以前、R・シュタイナー著書の「黙示録の秘密」に関して記載させていただきました。
この際は、一冊分の内容を一回分の記事に短くまとめた内容でした。
全体の内容を少しづつ、もう少し詳しく書いていこうと思います。
今回は八講目です。
実際の著書の40%程の文章量になるので、御了承ください。
一般的な見解などと異なる点もあると感じられる方もいらっしゃると思いますが、
ルドルフ・シュタイナーの解説に沿って記載していきます。
黙示録の秘密
1908.6.18~30 ニュンベルクの講義 訳:西川隆範氏 日本版1991年発行
▽目次
①ヨハネ黙示録とキリスト教の秘儀参入
②秘儀参入の本質・第一の封印と第二の封印
③七つの教会への手紙
④七つの封印
⑤宇宙と人類の進化・24人の長老とガラスの海
⑥レムリアとアトランティス・ゴルゴタの秘蹟
⑦善なる人種と悪しき人種
⑧七つの封印の時代と七つのラッパの時代
⑨太陽をまとった女・七つの頭と十本の角を持った獣
⑩七つの意識、生命、形態の進化・怒りの鉢
⑪666・バビロンの没落・新エルサレム・ミカエルと龍
⑫第一の死と第二の死・新しい天と新しい地
ルドルフ・シュタイナーは、これらの講演を行ったとき、
まだ神智学協会に属しており、
そのため「神智学 Theosophie」という言葉が使用されているが、それらの言葉は
彼独自の霊的探求、人智学的に方向づけられた霊学の意味で用いられている。
シュタイナー自身の後年の言により、
それらの言葉を「人智学 Anthroposophie」
あるいは「霊学 Geisteswissenschaft」と置き換えた。
ルドルフ・シュタイナー遺稿管理局という注記が、本書を訳するに際して
訳者が使用したルドルフ・シュタイナー全集版「ヨハネ黙示録」には記されている。
⑧七つの封印の時代と七つのラッパの時代
□前講までの解説と今回の解説を簡単に表にします。
地球の惑星進化は七つの時代に分類されています。
現在の時代である第五の時代は、更に七つの文化期に区分されています。
※第五の時代以外の時代にも各々七つに分類された時期があります。
1 ポラール時代
2 ヒュペルボレアス時代
3 レムリア時代
→レムリア時代の七番目の文化がアトランティス時代の基盤となる
4 アトランティス時代
→アトランティス時代の五番目の文化がポスト・アトランティス時代の基盤となる
→アトランティス時代の六、七番目の文化がポスト・アトランティス時代の中国文化の基盤となる
(洪水)
5 ポスト・アトランティス時代、又はアーリア時代: BC7227~AD7893(現在)
第一文化期:インド文化期 BC7227~5067
第二文化期:ペルシア文化期 BC5067~2907
第三文化期:エジプト・カルデア文化期 BC2907~747
第四文化期:ギリシャ・ローマ文化期 BC747~AD1413
第五文化期:ゲルマン・アングロサクソン文化期 AD1413~3573 (現在)
第六文化期:ロシア文化期 AD3573~5733
第七文化期:アメリカ文化期 AD5733~7893
→ポスト・アトランティス時代の第六文化期が第六の時代の基盤となる
(万人の万人に対する戦い)
6 第六の時代 第五の時代に封印された七つの封印が解かれる時代
→第六の時代の七番目の文化が第七の時代の基盤となる
7 第七の時代 七つのラッパとして表現される天界の音楽が響く時代
→第七の時代の最後に七つの怒りの鉢を放出する
※この後の文章で【万人の万人に対する戦い】の名称を【万人の戦い】と略します。
■二面的な自我
万人の戦いの原因は、利己主義の蔓延です。人間の自我は両刃の剣です。
自我が両刃の剣であることを理解しない者は、
人類と宇宙の進化を完全に理解することはありません。
一面では自我は、人間が自らの内で硬化する原因であり、
外的・内的双方のものを、自我に奉仕させようとします。
そして、人間の望みを自我を満足させる方向に向けます。
地球の共有財産の一部を自分のものにしようと努力し、
自分の領域から他の自我を追い出し、他の自我と戦おうと努力します。
しかし、他面では、自我は人間を独立させ、内的な自由を与え、人間を高めます。
この自我の中に、人間の尊厳は根拠を持っているのです。
自我は人間の中の神的なものへの萌芽なのです。
人間の自我が集合魂的なものから分化し、進化してきたものであることが
(前講までの解説で)明らかになりました。
何らかの全体意識の中に併合されようとするものは、弱さの産物です。
宇宙進化の中で自我を獲得した後、自我を失わずに、
宇宙的な使命のために何にもまして、自我を内化・神化させる力に向かって
努力しなければならないということを知っている者だけが、
自我というものを理解しているのです。
真の人智学的世界観は、
独立した、自由な自我の共同体、個体化された自我の共同体を目的とするものです。
自我が自我に対して自由に向かい合うのが、
愛を通して表現される地球の使命なのです。
強制された愛は完全な愛ではありません。
愛さないこともできるほど自由で、独立したものであるときにのみ、
愛は完全に自由な賜物なのです。
自らの自由から、愛を個的な存在として神に捧げることができるまでに、
自我を独立したものにするのが、神的な宇宙の計画なのです。
ごく僅かであっても何らかの仕方で人間が愛へと強制されうるなら、
それは人間を何かに依存させることです。
しかし、同時に自我は愛を見出すことができず、自らの中で硬化するなら、
人間を深淵に転落させようと誘惑するものにもなります。
そうなると、自我は人間を互いに分離させ、万人の戦いをもたらすものになります。
人生のあらゆる領域における、民族に対する民族の戦い、個人に対する個人の戦い、
階級に対する階級の戦い、性に対する性の戦いを勃発させるのです。
人生のあらゆる領域において、自我は争いの種となります。
ですから、自我はある面では最高のものへと導くことができ、
別の面では最低のものへと導きうると言わねばなりません。
キリスト・イエスは人間に完全な自我意識をもたらしました。
自我は黙示録の第一の封印に描かれているように、
鋭い両刃の剣として表現されねばなりません。
人間が意識を持って言葉を発することを学んだとき、
自我は最高のものへ上昇することも、最低のものに沈んでいくこともできます。
ですから人の子の口から両刃の剣が出ているのは、もっともなことなのです。
▽第一の封印の図(シュタイナー用語辞典掲載)
■時代は越えても、進化から停滞する人々
私たちは、第五の時代の第五文化期に生きています。
次の第六文化期の中から、
霊的世界をよく理解し、霊的認識から生じる友愛の心に貫かれた人々が出てきます。
この第六文化期から次の第六の時代へと生き延びる人々が選ばれます。
その後に続く、第七文化期は、熱くも冷たくもない生ぬるいもので、
万人の戦いを生きの延びはしますが、進化の原理を内に含まないのです。
現在の文化期もそうなのです。
現在の時代が七つの文化期から成っているように、
アトランティス時代も七つの分化段階から成っていました。
現在、私たちの分化の起源は、
移住してきたアトランティスの第五人種の人々の中にあります。
続く、第六、第七人種は大洪水を生き延びはしましたが、
彼らの中には活き活きと芽吹く力はありませんでした。
アトランティス時代の第六、第七文化は、第五文化に比べて硬化したもので、
二つの人種は進化の可能性を有しておらず、いわば爛熟した人種でした。
※爛熟・・物事が十分に発達しきって、すでに衰えの兆候さえ見える事やその様。
また十分満足して、飽き飽きするくらいである事やその様。
中国民族は、この爛熟した人種たちの子孫たちです。
アトランティスの第六、第七人種は硬化し、停止状態に陥りました。
中国文化はその遺物なのです。
古代中国文化は、アトランティス文化を継承した素晴らしいものです。
しかし、中国文化はアトランティス文化の頂点を超えることはありませんでした。
自らの内に留まり、作り出したものを変えず、ある限度を越えない、という
中国文化の特徴全てがアトランティスの特質に由来しているのです。
■マニ教原則
(第五の時代の)第六文化期は、
万人の戦いの後に現れる、進歩の原理、内的自由と友愛の原理を有し、
あらゆる種族と国家から構成された新しい文化の基盤になります。
それに対して第七文化期は生ぬるい者たちによって代表され、
硬化した文化として新しい時代に生き延びていきます。
万人の戦いの後、二つの人類の流れが存在することになります。
そして、万人の戦いの後、
善の流れによって、悪の流れを善へと導くことが重要になってきます。
互いに戦い、自我を外的な利己主義に没頭させることだけに努めた者たちの中から、
救うべき者たちを救い出すのが、万人の戦いの後の主要な課題の一つです。
このことを創造の計画の非情さ、人類を右と左に分ける計画とは見なさないで、
創造の計画の中の非常に賢明な部分だと見なしていただきたいのです。
悪が善から別れることによって、
善は強さを得るのだということを考えてみてください。
万人の戦いの後、
善は悪を時空の中に引き入れるために、可能な限り努力しなければなりません。
それは、今日でいう教育の任務というようなものではありません。
次の時代には、霊的な力を動きに移すことを理解するので、
悪を時空の中に引き入れる際に、霊的な力がともに働きます。
神秘的な世界の流れの中で、このようなことが用意されるのですが、
人々は最も深い神秘的な世界の流れを、ごく僅かしか理解しないのです。
悪への働きかけを準備する(善なる)者は、弟子たちに、
『人々は善悪について語る。
しかし彼らは、悪を克服することによって偉大な善が現れるために、
悪は世界の計画の中に存在しなければならない、ということを知らないのだ。』
と語ります。
万人の戦いの後、ある程度柔らかい体は、最後に改心し、
善に導かれる魂によって作り直されることが、まだ可能です。
善は悪を克服して成長したのでないのなら、そんなに偉大な善ではありません。
そうでなかったなら、愛はこんなにも強いものになっていなかったでしょう。
そのことは既に準備された弟子たちに、
『悪は創造の計画の中に根拠を有していない、と思ってはならない。
悪を通してはじめて、偉大な善があり得るのだ。』と、語られました。
このような教えによって魂の準備をされた者たちが、マニ教の弟子たちです。
マニ教徒たちは世界のはじめから善と悪という二つの原理があったと信じていたと
誤解されています。
そうではありません。
マニ教は未来において、悪を善に変えるためのものであり、
弟子たちは将来の受肉において、その課題を成し遂げることができるのです。
マニは繰り返し地上に受肉する高次の人物であり、
悪を改心させるために存在する人々の指導者なのです。
現在ではマニ教の原則は背後に引っ込んでいますが、霊的な理解が深まれば、
この偉大なマニ教原則は多くの弟子たちを獲得していくでしょう。
※マニ(AD216~276)・・・(R・シュタイナーによる解説)
後に聖杯の騎士パルツィバルとして生まれ変わりました。(聖杯に関する講義で解説)
21世紀の受肉において、キリスト教に輪廻とカルマの教えを浸透させます。
(イエスからキリストへで解説されていますが、キリスト公教には輪廻の教えがありません。)
聖杯の探求
■第七の時代
万人の戦いの後の文化は、今日においては
霊視者がアストラル界からのみ見ることができるので、七つの封印で表わされます。
その次の文化の段階(第七の時代のこと)は、
天界の音楽が響く本来の霊的世界からのみ知覚することができるので、
七つのラッパの響きで表わされます。
アストラル界はイメージや象徴の形で世界を知覚するように、
神界では、インスピレーションを与える天界の音楽の中で世界を知覚するのです。
私たちの地球の最初の二つの文化段階(ポラール、ヒュペルボレアス時代のこと)は
今日とは全く似ていないものです。
第三の文化段階には、今日のアフリカ、アジア、オーストラリアの間にあった
レムリア大陸で人間は進化を遂げていました。
レムリア時代の一番最後の人種の中に、小さな集団があり、その集団は
レムリア大陸から移住し、後にアトランティスの七つの人種の基盤を築いたのです。
そして、アトランティス時代の第五の人種が私たちの文化を築きました。
ポスト・アトランティス時代の第六文化期が、万人の戦いの後の文化を築きます。
そして、
第六の時代の最後の文化が、七つのラッパで暗示されているものを築くのです。
第七時代には、人間やその他の存在全てが、第六時代よりも更にはっきりした形で、
善と悪をその形態に表現されます。
既に第六時代の人間にとって、見る目を持った者に何かを隠すということは不可能で
悪は悪を表現し、善は善を表現します。
第七時代には、魂の中にあるものを言葉によって隠すことすら不可能です。
思考は無言で、隠されたままであることはできず、
魂は思考すると、その思考を外に発するようになります。
今日でも、秘儀参入者にとって思考はそのようなものです。。
第六時代は地上へと下ったアストラル界、
つまりアストラル界の模像・表現・啓示です。
第七の時代は地上に下った天界、つまり天界の表現です。
そして、地球は物質的進化の目的に達するのです。
■第七の時代の終わりに七つの怒りの鉢を放出
そして、地球はアストラル的な天体に変化していきます。
外的な物質的形姿の中に善なるもの、高貴なもの、知的なもの、美しいもの、
キリスト・イエスを表現するもの全ては、自らの内に有している物質的実質を、
ぬるま湯が塩を溶かすように、溶解させる力を持つようになると考えられます。
物質的なものは全てアストラル的な天体の中に移行していくのです。
しかし、それまでに、物質・体的なものの中に、
高貴なもの、美しいもの、知的なもの、善なるものを
表現するにいたらなかったものは、物質を溶解する力を持つことができません。
そのようなものは硬化し、物質的形態を留めます。
物質を溶解することができずに、
霊的なものへの上昇にとって不要なものを留めた物質球体を放出して、
アストラル的なものの中に生きる純粋な形態が上昇していくのです。
物質の中に硬化したものが放出されるまでに七つの時空が流れ、それを放出する力は
善なる存在を上方へと追いやった力に対抗するものになります。
諸存在は、キリスト原則を通して獲得される愛の力を
魂の中に受け入れることによって、物質を溶解することができるようになります。
魂は愛を通して暖かくなるほど、物質に集中的に働きかけられるようになります。
しかし、愛の反対物は、やはり七つの段階を通って、
地球の使命を成就できないもの全てを押し下げます。
神的な愛の反対物は、神的な怒りと呼ばれます。
これは決まった呼び方です。
愛が暖かいものになっていくように、もう一方では神的な怒りが成長していきます。
このような神的な怒りの働き、物質の放出は、ヨハネ黙示録の中では、
七つの神的な怒りの鉢の放出によって暗示されています。
次のように表象してみましょう。
地球も人間も物質の中でますます霊的になっていきます。
最も粗雑な部分は殻のように見えます。
たとえば、爬虫類やカタツムリが外皮を脱ぎ捨てるようなものです。
七つのラッパの響きの最後の時空に、いかに人間が精妙な霊化された体を有するか、
そして、自らの中に物質原理を硬化させた者たちが、
物質の構成要素をいかに自らの内に保管するかが霊眼に映じます。
七つのラッパで暗示された時代の後に、残留物として残る物質的な球体の中へと、
物質原理が殻のように落ちていくのが見えるのです。
■キリスト・イエスの福音
これがヨハネ黙示録が予言として与えているものです。
魂をもってこの予言に感情移入し、
そして、予言が私たちの意志に働きかけることが大切なのです。
(第五の時代の)第七文化期が過ぎると、
体は次第に、魂が内面で体験することを表現するものになっていきます。
人間が地上にある最高の福音、最高の教えを受け取ることによって、
体は善を表現するものになります。
体が食べ物を受け入れるように、
私たちはキリスト・イエスの福音を内面深くに、受け入れねばなりません。
単に悟性をもって受け取るのではありません。
現在の文化段階を越えて進化していくと、
キリストの福音はますます人類の内面に受け入れられていきます。
そして愛の福音を受け入れることが地球の使命であると見なされるようになります。
福音書の中に、愛の力が全て含まれています。
▽福音書に関する解説
■過去の惑星進化紀の力と叡智を相続した地球の使命
地球はかつての進化段階、月紀と太陽紀から力と叡智を相続しました。
現在の地球進化紀の前半を火星紀、後半を水星紀とも呼びます。(※前講で解説)
□惑星の七つの形態状態
1 土星進化紀
2 太陽進化紀
3 月進化紀
4 地球進化紀(現在)→前半を火星紀、後半を水星紀に分けられる
5 木星進化紀
6 金星進化紀
7 ウルカヌス星進化紀
火星は太陽の力の代弁者であり、強さをもたらすものです。
水星は月進化紀の遺産・叡智を地球に摂取させました。
地球自身はそこに愛をもたらす使命を持っています。
アトランティス時代の初期、人間は水の中で生きられるように作られていました。
アトランティス時代の中期になって、人間は水から離れて、陸地に現れました。
アトランティス大陸は水の浸透した空気に覆われていて、
この水空気の中に人間は生きていたのです。
後になって人間は空気の中に大地に立つことができるようになったのです。
地球進化を見渡して次のように象徴的に語ることができます。
アトランティス時代の中期まで、水が与える火星の力について語ることができ、
その後に、陸が支える水星の力について語ることができます。
地球進化全体において人間は二本の柱によって支えられている、
と表現することができます。
黙示録の第四の封印の図に象徴的に描かれた二本の柱は、地球の使命の二つの部分、
人間が以前から相続した二つのものを表わしています。
その二つの柱の上に、地球そのものを通して到達されるもの、
すなわち、この遺産に支えられて生き、崇高に開示される愛が象徴されています。
▽第四の封印の図(シュタイナー用語辞典掲載)
二つの力に支えられ愛の力に浸透された未来の人間が象徴的に描かれているのです。
未来の人間が持つ、愛の福音である本は、
外から働きかけるだけでなく、飲み込まねばならないものです。
ここで、私たちは力強いイメージに出会います。
『そして、私はもう一人の天使が霊的な領域から下ってくるのを見た。
その天使は雲をまとい、その顔は太陽のようで、足は火の柱のようだった。』
と、霊視者には見えます。
これは地球が相続した二つの力です。
『そして、彼は手の中で小さな本を開いた。
そして、彼は右足を海の上に置き、左の足を地の上に置いた。』
そしてヨハネは天使に、『その本を下さい。』と言いました。
『すると、彼は私に語った。取って飲み込みなさい。
それはお前の腹を痛ませるが、お前の口の中では蜂蜜のように甘い。
そして、私はその小さな本を天使の手から取り、飲み込んだ。
そして、それは私の口の中で蜂蜜のように甘かった。』
これが、地球が物質的な状態から霊的な状態へと移行し、
地球の使命が果たされた時点に眼差しを向けるときに霊視者の中に現れる感情です。
霊視者はこの様子を見て、今日、既に、人類にとっての至福とは何かを学びます。
とはいえ、仮に高次の存在が人間と共に生きようとしても、肉体の中に
受肉しなければならないため、霊視者は今日の体の中でそのことを学ぶのです。
そして、今日の体は精神に高く上昇する可能性を提供することを通して、
苦悩する可能性をも与えるのです。
霊視者の魂は愛の福音を受け取るために霊的な領域に上昇し、
霊においてその至福を蜂蜜のように甘く感じる事もできるのですが、
今日の体の中に生きているために、
多くの苦痛も経験することが黙示録に描かれています。
そのことを、小さな本は蜂蜜のように甘かったが、
飲み込んだとき、胃がひどく痛んだ、と表現しているのです。
しかし、それは『体の中で十字架にかけられる』ことの微かな反映に過ぎません。
精神が向上すればするほど、体の中に住むのは困難になってきます。
この苦痛の表現が、『体の中で十字架にかけられる』ことなのです。
*講義の後半の、一講あたりの頁数が前半と比較して少し多いので、
内容をまとめるのに、ここまでよりも少し日数が必要になると思います。
よろしくお願いします。




