📜補遺②:聖餐とは何を分かち合うのか
イェシュアは、その生涯の中で何度も人々と食卓を囲まれた。
弟子たちと共に食事をし、
取税人や罪人とも食事をし、
そして十字架を前にした最後の夜も、
弟子たちと共にパンを裂かれた。
さらに復活された後も、
イェシュアは弟子たちと共に魚を食べ、
パンを裂かれた。
聖書を読むと、
食卓は単なる食事の場ではないことが分かる。
そこは交わりの場であり、
命を分かち合う場であり、
互いの信仰を確かめ合う場でもあった。
私はここに、
聖餐のもう一つの意味を見る。
それは単にパンと杯を受けることだけではない。
主と共に歩んだ恵みを分かち合うことである。
・神が自分にしてくださったこと。
・苦しみの中で支えてくださったこと。
・祈りに応えてくださったこと。
・赦しと憐れみを与えてくださったこと。
そうした一つ一つの証が、
食卓に集う兄弟姉妹の間で分かち合われる。
すると、その証は一人だけのものではなくなる。
聞いた者も励まされ、
共に神をほめたたえる者となる。
パンを裂くとは、
単に食べ物を分けることではない。
命を分けることであり、
恵みを分けることであり、
神が与えてくださった証を分け合うことでもあるのではないだろうか。
だから聖餐とは、
一人で完結するものではない。
主にあって一つとされた者たちが、
共に神の恵みを味わい、
その御業を喜び合う交わりなのである。
もちろん、
パンと杯はイェシュアの十字架と新しい契約を覚える大切なしるしである。
しかしそのしるしが指し示しているのは、
過去の出来事だけではない。
今も生きておられる主が、
私たちのただ中におられ、
共に歩んでくださるという現実でもある。
だから聖餐は、
神との交わりであり、
同時に神の民との交わりでもある。
🔥締めの一文
聖餐とは、ただパンを分けることではない。
主が与えてくださった命を、恵みを、そして証を互いに分かち合う、神の家族の交わりなのである。