル8000

青年海外協力隊 2009年、モンゴル・ウランバートル赴任。
モンゴルでの日々の格闘日記です。

ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)/小澤 征爾
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言わずと知れた音楽の巨匠・小澤征爾


彼は24歳のとき、貨物船に乗り、ひとりヨーロッパへ音楽家になるための旅をはじめる。


パリ、ロンドン、ベルリンを全力で駆け抜け、ニューヨークフィルの副指揮者となって日本へ凱旋帰国する26歳までの旅を当時の彼がつづった書。


ニューヨークフィルの正指揮者であるバーンスタインは、日本を訪れて、彼に言う


「セイジ、お前は幸福な奴だ。こんな美しい国で育ったなんて……。それなのになんでニューヨークなどに住む気になったんだい?」


これにたいして、彼はこう語る


ぼくも日本を美しいと思わないわけではない。ただ西洋の音楽を知りたくて飛び出して行ったのだ。その結果、西洋の音楽のよさを知り、また日本の美しさも知るようになった。ぼくはけっして無駄ではなかったと思っている。それどころか、今後も日本の若者がどしどし外国へ行って新しい知識を得、また反省する機会を得てもらいたいと思っている。



これが、実に1959年の話、ということに驚く。

それから約50年。確実に世界は小さくなり、あらゆる情報が一瞬にして世界を駆け巡る時代となったが、一方、日本の若者の世界に対する意識は、昔とそれほど変わっていないように感じる。


旅行ではなく、なんらか目的を持った旅として、世界を感じることは、その後の人生にとってすごく重要な意味を持つことだなぁ、と、改めて感じる。



帰国のとき、ぼくはどんな気持ちでいるんだろう。



ノルウェイの森 上 (講談社文庫)/村上 春樹
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日本では 映画化 が話題になっている(らしい)。


初めて読んだのは、19歳のとき。ちょうどこの小説の登場人物たちの年齢に重なる。



これで、何度目だろう…4度目か、5度目くらいだけれど、今回は、ちょっと違った感想を持った。




結局のところ、人間てのは、身勝手なんだと思う。

身勝手だから、いろんな人を傷つけ、そして自分も傷つけていく。

でもそれは、誰にもどうしようも出来ないことで

我々はそんな不完全な世界に、不完全な存在として、生きていかなければならないんだと思う。


だから、人間って、美しい。





そんな、感想を持った。


いったい、ぼくはどこにいるんだろう。


↓で、これが「ノルウェイの森」です。ビートルズ。


気付けば、もう11月も終わります。


10月から継続的に走ることを再開し、週30キロを目安に走っていましたが、最近はめっきり寒くなり、テレビの天気予報などをみますと


最高気温 -13℃

最低気温 -28℃


などと書いてあり


「マイナス13℃はどうかんがえても赤くないだろっ!!!!!」


とひとり突っ込みを入れるくらいの寒さです。

それでもなんとか走ろうと努力しています。

寒さ対策として

・靴下2枚

・フルフェイスのマスク(NorthFace)

・スキー用手袋

を着用。ちなみに服はジャージの下にヒートテックを着ているだけですが、なんとかなります。



さて


年末です。ここウランバートルでも、街を歩いていると、クリスマスツリーが目に入るようになりました。


モンゴル8000

スフバートル広場横の、ルイヴィトンなどブランドショップのあるビルディング前広場


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ノミンデパート(旧国立デパート)前



想像を越す寒さの中ですが、その中でも人々は毎日を楽しもうとしてます。

デパートに入り、出てくる人々を見るともなしに見ていると、小さな、けれど確かな幸せを感じることが多いです。



しかし、これは、ウランバートルの1つの側面に過ぎないわけで、街を歩くと、ゴミを漁っている人、ペットボトルや空き缶を回収して大きな袋をぶら下げて歩いている人がいたるところに居ます。


聞くところによると、ウランバートルで、アパートに居を構えている人は、全体の40%ということ。

残りはゲルと呼ばれる移動型住居に住んでいたり、路上生活を余儀なくされています。

路上生活とはいえ、厳寒ですから、マンホールの中に入って暖をとっているようです。




でも、それは、モンゴルだから、ウランバートルだからそういう状況だ、ということではないんですよね。


日本だって、都会を歩けば路上生活者はいたるところに見受けられます。


開発援助の大きな課題のひとつは、「貧困削減」にありますが、これはなにも途上国だけに限った話ではないんですよね。


そう考えると、「世界の人々の役に立ちたい!」なんつって海外へ出かけてあれやこれややるより、自分の生まれ育った街を、よりよい場所にしていく。そういう、「おらがまち」意識をもっともっと高めたほうが結果としていろんなことがうまくいくんじゃないか、と感じてしまいます。



なにが「良い」んでしょうね。そんなこと、誰にもわからないです。なぜなら、みんな違うからですね。




ひとりでも多くの方が、昨日見た、親子で手をつないでデパートの扉を開けるような、そんな生活を手に出来ることを願います。



 作家の村上春樹さんは、どこかのエッセイだかで、世の中には生まれ育った場所と簡単に離れられる人間と、どうしても離れられない人間の2種類がいる、ということを書いていた(春樹さんはこういうようによくわからない2項対立をすることを好む傾向にあるような気がする)


 で、村上春樹さんは見事に地元から離れることが出来た人間で(好む好まざるに関わらず)、でもしかし彼は「アンダーグラウンド」や「神の子どもたちはみな踊る」などの作品で地元のことをつづっている。



 僕は、高校時代から、

 

「ここではない、どこかへ」


的な衝動が多く、高校時代にヒッチハイクで関西に行ったり、いろんなプログラムに応募して海外などに行ったり、そして今はこうしてモンゴルで生活をしている。



 たぶん、遠くに行きたかったんだと思う。

 

 なにかから、逃げていたのかもしれない。


 

 でも、僕は、どうやら村上春樹さんとは違うんだな、と、最近感じることが多い。


 高校時代、生徒会長、応援団長として熊谷市を盛り上げた。


 卒業してからも、町おこし団体を組織して熊谷市を盛り上げた。


 熊谷と言う街は、いまでは僕にとってかけがえのない友達がたくさんいて、町を歩くと商店街で声をかけられ、なんというか、のんびりできる、居心地のいい街。だった。


 たぶん、だからこそ、どこか遠くに行きたい、そんな衝動に駆られていたんだと思う。


 

 居心地のいい場所を離れ、冷たい風に吹かれる。 そんな経験を、僕はずっと求めつづけていたのかもしれない。



 今日、NHKの番組で「トイレの神様」という曲を(前に聞いたことはあったのだけれど)聞いて



帰国したら、地元に根付いた活動をして生きていこう



 と、感じた。



 それが、いままで「遠くへ行きたい」と感じて行動してきたけれどもいろいろな理由で地元と完全に離れることができなかった僕の、地元と、親への恩返しなのかもしれない。



 

 んー


 かえろかなぁ

 




「時間」を哲学する (講談社現代新書)/中島 義道
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過ぎた時間のことを指して

「あっというまだったなぁ」


と言う人は、多い。



じゃあ、未来に対して「あっという間」と言う人はいるだろうか。



我々は、「言葉」を発明してしまったことで、時間を「言葉」で表現することに慣れすぎてしまった。

空間的表現方法で、時間を表すことに慣れすぎてしまった。

ex.「10年前」・・・「前」というのはもともと空間を表す表現


そこから、時間を、あたかも1本の線と考えることも、当たり前だと考えるようになった。



では、

「1日前の出来事」を思い返すときと

「1年前の出来事」を思い返すとき

そこに、365倍の隔たりがあるだろうか。


過去は、実は平板なもので、どこにも存在しない。

だから、タイムマシーンなんてものは、存在し得ない。


起こってしまったことはその瞬間から起こってしまったことで

まだ起こってないことはまだ起こっていないことなのだ。そこには明確な線が引かれる。



大多数が正しいと考えている思い込みを覆す、という意味でかなり興味深い書。


過去、未来は、小説の中の大きなテーマにもなることが多い。


ちょっと、1本この本の説を使って物語を書きたい、と思い始めた。