第9章
王となる者は皆、断食を通る
王冠をかぶる前に、荒野がある。
高く上げられる前に、低くされる時がある。
人々の前に立つ前に、誰にも見られない場所で神と向き合う時間がある。
聖書に登場する、神に大きく用いられた人物たちの歩みを見ていると、この一つの共通点が浮かび上がってくる。
それは、
「用いられる前に、整えられている」
ということである。
もちろん、すべての人物が文字通り食物を断つ断食を行ったと聖書に記されているわけではない。
しかし、
荒野、
飢え、
孤独、
追放、
待機、
試練、
悔い改め、
そして自分の力ではどうすることもできない時間を通っている。
これらは、いわば「断食的な期間」と呼ぶこともできるのではないだろうか。
人は、力を持つと自分を大きく見せたくなる。
権威を持つと、自分の思いを通したくなる。
豊かになると、神を忘れやすくなる。
だから神は、器へ権威を委ねる前に、その器を整えられることがある。
「自分の力ではない。」
「自分の知恵ではない。」
「自分の王国ではない。」
そのことを身体と魂の両方で学ぶ期間がある。
断食もまた、その訓練となる。
食べられるのに食べない。
満たすことができるのに、あえて空けておく。
自分の欲求へすぐ答えるのではなく、神を待つ。
そこでは、人間の「自分で支配したい」という性質が静かに問われる。
王冠の前に荒野がある
ダビデは、油を注がれた直後に王宮へ座ったのではなかった。
サウルから逃げ、荒野や洞窟を転々とした。
王として油を注がれている。
しかし、まだ王座には座れない。
この
「すでに選ばれている。しかし、まだその時ではない」という期間が、ダビデを整えていった。
モーセも同じである。
エジプト王宮で育ちながら、荒野へ追いやられた。
四十年間、羊を飼った。
そして、神から召された後にも四十日間の断食を経験した。
王宮から荒野へ。
人の力から神の力へ。
支配する者から、仕える者へ。
神は長い時間をかけてモーセを整えられた。
ヨセフもまた、夢を見た直後に高くされたのではない。
穴へ落とされ、
奴隷となり、
牢獄へ入れられた。
しかし、その長い「地下の時間」を通った後、エジプトを治める者として立てられた。
人の目には遠回りに見える。
しかし神の御手の中では、それもまた準備であった。
王とは、自分を支配できる者
聖書が語る「王」を考える時、単に国を支配する人物だけを思い浮かべる必要はない。
箴言には、
「自分の心を治める者は、城を攻め取る者にまさる。」
という思想がある。
他人を支配することより、
自分自身を治めることの方が難しい。
怒り。
食欲。
性欲。
名誉欲。
金銭欲。
承認欲求。
これらに支配されながら、人を導くことはできない。
だから断食は、王となる者にとって一つの訓練となる。
断食とは、食物を敵とすることではない。
食欲という良いものでさえ、
「お前は私の主人ではない。」
と言えるようになる訓練でもある。
王とは、何でも手に入れる者ではない。
手に入れることができても、自ら手放すことのできる者である。
王の王もまた、荒野を通られた
そして、この流れの頂点にイェシュアがおられる。
イェシュアは公生涯を始められる前、荒野へ導かれた。
そこで四十日四十夜断食された。
悪魔はそこで、イェシュアへ世界の国々とその栄華を見せた。
そして、
「ひれ伏して私を拝むなら、これをすべて与えよう。」
と誘惑した。
これは、まさに「王国」をめぐる誘惑であった。
十字架を通らずに王となる道。
苦しまずに栄光を得る道。
御父を待たずに、今すぐ世界を手に入れる道。
しかしイェシュアは拒まれた。
王国より、御父を選ばれた。
栄光より、従順を選ばれた。
近道より、十字架の道を選ばれた。
ここに、真の王の姿を見ることができる。
王冠より先に、祭壇がある
※ここからは、一つの霊的考察である。
私は聖書の人物たちを見ながら、こう思わされる。
神は、人へ王冠を与える前に、その人の心へ祭壇を造られることがある。
そこで焼かれるのは、動物ではない。
自我である。
「自分が認められたい。」
「自分が一番になりたい。」
「自分の思い通りにしたい。」
そのようなものが、一つずつ神へ委ねられていく。
断食とは、その祭壇へ自分自身を差し出す時間でもある。
だから断食の目的は、王になることではない。
神へ従うことにある。
しかし不思議なことに、
神へ従うことを学んだ者こそ、人を導くことのできる者へと整えられていく。
王冠を求める者ではなく、
神を求める者。
権力を求める者ではなく、
仕えることを学んだ者。
自分を満たす者ではなく、
自分を空しくして神に満たされる者。
聖書に登場する「王となる者」たちの歩みを、一人ずつ見ていこう。
そこには何度も、
王冠の前に荒野があり、栄光の前にへりくだりがあり、満たされる前に空にされる時間がある
ことを発見するのである。
