今回はルドルフ・シュタイナーの著書「バガヴァッド・ギーターの眼に見えぬ基盤」
の簡単な概要と紹介を書かせていただきます。
最初にネットの紹介文です。↓
古代以来の霊的伝統を担う『バガヴァッド・ギーター』の世界。
その秘教的なメッセージを私たちの現在に読み解く、
シュタイナー人智学の真摯な思索。
19世紀以来の閉塞した唯物論の時代の危機をどう乗り越え、
真に自由な個体主義を貫くことができるか。
古代の叡智に寄り添いながら、人生の意味と霊的体験の奥行きを問い直す試み。
数多ある連続講義の中でシュタイナー自身「このうえない充実感で満たされた」と
述べるように、本書はシュタイナー思想のなかでもひときわ特別な位置を占める、
迫真の現代文明批判となっている。
前回の「バガヴァッド・ギーターとパウロの書簡」を踏まえた内容です。
ですので、前回の著書ではギーターに登場する用語の解説がありましたが
今回の著書では省略されています。
*「ギーターとパウロの書簡」を未読で、「ギーターの眼に見えぬ基盤」を読むと
理解が難しいかもしれません。
おおまかな内容説明としてはギーターの解説をしつつ、
古代人と現代人の意識状態の違いや比較などが説明されています。
簡単なギーターに関する用語です(前回と同じ)↓
●バガヴァッド・ギーター
東洋(インド)で約2200年~2500年前に成立したとされている
ヒンドゥー教の聖典の一つ。
王子アルジュナが神クリシュナから教えを受け、苦悩しながら同族と戦争をする物語(詩)
●3つのグナ
魂が外側の物質原理よりも優勢(圧倒している)状態を「サットヴァ」、
逆に魂よりも物質原理のほうが優勢な
(魂の表現が肉体に妨げられている)状態を「タマス」、
魂が優勢であるのでも、肉体が支配しているのでもなく
サットヴァとタマスの均衡が保たれている状態を「ラジャス」と呼びます。
これらの状態を3つの「グナ」と呼びます。
見霊能力が高い状態から順に、
サットヴァ→ラジャス→タマス となり
低い状態がより物質に没頭している状態と考えていただけるといいと思います。
前回の「ギーターとパウロの書簡」が
1912年12月~翌年1月までの講演内容でした。
今回の「ギーターの眼に見えぬ基盤」は
1913年5月~6月までに行われた、全9回の講演内容になります。
今回は全体を通してギーターに関する内容なので、
各講演ごとの簡単な内容を目次のように書かせていただきます。
賛否分かれる箇所もあると思いますが、
Rシュタイナーが述べている内容に沿って記載します。
■第一講
古代人の意識は皆サットヴァの状態で、
あの世・霊界と呼ばれている領域は当然のように或るという認識だったと
述べられています。
古代人は自分個人のことを「わたし」とする認識はありませんでした。
集合魂によって血族全体・一族全体のことを指して「わたし」という認識でした。
アルジュナにとって同族と殺し合いの戦争をすることは、
自分自身と戦争をする認識ということになります。
■第二講
魂を深く震撼させられるような体験が霊界参入へのキッカケとなると
述べられています。(経験ある方いらっしゃると思います。)
アルジュナにとって同族との戦争が、そのようなキッカケとなり
ギーターの詩には、そのことが上手く組み込まれているとシュタイナーは語ります。
クリシュナがアルジュナにした教えの一つが、論理的思考・抽象的思考でした。
古代人には抽象的・概念に関する認識や表現が無かったとされています。
抽象的の反対が具体的になります。
もし現代人が散歩していて、空に「鳥」が飛んでいるのを見たら
「あ、鳥だ」と思ったりしますが
古代人には鳥という抽象的な認識や表現が無かったため、
「あ、スズメだ」、「あ、ツバメだ」というような具体的な表現になります。
クチバシと翼があって羽毛が生えている空を飛ぶ生物は鳥だ、
という概念という考え方も無かったとされています。
同様に「木」や「草」も抽象的な表現になるので
古代人の場合は「サクラ」、「クローバー」というような具体的な表現になります。
■第三講
睡眠状態の際に現れる夢意識に関して述べられています。
関連する内容が
Rシュタイナーの著書「いかにして超感覚的な世界の認識を獲得するか」
にも記述されています。
夢には起きている際の日常意識が反映されており、
日常精神の共感と反感を克服し、自己意識を強化することで
夢に変化が起こると述べられています。
このこととアルジュナの内的な経験とを照らし合わせた解説がされています。
■第四講
第三講の夢意識の内容を深く掘り下げた説明がされています。
日常意識の持ち方、偏見や推測で考えるのをやめ
事実として分からないことは分からないままという態度でいることで
事実の方から近づいてくるというような話などが述べられています。
■第五講
脳に関する内容が述べられています。
ここ400年の間(講演が100年前なので現在だと500年)で
外的には確認できない器官が、人類の脳に形成されたと述べられています。
現代は時代の転換期で、この器官の発達によって霊的認識ができるようになり、
自己意識の進化が起こると述べられています。
■第六講
見霊力のある人が知覚して文章などで表現している見霊的内容は、
物理的感覚表現では本来表現できないものを、
敢えて言葉で表現するとしたらというような具合で表現しています。
物理的感覚の延長で、見霊内容の知覚をイメージしてしまうと
誤りが生じてしまうので気を付けてくださいと述べられています。
ギーター内の、
「アルジュナが知覚したクリシュナ」の内容を転用して具体例が示されています。
■第七講
第三・四講の睡眠の内容が更に詳しく説明されています。
人間の起きている時と睡眠時で生態的に何が起こっているのかが説明されています。
この話から繋がって、
マタイ福音書のイエス少年の記述と、ルカ福音書のイエス少年の記述が
一致しない理由について述べられています。
(この内容に関しては別の著書でも述べられています。
この理由に関してキリスト教からの反発もあったようです。)
この少年キリストの話がクリシュナの話に繋がっていきます。
■第八講
ギーターをどのようにして理解しようと試みるか、ということが
講演当時の西洋人の感性を例に挙げて述べられています。
文章や言葉の意味だけではなく、実際に瞑想や行などによって自身で体感して
ギーターに共感して理解することが大切になります。
■第九講
第八講の終盤~第九講にかけて、
3つのグナ(サットヴァ・ラジャス・タマス)に関して詳細に解説されています。
第一講で述べられたように、古代人は自己意識を求めていましたが
現代は自己意識の時代の終わりにあり、
現代人は逆に自己意識を強めてしまっている状態だと述べられています。
3つのグナへの理解が、
自己意識を強めた為に苦悩する魂の救済に繋がるとされています。
クリシュナの教えの影響で下から上へ向かうことができるようになりました。
ただし、より完全になろうと努力することは正しいことですが、
自分自身の完成だけを求めて、
外部の進化に対して無関心に陥ってしまうことも考えられます。
このことをキリスト衝動が補ってくれていると述べられています。
ここから、様々な宗教のそれぞれの原理をとらえて考えるように促されています。
☆前回の記事も含めて、全体をおおまかにまとめますと・・
古代人は見霊認識はあったが個人という自己意識は、あまり強く無かった。
時代の流れで人間が唯物的な考え方になっていく中で
見霊認識は薄くなっていき、個人の自己意識が強くなっていった。
一方では唯物的にはなっても、見霊認識を高める宗教などの教えもあった。
現代は自己意識が進化した状態で、見霊認識も取り戻していくという
新しい時代への過渡期となる。
という説明になります。
Rシュタイナーは今回の連続講義を終えて、
この上ない充実感で満たされていると述べています。
*全体的に内容が濃いので一部分しか記載できず、かなり短くまとめてしまいました。
文章が上手にまとめられてない箇所もあると思いますが、ご容赦ください。
■付録 訳者:高橋巌氏の2019年9月、東京での講義
第一~九講全体の内容と要点を、高橋氏の感性で解説してくださっています。
全体を丁寧に解説してくださっているので35ページ程あります。
高橋氏は瞑想も学ばれているようで、瞑想に関する内容も述べられています。
*第九講までを読んだ際に、読み手自身の行や瞑想の学びによって
内容の認識が異なってくると思います。
自身が感じた事と、訳者が感じた事を
照らし合わせながら読んでみるのもいいのではないかと思います。
■高橋巌ノート
高橋氏は講演の内容をノートを取りながら読み、
繰り返し新しい気持ちで読み直してみることを推奨されています。
参考に自身が記載したノートが記載されています。
だいぶ簡略化してしまい、紹介しきれなかった内容もありました。
よければ参考にしてみてください。
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*2023.12.6 コメントに近況を追記しました。