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モンゴル8000

青年海外協力隊 2009年、モンゴル・ウランバートル赴任。
モンゴルでの日々の格闘日記です。

日本に帰ったら、できれば私立で働きたくて、あんまり公立では働きたくないんだけど、もし来年受験するとしたら、帰国が6月下旬だから、どうすればいんだべ、ということで、つらつらサイトを見ていた。


公立学校の試験日は、だいたい7月。


すると、申し込みは5月。


5月…

申し込みのときに用意する書類やらなんやらを考えると、6月までモンゴル生活な私は、どうやら受験は無理のようだ…



と考えていたら、ひとつだけ、受験可能な都道府県があった。



東京都。



東京都は、インターネットでオンライン受付をしており、受験申し込みの際には特に書類は不要。


公立でも私立でも、受験申し込みをするときは、たいてい


・履歴書

・大学の成績証明書

・大学の卒業証明書

・教員免状


が、必要になる。めんどくさいとこだと


・健康診断の結果


まで必要なところもある。



しかし、東京都は、一切必要ない。


しかも、社会人経験が3年以上であれば、1次試験は論文だけになる。


し か も


社会経験を証明する書類の提出は 「合格した後に見せてくれればいい」 ということで・・・


なんとも、ユーザーフレンドリーな試験なのである。



いいじゃないか。こういう、余計なところをそぎ落としたシステム。こういうの大好きだ。



それに引き換え、我が埼玉県は…


上で挙げた書類は必要だし、しかも


「願書提出は郵送でなく、直接会場へ持参すること」


さらにさらに


「人物証明書」なるものまで必要になる。(上司や教授に書いてもらう)



・・・なにかんがえてるんだ?埼玉県。



以前、一度だけ受験したことがあるが、なんというか・・・


埼玉への忠誠心を見極めるような内容の試験だった。

埼玉県の教育スローガンなんて…知ってて何の得になるんだか。。。




というわけで、来年は、都道府県の教員採用は、受けるとしたら東京都になりますね。


そうやって、希望者に対して受験できないシステムを作り上げて結果的に人材流出が起こっているの、わかってんのかなぁ、埼玉。。。


なさけねぇなぁ。



どこも東京みたいに、ペーパーレスで効率的な仕事すればいいのにね。

役人体質。変わらないかなぁ。



音はちょっと悪いけど。下から変えるしかねーのに、大人になるにつれてだんだん頭カチカチになってくる若者たち。そんなんで、いーのか?

 「もう、全然前が見えないじゃない。ほんと、役に立たないわね、天気予報って。」


 隣で彼女がワイパーの速度を速めながら、少し遅くなった帰り道を急いでいた。世の中に気象予報士ほど損な焼くわマリの職業はないのかもしれない。予想が当たればそれを当たり前だととらえられ、誰からも感謝されず、しかしながら予想が外れたとき(しかも、とりわけ「晴れるでしょう」と予想しておいて雨だったときはなおさら)は、多くの名も無き人々に責められる。少なくとも、僕はそんな職業につきたくなんかない。いや、常に「晴れる可能性が高いですけど、雨が降ることもありますから、傘を忘れずに」なんて注意喚起を毎回すればいいのではないか。しかしそんなことをしたら狼少年のようになってしまい、誰も天気予報なんて注意してみることをしなくなるだろう。

 期待をするから、いけないのだ。

 世の中には、多くの人間がいて、それぞれの思考パターンによって生きているのだ。誰かに決められて生きているわけではない。しかしながら、多くの人は、他人に多かれ少なかれ、何らかの期待を背負わせる。そして、その期待が失望に変わったとき、人々は怒り、罵る。期待度が大きければ大きいほどその反動は大きい。


 期待しなければいいじゃないか。


 みんながみんな、自分の思うように、誰からも干渉されずに生きていけばいいのだ。みんながみんな、無人島に生活でもしているようにてんでばらばらに生きていけばいいのだ。しかしそうするとこの長い歴史によって作られた社会システムは根本からその土台をひっくりかえされるだろうな、と考えていたところで、カー・ステレオのディスク・ジョッキーは、雨はもうじきやむでしょう、と希望的観測を伝えた。


 希望的観測。


 「道路が滑りやすいから、もうすこし速度を緩めたほうがいいんじゃないかな。」


 「あなた、私のお父さん、知っているでしょう。あの人、すごく時間にうるさいんだから。このくらいのスピードじゃないと門限に間に合わないのよ。」


 期待と失望。


 10分や20分遅れるのと、安全運転と、どちらが大切なんだろう。ましてや、今は携帯電話なんていう便利な道具があるじゃないか。「少し遅れます」と連絡を入れればすむはなしだろうに、と僕はいいかけてやめた。誰かに何かの意見を言うことはその人の思考システムに小石を放り投げるようなものだ。その波紋はときどき思いも寄らないところまでたどり着くことがある。人の敷地内に石を投げ入れるくらいなら、何もしないほうがいい。

 いつのころからか、そんな、自分と他人とのあいだに幕を引いたような生活をするようになってしまった。それがいいことなのか悪いことなのかどうか、わからないけれども、自分の内部に平穏があればそれでいいというようにも考える自分がいて、それがどんどん大きくなっていることに気付いている。たぶんそのほうが楽なんだろうし、結局、そういう自分の手の届く小さな世界で自分の庭にある盆栽でも手入れしていたほうが性にあっているんだろう。


 町と町との境界線には、薄い幕がある。よく目を凝らさなくては見えないくらいの薄い、色のない幕だ。それがお互いをどのくらい離しているのか、それは誰にもわからないようで、誰にでもわかるようなものだ。


 たぶん、彼女はまだ気付いていないんだろう。この世界には、すでにいたるところに幕が下ろされていることを。



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またダークですねぇ。

そろそろ長編を書こうといろいろ案を練っています。しかし修士論文やら英語の勉強やらでなかなか集中できないので…(言い訳です) また短編書きます。


しかしアレだな。もっとクールなのを書きたいですね。クールに無目的的な短編。3年前はそういうのも書いていたんだけどな。

昨日はめずらしくモンゴルにも雨が降り、乾いた地面をぬらしていました。

モンゴルの友人と歩いていたんですが、


「雨の日は外を歩きたい」


と言って、30分くらいかかる道のりをずぶぬれになって歩いていました。


うーむ、感覚が違うな。。。



年中雨が降って、湿気の多い国と、雨がほとんど降らない、乾燥した国。



その国の文化とか風習、考え方っていうのは、気候に影響されるところが多いですよね。




さて、本題。

夏に、知人の紹介で、ある学校で短期で先生をすることになりそう。

そこで、その申込用紙に、


「将来の夢はなんですか」


という質問があった。



うーん


29歳にして、「将来の夢」か。



実は、さいきん、いろいろやることが山積みになっている。


仕事関連のこと

JICA関連のこと

大学院のこと

就職のための勉強

個人的な目標のためのこと




で、いろいろなことをとにかく片っ端から片付けていると、自分の中に、優先順位があることに気付く。


その優先順位が、「自分のやりたいこと」なんですよね。結局のところ。

そしてそれが、言い方を変えるなら、「夢」と表現してもいいんだろうなぁ。



どんなにたくさんやることがあっても、毎日ジョギングしたい。


どんなにたくさんやることがあっても、いろんな本を読みたい。


どんなにたくさんやることがあっても、英語の勉強を続けたい。



ここに、「なぜ?」を加えることで、その正体が見えてくる。




 教育者として、多角的視点からものごとを観察でき、自分の正しいと思うことを実行できる人間を育てること。

 個人として、小説を書いてどこかの賞をとること、世界中のウルトラマラソン大会に出場すること、サッカーを生涯スポーツとして一生楽しむこと。




それが、僕の「将来の夢」だ。

たぶん。



お、ケツメ、ニューシングルじゃん。
開発経済学―諸国民の貧困と富 (創文社現代経済学選書)/速水 佑次郎
¥3,675
Amazon.co.jp


大学院も2年目が始まったということで、たまには本のレビューがてら、テキスト紹介。


開発経済論のテキスト。


高校までは理系だったけど、文学部で言語学を専攻して卒業した私にとって、経済学は難しい。


実際、この本も難しい。


けれど、本書は、いわゆるガチガチの経済学の本ではなくて、


1、まず、具体的な事例を挙げて


2、それを、経済学に沿った形で軽く説明して


3、さらに、経済学的モデルに当てはめて考える


という3段階(たぶん)を、とっているため、ほとんど初学者の私でも、(少なくとも、1と2くらいまでは)わかる。



また、従来、経済学の分野には入れられなかった福祉や教育といった領域も経済学的に論じられているし、ときには、政治家が公共財を私有化してしまうシステムなども少し経済学的に語られていて、なんというか、人間くさい経済学の本。けっこう、読んでいて楽しい。



年末までに、修士論文を書き上げて、そしたらほとんど終わり。


この夏の長い自由時間で、ガンガン勉強します。




もう5月・・・とはいっても、最近のモンゴルはひどく寒い。

ここ2週間ほど、雪の日が多い。

降水量が増えて水不足が解消されるっていう利点もあるんだろうけど、せっかく春になって毎日ガンガン走っているランナーの私にとっては、けっこう厳しい。ってか、寒い。



というわけで、夏を切望するようなナンバー、どうぞ。



「ご注文はフィッシュバーガーとカフェオレでよろしかったでしょうか。」


 変な取り合わせだ。カフェオレといえば半分コーヒーみたいなもので、コーヒーにパンはまあ合うかもしれないけれど、少なくとも魚はコーヒーにはあわないだろう。魚を食べるならば、お茶がいい。それも、緑茶ではなくて、茶色い色の…どくだみ茶じゃないな。ほうじ茶。まて、ほうじ茶は茶色だったのか?ウーロン茶のほうが合いそうな気もするけれど、なんというか今はウーロン茶という気分じゃない。いやそもそも、ハンバーガーショップにお茶みたいなものがあるのだろうか。


「いや、ちょっとまって。飲み物に、お茶のようなものはあるかな。」


 店員は少し困った様子で私を見た。それもそうだ。今日は日曜日で、そして今は昼の12時だ。公園でバドミントンやボール遊びをするためにでかけようとしている親子連れの多くは、このハンバーガーショップでお昼ごはんを買って、そして公園へと向かっていく。駐車場だってたくさんある。その気になれば、このハンバーガーショップに車を置いたまま公園へでかけることだってできる。いってみれば、それをみこしてこんなに大きな駐車場があるようなものなのだ。レジの前にはたくさんのひとだかりができている。店内には子どもの遊び場もあるから、あるいはここでゆっくりと昼食を取ってからでかけるのかもしれない。私だって、こんなよく晴れた日曜日に、仕事なんかしたくない。


「ティー・オレでしたらございますが。」


 お茶にミルクを入れる必要がどこにあるのだ。私はお茶が飲みたいのだ。にごりなんか必要ない。透き通った色をしたお茶ののどごしを楽しみたいだけなのだ。それに、ティー・オレはやはり魚には合わないだろう。こんなことなら、いっそのことフィッシュバーガーをやめたらいい。いやまてよ。そもそも私はフィッシュバーガーを頼んだのだろうか。私はいまフィッシュバーガーが食べたいのか。今はチキンバーガーが安いと書いてあるじゃないか。だったら始めからフィッシュバーガーではなくてチキンバーガーを頼めばいい。チキンバーガーならカフェオレにも合うだろう。新鮮なキャベツの上にこんがり焼かれたチキンが載り、その上にタルタルソースだ。少し大きめのピクルスが添えてあればもういうことはない。


「あ、ごめん、やっぱり、チキンバーガーとカフェオレをお願いできるかな。」


 今度は店員は注文を繰り返さなかった。春がきて、まわりの木々が花をつけるようになってもどういうわけか1本だけ花がついていない桜の木を眺めるような目で店員は僕をちらりと見ると、後ろを向いてチキンバーガーとカフェオレを取って私に渡した。彼女は急いでいたのか、会計の後にレシートを渡すのを忘れた。まあ、いい。レシートのひとつやふたつ、忘れたって何かが決定的に損なわれることなんかない。


 さいきん、どうも、忘れることが多い。朝、新聞を読んだはずなのにどんな事件があったか思い出せず、そのため社内でも少し浮いた存在になっている。そして、そんな浮いた存在になっていることさえ忘れ、なんとなく昔の雰囲気で部下などに話しかけてしまうから、なんだか居心地の悪さを覚える。


「ねぇ、昨日の夕食、おいしかった?」


 仕事帰りにコーヒー・ショップで落ち合った彼女がコーヒーを飲みながら言った。そのコーヒー・ショップは私の職場のすぐ近くにあって、仕事帰りに彼女と落ち合うときによく利用する。彼女のほうも、駅から近いのでなにかと便利なのだ。そういえば、ここにもティー・オレはあるけれど、お茶は無い。


「ごめん、さいきん、物忘れがひどくてさ、朝読んだ新聞の内容だってろくに覚えていないんだ。昨日何食べたかなんて、もう遠い昔のことみたいになっちゃったよ。」


 私が言うと、なんだか私たちのテーブルの空気は周りよりも少しだけ薄くなったような気がした。少し呼吸がしずらい。何が起こったのか、と彼女を見ると、彼女は無表情で私を見ていた。私を見ている、というよりも、私の後ろにある窓を見ているような感じさえした。なにか間違ったことを言っただろうか、と考えてみたら、決定的な事実に思い当たった。そうだ。昨日は私の誕生日だったのだ。彼女は家でロースト・チキンとハッシュド・ポテトを作り、わざわざ私の家へ持ってきたのだ。そして私はお湯を沸かしてコーヒーをドリップし、それを食べた。そうだった。だから私は今日の昼、チキンではなくてフィッシュバーガーを注文したのだし、コーヒーではなくてお茶が飲みたかったのだ。どんなにうまい料理でも同じものを毎回食べるよりも、違ったものを食べたほうがいい。意識の上には上ってこなかったものの、無意識では覚えていたのだ。


 無言で帰ってしまった彼女が飲んでいたコーヒーを眺めながら、自分のコーヒーを飲み、サンドイッチを食べた。ハムときゅうりのサンドイッチ。まだきゅうりはみずみずしく、噛むとパリッという音さえする。


 口は、ものをいうためにあるのではなく、ものを食べるためにあるのだ。そうやって存在する分には、なんら問題はない。


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なんか・・・コミカルなようでシニカルですよね。うーむ。