第七章取扱説明書を読まない人々 | Truth Hawkのblog

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📜第七章
取扱説明書を読まない人々


私は時々思う。

人間ほど、
説明書を読まない生き物はいないのかもしれない。

新しい家電を買う。
新しいスマホを買う。
新しいゲームを買う。

説明書は箱の中に入っている。

しかし多くの人は、
まず説明書を読まない。

とりあえず触る。
とりあえず動かす。
とりあえず使ってみる。

そして壊れる。
分からなくなる。
エラーが出る。

その時になって初めて説明書を探し始める。

私は思う。

人生も少し似ているのではないだろうか。


説明書は最初から存在している

面白いことがある。

説明書は、
壊れた後に作られるものではない。

最初から存在している。

製造者が作るからである。

その製品を一番よく知っているのは、
利用者ではない。

製造者だからである。

どんな目的で作ったのか。

何に弱いのか。

どんな使い方を想定しているのか。

それを知っているのは設計者である。


利用者は勝手に使う

しかし人は言う。

「説明書なんか読まなくても分かる」
「俺流でやる」
「自分の好きなように使う」
そして故障する。

私は時々思う。

神と人の関係も、
少し似ているのかもしれない。


人間の設計思想

例えば車には設計思想がある。

ゲームにも設計思想がある。
スマホにも設計思想がある。

だから本来の用途から外れれば、
問題が起きる。

人間も同じである。

偶然発生した存在なら別である。

しかし創造された存在なら、
そこには設計思想があるはずである。

何のために造られたのか。

何が本来の目的なのか。
何が正常な状態なのか。

それを最も知っているのは、
創造主である。


聖書という説明書

私は思う。

聖書とは、
神学書である前に、
人間の取扱説明書なのかもしれない。

なぜ人は苦しむのか。

なぜ争うのか。
なぜ恐れるのか。
なぜ愛するのか。
なぜ死ぬのか。

そして、
何のために生きるのか。

その答えが書かれている。

もちろん全てが簡単ではない。

分からない箇所もある。

しかし少なくとも、
製造者が残した説明書なのである。


面白い現象

ところが不思議なことが起きる。

説明書を読まない人ほど、
製造者に文句を言うのである。

「なぜこうなった」
「なぜ壊れた」
「欠陥品じゃないか」

しかし説明書を見ると、
最初から警告が書かれていることもある。

それは少し滑稽でもある。


最後に

私は思う。

人生の問題の全てが、
説明書を読めば解決するとは言わない。

しかし少なくとも、
製造者が残した言葉を無視して、
製造者の意図を理解することはできない。

ゲームを作った人の考えを知りたければ、
作者の話を聞くしかない。

機械を作った人の意図を知りたければ、
説明書を読むしかない。

そしてもし、
人間を造った方がおられるなら、
その方の言葉に耳を傾けることには、
大きな意味があるのかもしれない。