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モンゴル8000

青年海外協力隊 2009年、モンゴル・ウランバートル赴任。
モンゴルでの日々の格闘日記です。

シリーズものをやるとブログのアクセスがだいたい跳ね上がるんですが、昨日は460を越えました。


私の独り言をお読みくださってありがとうございます感謝しております。

ちなみに、今は期間限定で実家に住んでおりますが、すきま風がひどくて、パソコンのキーボードを叩く指がほんと冷たいです。

そんな状況ですがみなさんのご期待にこたえて今日もたらたらとお話を続けさせていただきますよろしくお願いします。



世間は、もうクリスマスですね。

私は仲のよい男3人衆で鍋パーティを行う予定ですああ切ない 笑



ではでは、気を取り直して。


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お話を続ける私。

今日は、青年海外協力隊の仕事について、お話します。

たぶん、みんな、いちばん聞きたいところじゃなかったかと思います。


国際関係学部の講演会でしたから、協力隊に興味を持っている人たちは多いんですよね。


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モンゴル・ウランバートル市教育局外国語課に配属されていた私の仕事は、大きく2つ。


・市内の初中等機関(平たく言うと、小学校から高校までです)を巡回して、日本語を教えること。


・現地の日本語教師の能力向上のための勉強会を開くこと



まぁ、そのほかにもラジオ講座の声優とか、統一試験の運営とか日本語キャンプ主催とか、わりになんでもやみたいな仕事でしたが。。。


上の写真は、入学式です。

モンゴルは大きな講堂がないので、式典はこうして外で行うことが多いですね。


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おなじく、入学式。校舎はこんなかんじです。


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日本語を学ぶ子供たち。

3年生だから、9~10歳でしょうか。

ひらがなを学んでいます。


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モンゴルの公立学校は基本的に番号で区別されます。

ここは、21番学校。理系、とくに医学系の進路を希望している生徒が多い、とのことです。


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おなじく21番学校の、5年生。

小学校から制服なんですね。

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ガラにも無く折り紙などを教えております。


ここは84番学校。日本語のほか、ドイツ語も教えられていて、音楽や舞踊の専門コースもあります。


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剣玉を教えています。

ひとつのことに集中する、という意味では、モンゴルの子供たちはすごいです。

ほかに遊び道具が無いからかもしれません。

日本は…モノであふれてますよね。


日本の今の状況は、子供が真剣になる機会を奪ってしまっているのではないか、と思うことがあります。


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教育実習生の指導なんかもしました。

本当は先生たちの役目なんですけどね。。。なんか、こうして仕事をちょこちょこ振られていました。


彼はデギー君といって、静岡の高校を卒業しており、日本語は達者です。

今は、通訳のような仕事をしている、と聞きました。いまでもたまにチャットをしています。

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これは、集団メイド喫茶…ではなく、卒業式です。

やっぱり外でやります。


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卒業式が終わり、各教室で写真撮影などをしています。

なんか、あれですね。一見、どっかの田舎のヤンキーみたいですね。


れっきとした卒業生たちです。

私の左側に移っているのは、ダルマーといって、とても勉強熱心だった生徒です。

今も大学で日本語を専攻しており、機会を見て日本へ留学したい、と言っています。


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こちらが、先生方を対象にした勉強会の様子。

このときは教育学部の学生たちも来てくれたので、これだけの人だかりになっています。

ふだんはもっと少ないんですよ 笑


このときは、「読解教材の指導法について」というセミナーを行いました。



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こちらも勉強会のひとコマです。

せっかく日本人が来ているのだから、ということで、日本文化紹介なんかもやっていました。


私は空手道の初段を持っているので、こうして空手講座などを。。。


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書道の講座です。

みなさん、真剣ですね。



…と…


まぁそんなふうに、日々をすごしておりました。


けっこう日本に帰ってきてから、


「協力隊って、どうでしたか。」


というような質問をされることがあります。


でも、、、


うーん


「協力隊」とひとくちにいっても、いろんな職種があるし、国も違えば地域も違います。


同じ国、地域でも、職種によって、何をするかは違います。


それと、「運」みたいなものもあります。


なにが「運」かというと…



派遣先へ行って、歓迎されるかされないか、という運です。


心待ちにしているところもあれば、そうでないところだってあるんです。実際。



モンゴルに同じ時期に出かけた同期だけを見ても、


「よく来てくれた!」と歓迎された仲間もいるし


「やることが何も無い」という人もいる。


モンゴルに来てから、「やっぱり、来なくていい」と配属先に言われ、3ヶ月待ってようやく行き先が決まった人もいる。


大切に扱われて、毎日昼ごはんを出してもらっている人もいれば


仕事に来なくても何も言われない人もいる。



千差万別なんです。



でも


いや、


だから、なのか。



自分で動かないと、何もはじまらないなぁ、というのは、いつも思っていました。



昨年末あたり、けっこう仕事がつらかったときに、ふと、日本の友人にメールを送りました。




「じぶんとなんの関係も無いところにでかけていって、何かを変えようとする、って、難しいよ」




無意識のうちに、そんなことを書いていた自分にびっくりしました。


そうですよ。


難しいんです。



でも、


「変えよう」 じゃなくって


「変わろう」 とすることなら、できる、と思いませんか。



私は、高校時代、ガチガチに厳しい応援団に所属していましたが、先輩からはいつも


「がんばっていないやつに「がんばれ」と言われても、何もうれしくなんかない。そんなのは応援団じゃない」


と言われていました。




誰かを変えようと思ったら、自分が変わらないと。



誰かを笑わせようと思ったら、自分が笑わないと。



誰かに夢を持たせたかったら、まず、自分が夢を持たないと。




まず、自分が動かないと、周りは変わっていかないんです。



「協力隊って、どうでしたか」


そう、問われたら


「自分が変わって、周りが変わるきっかけをつくるみたいな仕事じゃないかな」



そう、答えるようにしています。




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同期です。

音を出さなければ、音楽ははじまらない、ですよね。


明日は、「新モンゴル高校」という学校と出会い、そこですごした1ヶ月のお話をしましょう。





目の前の現実と 僕の理想が いつか 重なるかもしれない。


トータス松本『花のように 星のように』



お話しする時間は、65分と言われており、「まぁ、そんくらいだったら、そんなに疲れないんべ」と思っていたが、予想以上に部屋が広く、しかもなにを血迷ったか、マイク無しで話していたので、だんだん疲れてくる。



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講演前。


いやぁ、こうみると、広いなぁ。。。

後ろの方々、聞こえたかなぁ。



さて、今日は、首都・ウランバートルのお話。



銀行の金利が年10%を超えるほどの経済成長のただなかにあるモンゴル。

昨日までは田舎の紹介でしたが、今日は、その経済成長まっただなかの、ウランバートルについて、ちょこちょこ説明していきます。


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街の中心にある、スフバートル広場。

ロシアを中心に、社会主義だった国は、街の中央にこうした広場が設けられていることが多いですね。

左端に見えるのが、国会議事堂兼内閣みたいなところです。

左端の階段を昇ると…



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朝青龍様が…

ではなくて


(これは54番学校という、彼の出身校の入り口に飾ってある肖像画です。夜になるとうごくみたいですよw)


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かのゆうめいな、チンギス・ハーン様が。

彼が統治していたころのモンゴルって、史上最大の統一国家だったらしいですよ。知ってました?

・・・まぁ、ユーラシア大陸のほとんどですからね。そりゃそうか。

日本にも押し寄せてきましたしね。元寇。


ちなみにここはモンゴル有数の写真スポットです。


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前述のスフバートル広場となりには、こんな現代的ビルもあります。

ちなみにこのビルの1階には、ルイ・ヴィトンやHUGOBOSSなどのブランドショップが入っております。


一度だけ入ったことがありますが、警備員に警戒されました。

…いつも貧相な服を着ているからですね…

そろそろ大人の服装をしないといけない年かなぁ。。。(大晦日で30歳になります)



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ウランバートルのまちなかです。

東南アジアでは、交通手段はカブとか、バイクが多いですが、氷点下30度があたりまえのモンゴルでそんな乗り物に乗ったら、みんなもれなく凍死しますね。

ですから、モンゴルは、車であふれています。

それも、日本→中国→モンゴルという経路できた車ばかりなので、古いし、排気ガスも半端ないです。


これに加えて、火力発電所の煙、そしてゲルに住む人たちの出す煙のせいで、ウランバートルの冬は、大気汚染がひどいことになっています。

盆地、ということもその要因のひとつです。


なんでも、「世界でもっとも大気汚染のひどい首都」のお墨つきをいただいているようですよ。


確かに冬は、煙煙煙です。

このブログの左に、ウランバートルの気温が出ていますが、天気が


smoke


になっていることが多いの、気づきました?

天気が 煙 って…どういうことでしょうか。。。



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私の住んでいたアパートです。


よく、知人に、モンゴルに行っていた、というと、

「ゲルに住んでいたの?」

と聞かれますが、れっきとしたアパートです。

暖房設備もしっかりしていて、冬でも室内は20度くらいに保たれていました。


正直、日本の我が家よりもモンゴルのアパートのほうが断然暖かいです。

というと両親に怒られますがw


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すこし話がそれますが、建築中のビルがあったので、写真を撮ってみました。

なぜかというと…


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なに・・・この作り方・・・


いや、まだまだ技術レベルはこんなもんなんです。

改善の余地はまだまだ・・・というか、改善の余地しかないですね 笑


さて、そんなわけで


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いまは、ちょうどこんな感じでしょう。

モンゴル最大のデパート「ノミンデパート」前です。


最大のデパートですが、トイレに紙はありません 笑



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ビルが立ち並ぶ一方で、ゲルもあり、家畜もいるウランバートル。

貧富の差はとても大きいです。

今後、どうなっていくのでしょうか。

できれば、来年の夏にもう一度訪れたいと思っています。



以上、首都・ウランバートル編 でした。


明日は、青年海外協力隊の仕事についてのお話をしていきます。


この辺から、ようやく開発っぽいお話ができるかな、と思っております。



では、また明日。





一緒に見た空を忘れても 一緒にいたことは忘れない



講演メモ無しでガツガツとお話を続ける私。


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まだ前半。まだまだ力は有り余っております。


今日は、


モンゴルの自然と人 ~冬・お正月を祝う編~ をお送りします。


夏は20度から30度、しかし日本と違って湿気の少ない乾燥した気候なのでだいぶすごしやすいですが、


冬は…


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日中でもマイナス20度…


晴れていて一見暖かそうに見えるかもしれないですが、


チョー寒いです。。。


しかも、緯度が高いため、朝は9時過ぎ、夜は4時くらいには、もう日が暮れます。。。


もっとも寒いのは12月と1月で(ちょうど今くらいですね)、昨年は12月のはじめにマイナス40度を経験しました。


寒いというか、もはや 痛い です。


一昨年はマイナス50度になったらしく、そのときに多くの家畜が死に、大変なことになったという話を聞いています。



さて、そういうわけで、これは2月のときの写真です。

モンゴルは日本のように1月1日がお正月ではなく、2月の決まった日を「旧正月」といって、祝います。

仲良くしていた友人が、正月の帰省にあわせて私を田舎へ連れて行ってくれる、ということで、お言葉に甘えてモンゴルの正月を体験してきました。


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彼の家です。

ゲルですね。そうですね。100%、ゲルです。


でも、この家の中は…


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こんなかんじ。

わりにちゃんとしています。

真ん中に、暖炉兼調理場のようなストーブがあり、そこでずーっと薪を燃やしているため、家の中はすごく暖かい…というか、暑くらいです(みんな半そでですよね)。


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友人のダヴァー君です。もちろん左です。

この顔で20歳です 笑 (ごめん、ダヴァー…)


彼は、モンゴル国立大学(日本で言う東大の位置です)で法学を学んでおり、この夏には名古屋大学へ研修にも行ったエリート。将来は日本の大学院で学びたい、と一生懸命勉強しています。


日本語の勉強を始めたのは大学に入ってから、ということでしたが、とても上手です。

すごいですね。。。


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ふたりで街を散策することに。


彼の実家は、ウブルハンガイ県にある、アロバへールという街。


れっきとした 県都 でございます。これで県都です。


家々の上に煙のもやがかかっているのが見えるでしょうか。

ゲルが出す煙がたまって、冬は街中こんなかんじになってしまいます。


小さな街でこんな上京ですから、人口の半数が集中しているウランバートルの冬は、ほんと、すごいです。

ゲルの煙に加えて、車と発電所…(このへんはウランバートル編で後述します)


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お正月なので、お寺に行きました。

同じ仏教でも、日本と違いますね。


モンゴルはチベット仏教の流れを汲んでいるので、そちら側です。密教系になるんでしょうか。

いずれにせよ、日本の大乗仏教とはすこーし違います。


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友人のダヴァーのお姉さんが、近くで遊牧の暮らしをしているということで、ちょっと遊びに行きました。

この子達は、お姉さんの子供や近くに住んでいる子供たち、でしょうか。

お正月なのでみんな集まっています。


このとき、マイナス20度。寒くないのかなぁ。。。


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家族写真…ではなく、乗馬しているのは私です。

民族衣装のデールを着ています。

すっげ寒いです。


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乗馬も、慣れたものです。

モンゴルの馬は、


「チョー、チョー!」といってわき腹を蹴ると動き出します。たまに従わないのもいますが。


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牛舎です。

基本は遊牧の生活ですが、冬の寒くて食料の無いときなど、最近はこうした牛舎を作って、家畜を保護しているようです。

寒さで家畜が死なないように、という配慮ですね。

年々、近代化もすすんでいくわけですね。


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ここまでくると日本とさほどかわらないですね。

余談ですが、来年度から私が住む、群馬県群馬町にはこんなのがいくつかあります 笑


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牛舎前にたたずむ女の子。

いいですねぇ。


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中央にいる私を除けば、家族写真の出来上がりです。



正月の行事、親戚、知人がいれかわりたちかわりやってきては挨拶をし、ご飯を食べ、酒を飲み…


そういう、人と人との関わり合いがあって、僕らの生活は成り立っているんですよね。


いろいろ勉強になりました。寒かったですけど。




明日は 首都・ウランバートル ~人口集中の首都の抱える問題~ について、お送りします。



このペースだと、1週間以上かかりますね。。。

今年中に終わらせます。

乞うご期待~~




このwinter song, どっかで聞いたことあるな。。。


Boyz Ⅱmen ver.


終点なのに降りますボタンを押した恥ずかしさで足早にバスを降りたせいで大事な荷物をバスに置き忘れてしまったアホな私。


しかし、講演の時間は着々と迫ってくる。


休憩スペースのようなところで、交通費なんかの事務的な書類を記入しながら



「ま、どうにかなるんべ」



と腹をくくり、もう一度、何を話すのかをさらっと確認。



実行委員の皆様と少し話したり、ちょっとした知り合いと話したりするうちに、時間はやってきました。


バスでのバカ話から始まり、

オープニングソングは、モンゴルの民謡「渡り鳥」


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オープニングソングは必要ですよね。

(当初は「モンゴルの歌です」とか言ってモンゴル800の「小さな恋の歌」でも歌おうかと思っていたんですけど、やめました。。。)


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さて、講演開始。話すとアツくなるんではじめっから半そででございます。



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モンゴルの草原。

人口約300万、国土は日本の4倍のモンゴルの人口密度は、人口1億2000万の日本と比べると、160分の1です。

しかも、首都・ウランバートルに人口の半分以上が集中しているので、ウランバートル以外はどこもこんなかんじ。


中国・ロシア・それとカザフスタンに国境を接していますが、関係が深いのはロシア。1990年に民主化するまでは社会主義国で、戦時中はロシアの属国のような扱いを受けておりました。

現在でも、モンゴル語の表記はキリル文字といって、ロシア語が使用している文字を使っております。

しかしながら、モンゴル伝統のモンゴル文字という縦書きのものもあり、民主化から20年を経た今、初中等教育の現場では、モンゴル文字が教えられています。


ナショナリティの確立に当たって、言葉、文字、というのは、やはり大切なものなんですね。


モンゴルは、ノモンハン戦争で日本(満州)と戦ったこともあります。

この戦争は、ハルハ川流域の国境線を決める戦争でした。

遊牧民であるモンゴル人にとっては、東西にかかわらず川の流域は大切な場所。

しかしながら、遊牧生活を知らない日本側は、単純に川を国境線として使いたがった。


だたっぴろい草原のどこに国境線を引くか、という問題で、何千何万という人の命がなくなりました。

なんというか残念ですね。

村上春樹さんが「国境・辺境」だったかな、というエッセイでこのへんのことを書いています。



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らくだです。


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ここで使った写真は、夏に7日間の旅行をしたときのものです。

ギターを抱えているのが、ヒロ君。広島から来た旅行者で、ともに7日間(いつのまにか8日間になりましたが)をすごした友です。

ツアー代は、6泊7日、食費などすべて込みで、330ドル。現在のレートで2万6千円程度でしょうか。

格安ですね。



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乗馬ならぬ、乗らくだ。

ヒロ君の後方(顔の左)に見えるのは、トイレです。

夏はいいんですが、冬、トイレに行くときは「うしっ!」と気合を入れないと行かれません。

なんせ、マイナス30度…ですから…


あと、夜にトイレに行くときは注意。穴を掘って、木の板を渡してあるだけなので、注意しないと落ちます。

人が落ちずとも、携帯とか落とす恐れがあります。


トイレに携帯落としたら…へこみますよね…


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滝です(みりゃわかります)

そして私と一緒に写っている少女は、私の隠し子…ではなく、ツアー会社の社長の娘さんです。

なんだかわからないけど、私たちのツアーに一緒についてきました。


ツアー客の中で私が唯一モンゴル語が話せたので、この娘はずーっと私とヒロと一緒に行動し、いつのまにか

「モンゴルの女の子とすごす7日間ツアー」みたいになってました。

ま、オセロで遊んだり、ボール遊びしたり、ヒマしなかったので、結果的によかったです。

ウヨン(この娘の名前)、元気かなぁ。


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羊の乳搾り。

遊牧民たちは、夏は主に乳製品を摂って生活しています。

モンゴル人の主食は、乳製品、肉、小麦粉、です。塩で味をつけたスープに入れて食べるのが主流です。

飽きないんですかね。。。


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キャンプ場で、乗馬をしました…が、乗馬の指導に当たったのが、この少年2人。

おニーちゃんが13歳、弟が10歳、かな。

たぶん、私がモンゴル語しゃべれるのでこうなったと思います。

他のツアー客には大人がついていましたから。


でも、結果として、3時間という長い間、ほとんど自由に乗せてくれたし、草原を駆け抜ける体験もできたので、すごくよかったです。


少年たちは、夏休みということでこのキャンプ地で過ごしていて、9月になったら学校のある町へ帰るのですが、ここにいる間は、遊び道具といえば、馬だけなんですね。

自然が、遊び場。

日本の子供たちとは考えていることがまったく違うだろうなぁ、と思いました。


人以外の生き物が当たり前に家の周りにあって、それと調和しながら生きる。

そうあるべきなんですよね。


そして


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夕飯は、その場でさばいたヤギの石焼。

前述のウヨンとボール遊びをしていると、ヤギの断末魔が聞こえたので、行ってみると、殺されて皮がはがされているところでした。


モンゴルでは、家畜を殺すとき、「血の一滴も、無駄にしない」とよく言います。


のどを掻っ切ったあと、手を突っ込んで動脈を引きちぎり、血も内臓も、煮て食べます。

すべてを有効利用。エコです。


このヤギ(もしくは、羊)の殺したて石焼料理を「ホルホグ」といって、もっとも豪華な料理のひとつです。



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ヤギの肉に舌鼓をうつ、ツアー客ら。


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ウヨンと川遊びをしているうちに


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草原の夜。

神秘的な色に包まれていきます。


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翌日は、湖へ。

モンゴルは大陸性気候で、年中乾燥していますが、中央部にはさきほどの滝やこうした湖がみられます。


湖といえば


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犬神家。

アホの本領発揮。


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途中から旅を共にした、スイス人のマイケル。

妻のアニクと世界一周中、ということ。

「人生はいっかいきりなんだから、やりたいことをやらなかったら、もったいないよ」


世界一周しているひとたちは、決まって、そういうようなことを言います。

そうですよね。

人生は一度きり、という、単純で当たり前の事実を、われわれ日本人はどこかに忘れてきているんじゃないか、と思うことがままあります。


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旅の最終夜。

湖のほとりで、記念写真。


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一生のうちのどれだけを、こうしてゆーっくりと過ごすことができるんだろうか。

たまには、こういう時間も必要なのかもしれないですよね。


以上、夏のモンゴル 草原編 でした。


明日は、冬のモンゴル 正月のお祝い編 をお届けします。















旅に出よう。 荷物は、なにもいらない。

たまには本のレビュー以外のことも書きましょう。


9月に日本へ帰国してから、早3ヶ月。

来年4月からの仕事も早々に決まり、その流れで請け負った12月までの仕事もなんとか任期を終え、1月からはじまる「世界青年の船」の仕事までもまだ少し時間があるという、ちょっとぽっかりあいた年末年始。


「世界青年の船」のつながりで、


私、中野靖之


京都にある


立命館大学で


講演会なんぞを


してまいりました。(おぉ!)



いままでも、新宿のオリンピックセンターや、所沢の中央公民館で、モンゴルのお話をしてきましたが、大学の構内で、ちゃんとした要請を受けて、の講演ということで、ちょこちょこ準備もして、小一時間ほどお話をしてきました。


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これが、チラシ。なんかすごいっすね。



わりにいい内容だったと思いますし(自画自賛かっ!)、ちゃんとオチもついたので(オチ製造機みたいな人間ですから…)、このブログで、講演会覚書みたいなことをつづっていきますよろしくおねがいしますどもども。



そういうわけで


中学校以来となる


新幹線に乗って


熊谷を出発。一路、京都を目指します。


道中には、私の来京を祝福するかのように


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ん??


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虹だっ!!



静岡から浜松あたりのところで、きれいにアーチを描いた虹を見ることができました。


昼前には京都に到着。


改めて、話す内容を、レジュメを見ながら確認、加筆、再考、を、駅近くのドトールでもくもくとこなす。


途中、おばーちゃんが目の前に座りだしたので、ちょっと世間話なんぞをしつつ、それでも黙々とこなす。



2年ぶりにあう友人と昼ご飯をたべ、講演内容を確認するようにしゃべる。


友人は「このレジュメ、めっちゃええやーん!」といって、私のメモがある原稿レジュメのメモを写しだす(汗)




16時前に、宿泊先のゲストハウス着(すません、このへんは写真がありませんm(__)m)


2段ベッドの上を割り当てられるが、下で寝ていたイタリア人と会話するうちに仲良くなり、


「バス乗るのかい?俺はもう今日はでかけないから、一日乗車券あげるよ」


と、バス乗車券ゲット!



浮かれ気分でバス停に行くと、立命館行きのバスが、まさに発車したところ!!


久々に英語を使ったことで、日本にいる感覚が薄れ、すでに発車しているにもかかわらず、バスのドアを叩いて


「乗っけてよ!」


とサインを送る。



しかし、ここは、日本。軽く運転手にあしらわれ、次のバスを待つことに。



「浮かれてちゃ駄目だ。講演はこれからだ。気を引き締めんと!」



と、次のバスに乗車。しかし、いっこうに立命館につかない。


金閣寺を過ぎ、バスのアナウンスが


「次は~立命館大学前~~」


というのを聞こえた瞬間、「降ります」ボタンを押す。


しかし



終点だった。



恥ずかしさを押さえ、バスが停まると同時に足早に降りる。


そこで待っていてくれた、講演会の実行委員の方と、会場へ。


しかし



東京とモンゴルからのお土産を、バスに忘れてきた。



しかも



土産袋のなかに、講演メモをしまくったレジュメを入れたままだった。



さぁ、絶体絶命だ。


どうする、俺!?



会場となる建物の入り口には、



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こんな大きい看板がっ!!


逃げられない!!


でも講演メモない!!!!!!!!




もうすぐ30歳、そろそろ大人の余裕も出てこなければならない私、余裕なしの状態で、講演会まであと30分…




乞うご期待。



とりあえず、京都、ということで。


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