自分と自分。
最近になって、やっと『素直な自分』を認めれるようになった。
これまで生きてきたのを振り返っても、どこか強がっていた、強さを装っていたように思えた。
悩んだ。苦しんだ。ってか、こんなこと言葉に本来なら出すべきじゃないんだろうけど・・・
でも、今悩んでる自分も自分だし、他の誰でもないんだ。
そう考えたときに、自分は自分って純粋に思えるようになった。
ウソをついて生きていくのは難しいんだ。
確かに、自分を偽らなくちゃいけないときもある。
でも、 それさえも認められますか??
言ってることがよくわかんないかもしれないけど、
全ては自分で出来ていて、ウソをついたらしんどいことも自分は知っているんだ。
ちょっと、自分が好きになれました。
自分のすべきこと。
考え込んでしまう性格です。
自分が言うべきやと思ったことは言う男です。
軽はずみに発言してしまうことがあります。
でも、自分は偉大な人間でもないし、
自分が誰かの上に立つべき人材だとも思っていません。
例えば、世界を見渡したときに、
他でもない私という人を必要としてくれているのって、世の中にどのくらいいるんでしょうか。
多分、3人もいないでしょう。
でも、本当の意味での『誰か』を必要としている人って、
多分、何千万、何億といることでしょう。
その、『誰か』になるってことは、とても勇気がいると思う。
でも、それになることが、今の自分の宿命だと思う。
自分は、救世主なんかじゃない。
60億人の1人でいっこうにかまわない。
ただ、『誰か』が『誰か』を必要とするのであれば、
出来る限りのことはすべきだし、そこから傍観しようとは一切思わない。
逃げれるのなら、逃げるよ。
でも、逃げたくない。今まで逃げてきた自分が嫌いだったから。
だから、目の前にあることは、やろうと思う。
言うべきだと思うことは、言っていこうと思う。
人それぞれ考え方違うんだもん。食い違いも生まれるよ。
でも、その食い違いがないと、先へは進めないって。
一年って、短い。
そういえば、去年の明日もフェリーに乗ってました。
あの時は、本当に『冒険心』と『興味本位』で行ったあの島。。。
もう、あれから1年も経つんだって思ったら、時間ってやっぱり待ってくれないなっと思うんです。
多分、そんなことを来年も、再来年も言ってるんでしょうね。。。
今年一年で、自分に大きな変化があったと思います。
・自分にとって、初めて大切なものができました。
・自分本位の考え方が変わりました。
・人を理解しようという努力ができるようになりました。
・夢が出来ました。世間は納得しないと思うけど、それでもすべきことを見つけました。
・お茶のみ友だちが増えました。
・ギターを練習中です。楽しいです。
・自分のしょうもなさと、自分の価値のなさを知らされました。
でも、やっぱり一人じゃ生きていけないっていうことを理解できたことが一番の収穫だったと思います。
前略
前略
お元気ですか。
最近、朝と昼の気温差が大きくて、ちょうど、季節の移り変わりの時期ですね。
体調、崩していませんか。
体の弱いあなたのことが少し心配です。
あれから、3ヶ月が経ちましたね。
冬が去り、春も通り過ぎようとしています。
大学も、かなり忙しくなり、
毎日課題に終われる日々が始まりました。
忙しさのおかげか、あなたのことを考える時間が少なくなってきたように思います。
心の中も落ち着いてきて、今、自分のやるべきものの姿が浮き彫りになってきた気がします。
あなたの言うとおり、視野も広げて、いろいろなものを直視することが出来ることも身に付けました。
ただ、あの頃と違うことがあるんだ。
本気で笑ったり、心からうれしく思うことが少なくなりました。
やっぱり、あなたの笑顔が、ボクを世界一の幸せモノにしてくれていたんだろう。
でも今は、別の誰かが世界一の幸せをつかんでいるんだろうな。
もし、一生に一度だけ、願いが叶うのなら、あなたの世界一の笑顔を、ほんの少しでもいいから見たい。
ボクたち、気まずくなんてないよ。
遠慮しがちなあなたの性格、今でもわかってるつもりだから。
敬具
わが街をレポート☆☆
四季を大切にしている街、西宮。
春夏秋冬、それぞれを楽しむための行事と、さまざまな地域からやって来る人々、そして、それを迎える人々で成り立っている街だ。
春。
大学の多い西宮にはたくさんの新入生がやってくる。その学生を迎えるように、夙川の桜が桃色に染め上がる。
夏。
学生たちが帰省するころ、すれ違うように日本中から西宮に人々が押し寄せる。夏の高校野球、開始のサイレンが街中に響き渡る。
秋。
学生が文化祭の準備で多忙にしている頃、甲山の紅葉が色づき始める。
まるで、学生たちの気持ちを盛り上げようとするように。
また、去年創設された兵庫県芸術センターにも、たくさんの秋が顔を出すことだろう。
冬。
受験や試験で学生たちがあたふたしている頃、街中が活気に満ち溢れる。
クリスマスの夙川カトリック教会でのミサ。
大学アメフトの最高峰、甲子園ボウル。
そして、街中の人々が押し寄せる、西宮戎祭り。
そこで毎年行われる福男レースはあまりにも有名である。
そして、冬が厳しさを和らげた頃、また新しい学生たちがこの街にやってくる。
こうして、西宮は作られている。
極端と自分
最近、ちいさな自己嫌悪に陥っています。
とはいうものの、「自分の悪いところがいや」とか「自分の存在がいや」とか言うものではなく、
自分の良い所と言うか、なんとなく自分の好きなところを認めれない自分がイヤなんです。
訳わかんないと思いますが、そんな自分に最近嫌気感じてます。
最近、先輩に言われた言葉で、「お前って極端やな」っていうのが常に頭の中に回ってます。
極端って良いことなんでしょうか!?見方によって変わると思うけど、今は自分では嫌いな言葉です。
確かに、極端すぎるくらい極端です。でも、極端である自分を認めれないというか、認めたくないというか、そういう自分が一番キライです。
わかってるんです、極端なことくらい。でも、それさえも自分を正当化するために自分の中で黙っています。
でも、極端ってことは、何かに常に影響され続けてるってことですかね!?いいことなんでしょうか??答えの出ないメビウスの輪にはまった気持ちです。
考え込む性格です。しょうもないことに悩んで、結局結論が出なかったりする僕です。
でも、自分がなにかをすれば、きっと誰かが微笑んでくれる。それが僕が生きている最大の意味だと思う。
誰かの笑顔を作れるのなら、それで満足だ。極端でもかまわない。自分を認めてしまおう。
覚えていますか!?
覚えていますか、去年のこの日を。
覚えていますか、1年前から始まった僕たちの物語を。
覚えていますか、あなたを必要としていた僕のことを。
覚えていますか、あなたが必要としていた僕のことを。
僕は、今でも守り続けていたい。それが、僕の使命なんだから。
春なのです。
家族が4人に減りました。
別に、誰かが死んだわけじゃないけど、一生ともに生活できなくなりました。
人生20年もやってたら、色々あります。
今日、バイト先でずっと修行してた人の送別会でした。
辛いです、助けてくれてた人がいなくなっちゃうんで。
初春です。旅立ちの季節です。
別れしかない季節です。
でも、あと1ヶ月もすれば、
新たな人たちと出会い、ともに泣き、そして笑う、そんな季節になるんです。
ミスチルの『くるみ』じゃないけど、
やっぱり、出会いの数だけ別れは増えるんでしょうね。。。
それでも、別れは思い出と変わり、新たな出会いの糧へとなっていくんですね。
でも、それでも失いたくない人っていると思うんです。
だから、人間は努力しないといけないんですね。
そろそろ、桜が咲きます。
桜が散ることに、日本人は美学を感じます。
違います。一生懸命咲こうとしてる5分咲きくらいの桜に感動しましょう。
成長しようとしてる、子供たちを応援しようとするのと一緒で。
何気ないこと
水道をひねれば、水が出る。
スイッチを入れれば、電化製品が動く。
冷蔵庫を開ければ、食物がある。
こんな、僕らの当たり前のような生活。。。
なにげなく過ごす毎日で、こんな普段の生活の中にあることは、実は全く当然のことではないんだ。
昨日まで、ボランティアキャンプの島に行ってきた。
あの島では、いろんなことが学べる。
子供のためのキャンプのトレーニングのはずなのに、それ以上のものが自分の中で発芽するんだ。
普段、自分たちが当たり前のことだと思っていることは、実は全然当たり前じゃないんだ。
そうやって、甘えた日常の中で生きていて、それを当たり前と思ってしまう自分たちが怖い。
知ってますか!?世界には1億人もの子供たちが路上で生活してるってことを。。。
そんなことをどうとも思わない人間って、本当に心が凍ってるんじゃないかなと思う。
自分の今の生活を見直して、色んな事物に感謝して、生きていこう。
そうしないと、本当の本質が見えてこないと思う。
自分を偽っては生きていけないもの。
get back
今の自分と、昔の自分を比べたことありますか!?
人間は、時間とともに変化し、外見が変わり、そして内面も変わってしまうものです。
それは、いい意味でも、悪い意味でも変わってしまうもんなのです。
最近、自分が何者なのかわからなくなる時があります。
なにがしたい・どういう人でありたい・どういう風に人から見られたいとか、
そういうことを考えてしまうんです。
それは、今の自分への不満の他のなにものでもないと思うのです。
でも、そんな時、昔遊んでた裏の神社を散歩したり、中学のころの通学路、高校のころ毎日乗っていたバスに乗ったりしてみると、
不思議なことに、あのころの自分に戻れるんです。
そして、自分の変わってしまった面、今でも全然変わらない面、取り戻さなくちゃいけない面が見えるんです。
自分がどういう人間なのかわからなくなったとき、やっぱり思い出させてくれるのは、あの頃に流れた時間の場所なんだろう。
今、少しでも悩みや不安、自分の持ってるなにかがわからなくなったら、
一度、高校のころに毎日通った通学の電車に乗ってみようか。あの頃の自分に会えるから。