〈読書は人生を開く扉――創価大学「池田文庫」をひもとく〉第11回 真の「世界市民」とは「心の束縛」を脱する力ある人間2023年11月21日
- 創価大学 田中亮平副学長
- 悩み――“青春の混沌”を越えて“大きな自分”を創れ
本年は、池田先生が創価大学で行った特別文化講座「人間ゲーテを語る」(2003年)から20周年。9月25日には創大で田中亮平副学長による記念講演があった。特別文化講座で池田先生は語った。「ゲーテは、20歳前後の学生時代に、詩人、作家としての骨格を築いていった。20歳前後は一番大事です。多くのことが、ここで決まる。私の体験からも、そう言えます。『自分自身の骨格を築く』ことが、学生時代、青年時代の一つの目的であることを忘れてはなりません」。なぜゲーテをテキストに選んだのか。「世界市民」という一言に込められた意義は――創立者の真情に迫る。
――田中副学長の専門は、ドイツ文学。文豪ゲーテと詩聖シラーの往復書簡集を翻訳し、著書には『時を超えた詩心の共鳴 ―ゲーテと池田大作―』(第三文明社)があります。創立者・池田先生の特別文化講座「人間ゲーテを語る」(2003年)にも立ち会われたそうですね。
田中 特別文化講座が行われたのは、ちょうど20年前の3月のことです。創価大学の教室で、創立者が演壇に座り、学生たちに語りかけるように講義が行われました。実は創価大学開学の2年前、創価学会の本部総会で創立者は「もし大学当局よりお許しをいただければ、文学論の講義をさせていただきたい」と希望を語っていました。
これまでも入学式や卒業式に講堂でスピーチをされることはありましたが、一般の教室で在学生を相手に文学を講義されたのは、初めてのことでした。創価大学の歴史の中でも特別な出来事だったといえます。
それ以来、「創立者は、なぜゲーテをテーマに選んだのか」を考え続けてきました。そこで行き当たったのが、創立者の『若き日の読書』です。
「一書の人を恐れよ。
書を読め、書に読まれるな。
自己を作る事だ。それには、熱烈たる、勇気が必要だ」
「冒頭の自戒の言葉は、私が昭和二十一年(一九四六年)から翌二十二年ごろにかけて、せっせと書きしるしていた『読書ノート』に見られる一節だ」(『若き日の読書』)
創立者は18、19歳の頃、自身の読んだ本の一節を「読書ノート」に記していました。
その貴重な「読書ノート」が、最近発刊された『完本 若き日の読書』に収録されています。この「読書ノート」には、ゲーテの言葉の抜き書きが五つ、見つかりました。
創立者はかつて随筆に、こう書かれたことがあります。
「一九四七年(昭和二十二年)の夏八月、わが人生の師・戸田城聖先生と初めてお会いする前夜、十九歳の私が読んでいたのは、ゲーテであった。終戦後の混沌の只中にあって、ゲーテとの心の対話が、平和の師子王たる戸田先生への求道の序奏となったことは確かである」
――池田先生は、19歳で戸田先生と初めての出会いを刻みます。それよりも前から、ゲーテを愛読していたということですね。
田中 生涯の師との出会いの前夜、苦闘の青春の日々に、創立者にとってゲーテは親しい存在でした。ちょうど創大生、短大生と同年代に当たります。
「読書ノート」から、創立者が若き日に心を打たれたゲーテの言葉を紹介します。
「みずから勇敢に戦った者にして初めて、英雄をほめたたえるだろう。暑さ寒さに苦しんだものでなければ人間の値打なんかわかりようがない」
苦悩に打ちひしがれて、それでも苦難を乗り越えていくような経験をした人だけが、人間の素晴らしさがわかるんだと、そういう格言です。
戦時中、池田青年は、空襲で2度も家を焼かれ、兄も戦地で命を落としました。不治の病といわれた結核で血を吐きながら、30歳までは生きられないかもしれないと言われていました。終戦でそれまでの価値観は崩壊してしまい、若者たちは、はしごを外されたような暗中模索の状態です。
ドイツ・フランクフルトに立つゲーテ像。生涯を通して深き悩みに苦しめられたゲーテだったが、彼はその目で、苦闘の果てに得られる“確固たる自己”の完成を見据えていた
最高の幸福は「人格」の輝き
――“苦しんだ者だけが人間の価値がわかる”というゲーテの言葉が、若き池田先生の心情とぴったり符合しています。
田中 「読書ノート」に引用されたゲーテの言葉を、さらに見ていきましょう。
「民も下べも征服者もみな常に告白する。地上の子の最高の幸福は人格だけであると」
ここでいう「民」は一般の民衆たち。「しもべ」は奴隷です。「征服者」は権力者でしょう。身分の違いに関係なく、「最高の幸福」は、人格の輝きであるという一節です。
何を信じればよいかわからない時代にあって、創立者は「最高の幸福」こそ「人格」であると定め、「自己を作る事」、苦闘を乗り越えての人格の完成という筋道をクリアに見ていました。
若き池田青年の読書は、人間の存在の意義をもとめる探求であり、読書のための読書ではありませんでした。読書によって「人格」を形成すること、つまり、「生きる」ことそのものであったと言えます。
――池田先生が「読書ノート」に記したゲーテの格言詩は、わずか数行かもしれませんが、そこから先生の決意が読み取れるようです。
田中 創立者が抜き書きした五つの言葉のうち二つは、『西東詩集』からの引用です。これは、ゲーテがペルシャの詩人ハーフィーズの作品に共感し、インスピレーションを得て作った詩集です。
「国家」の枠を超えた、より広々とした境地を志向したこの詩集が、池田青年に感銘を与えたということは、創立者が後年展開していく異文化間対話の原形が先取りされているのではないかと思います。
創立者の特別講座は、「人間ゲーテ」に焦点を当てていることが特徴です。では、ゲーテとは、どのような人物だったのか、簡単に紹介します。
ゲーテは、みなさんもご存じの通り、偉大な詩人であり、劇作家であり、小説家でした。絵の才能もあり、40歳ごろまで本気で画家の修行に励んでいました。自然研究にも取り組み、名だたる物理学者がゲーテ論を発表しています。さらには、政治家として小国ヴァイマルのナンバー2、財務長官の地位にも就いています。レオナルド・ダ・ヴィンチと並び称されるような万能の天才でした。
――業績だけを聞くと、苦難とは無縁の人生を送ったのではないかと思ってしまいますが。
田中 ゲーテが青春時代、いかに悩んでいたか。それを世に伝える有名な作品が、『若きヴェルター(ウェルテル)の悩み』です。ゲーテ自身がモデルとされる主人公のヴェルターは、悩み苦しみ、ついにはピストル自殺を遂げます。
ゲーテ22歳の折、法律実習のために訪れた町で、19歳のシャルロッテ(ロッテ)と出会います。ゲーテは恋心を募らせますが、彼女には、すでに婚約者がいました。実ることのない恋愛に心を痛め、ゲーテはロッテに別れの手紙を書いて去りました。
創立者の特別文化講座「ゲーテを語る」20周年に際して行われた、田中副学長による講演(9月、創価大学で)
創立者は『続 若き日の読書』で、「青春の混沌をこえて」と題して、ゲーテの悩みについて論じています。
「わたしは一箇の人間だった、それはすなわち、戦士、ということだ」(『ゲーテ全集』)
「人生とは、悩みとの戦いの異名――そのなかを一歩一歩と進むなかに、真の充足があることを、ゲーテはこの一言に凝縮している。逃げてはいけない。また、避けてもならない、と」
――『若きヴェルターの悩み』は、出版されるや熱狂的なブームを巻き起こしたと言います。ナポレオンは、何度も何度もこの本を読み、心の支えとしていたそうです。影響された若者が自殺をする事件が起こり、「ヴェルター効果」という言葉は今も使われています。
田中 もちろん、ゲーテは自殺を奨励していたわけではありません。ただ、ゲーテ自身が若き日には短剣を枕元に置き、ときには胸に突き立てられるかどうか試していたと言います。
しかし、どうしてもできず、最後には自分で笑い出した。憂鬱そうな、しかめっ面を取り払って、生きることを決心した。そして、晴れやかに生きるため、詩人としての使命を果たすため、この自殺という重要な問題に関して、これまで感じ、考え、思い描いてきた一切のことを言葉に表現しなくてはならなかった。
乗り越えていくためには、自身が悩んできたことを作品にしなければならない。苦悩を作品化することで、次のステップに向かうんだと決意しました。つまり、自殺を乗り越える方途としての『若きヴェルターの悩み』だったのです。
――確かに、ゲーテの本には、誰もが経験する恋愛や青春時代の悩みが描かれています。「誰でも生涯に一度は『ヴェルテル』がまるで自分ひとりのために書かれたように思われる時期を持てないとしたらみじめなことだろう」(『ゲーテとの対話』)という言葉が、すっと胸に落ちてきます。
田中 ゲーテは個人的な恋の苦しみを通して、当時の青年の“世界苦――生きること自体が苦しい”という苦しみや生活感情を見事に描きました。創立者は、誰もが経験するこの時期を「青春の混沌」と表現しています。
「青春の時代――それは、宇宙が混沌のなかから生まれるのと同じく、偉大なる完成への『混沌』の時といえるかもしれない。深き悩みの連続、それを人生の豊かな糧とできるかどうかは、つとに自分自身にかかっている」(『続 若き日の読書』)
「混沌」の後にこそ、「創造」があります。青春とは悩みの連続ですから、「混沌」と言えますが、ここを乗り越えることで、価値創造の人生が開けていくのです。
青年時代の創立者の苦闘の数々を思い起こすにつけて、それを乗り越えることでより大きな自分、確固たる自己をつくっていこうと誓いながら、創立者はゲーテを読んでいたのでしょう。
これこそが、「なぜ創立者が特別文化講座のテーマにゲーテを選んだのか」の答えではないかと思います。
――ゲーテの人生を振り返ると「悩み」は、青春時代に限らないようです。わが子を次々と亡くす悲劇にも見舞われています。
田中 ゲーテと妻クリスティアーネの間には、子どもが5人できますが、成人するまで育ったのは最初の子どものアウグストだけでした。
創立者は、苦しみや悲しみが襲ってきたゲーテの結婚生活を通して、特別文化講座で参加者に語りかけています。
「二男は死産。長女も三男も十数日で死亡。二女は3日で亡くなったといわれる。
こうした筆舌に尽くせぬ悲しみを、二人は、ともに乗り越え、ともに人生を深めていった。ともに強く生き抜いて勝っていった。
苦労が多いから不幸なのか。
そうではない。
人生は戦いです。戦って戦い抜いて、どんな不幸も乗り越えていっていただきたい。
苦労があってもなくても、何ものにも左右されない絶対の『幸福』をつかむのです。
私は、それを訴えたいのです」
創立者は、ゲーテの作品を語るのではなく、ゲーテという人物と、その生涯を論じてきました。最大の関心事は偉人の業績を語ることではなく、苦闘の末につくり上げられた彼らの「自己」であり「人格」にあったのです。
1981年5月、ドイツ・フランクフルトにあるゲーテの家を訪問した池田先生。立ったまま書く机などを見学し、文豪の執筆闘争に思いをはせた
生きるために学べ
学ぶために生きよ
――特別文化講座の記録を見ると、創立者は講義の中で「ゲーテの母の人生のモットーは何か。それは、『生きるために学べ、学ぶために生きよ』(栗原佑訳)でありました」と語られ、さらに「田中先生、ここまでは、よろしいでしょうか?〈田中教授が「はい」と〉いいそうです(笑い)。ありがとう(大拍手)」というユーモアあふれる呼びかけをされています。
田中 創立者が引かれた言葉、「生きるために学べ」というのは、とてもわかりやすい。しかし、「学ぶために生きよ」というのは、ともすると、学ぶことが人生の目的になってしまうように思われることがあるかもしれません。
ここまで見てきたように、生きること、つまり人生の目的というのは、人格という最高の幸せをつくることにあります。したがって、生きている限り人格の完成を目指して学び続ける、そこに幸福がある、それが「学ぶために生きよ」の意味するところであったと言えるでしょう。
何のために学ぶのか、それは単に知識を得るためではなく、人格をつくるためです。創立者自身の、青年時代からの目標がこれでした。そういう人生を歩んでもらいたいという願いを、巣立ちゆく卒業生に伝えたのだと言えます。
――そういえば、ゲーテは、約200年前から「世界市民」という言葉を使っていたと聞きました。創価の青年たちに、「世界市民」へと育ってほしいという創立者の願いも込められていたのではないでしょうか。
田中 大事なポイントですね。ゲーテは、晩年の詩集で「世界市民」と書いています。
どこに住んでいるのかと問われれば、それは世界の住民であるという意味です。一方で、ヴァイマル人であるとも言います。ヴァイマル人でありながら、世界的な広がりをもった「世界市民」であるという宣言です。創立者は「民族的な先入見や偏見を乗り越えた『人間』の登場」であると分析しています。
また、ゲーテは最晩年の5年間、「世界文学」という概念も提唱していました。ゲーテは、国民文学の旗手として登場しました。しかし、ゲーテ自身は「今日、国民文学はあまり意味がない。世界文学の時代が到来しているのだ」と言います。
民族的なものに固執するのが国民文学であり、全人類的な視野から人間として共有する文学の時代が始まっているのだということです。
コスモポリタニズム的な立脚点に基づいた「世界文学」構想の先見性は、注目に値します。
この「世界文学」提唱と同時期に、「世界市民」の言葉を使っていたことからも、世界中が交流して共同体をつくるべきだというゲーテの信念が読み取れます。
特別文化講座「人間ゲーテを語る」。ゲーテの激動の生涯を通して、創大生に万感のエールを送る創立者・池田先生(2003年3月)
道路や鉄道でなく愛情の交流をこそ
――創立者が『続 若き日の読書』を連載していたのは、1992年から93年にかけてのことです。ちょうど、東西ドイツが統一(90年)された後のことでした。
田中 ゲーテが生きた時代も、小国に分裂していたドイツが統一する可能性が論じられていました。
ゲーテの見解はこうです。
「立派な道路ができて、将来鉄道が敷かれれば、きっとおのずからそうなるだろう」
「しかし、何をおいても、愛情の交流によって一つになってほしい」(『ゲーテとの対話』)
経済の成長も統一の鍵だったかもしれません。しかし、ゲーテは、「愛情の交流」によって、心の「分断の壁」を壊すことを訴えました。
晩年のゲーテは「世界文学」を提唱し、「世界市民」として「心の束縛」を脱していかなければならないことを見通していました。
ゲーテを通して、「心の分断」を乗り越えゆくことを力説する『続 若き日の読書』の結びの言葉が胸を打ちます。
「二十一世紀を目前にして、世界はいっそう緊密に結ばれていくことだろう。しかし、真実の平和を実現する決定打は、自身の『心の束縛』を断ち切った『世界市民』が陸続と育ちゆくことにちがいない」
◎ゲーテの直筆書簡9通などを展示◎
特別文化講座「人間ゲーテを語る」20周年記念
12月1日から22日まで 創大・中央教育棟で
創価大学が所蔵するゲーテの直筆書簡。書簡の右下に見える大きな「G」がゲーテの自筆。全文自筆の書簡も含まれている
詩人・作家のヘッセ、ヴォルテール、シラー、ホイットマン。哲学者のデカルト、ルソー、カント。音楽家のベートーヴェン、ハイドン――“人類の精神遺産”である偉人たちの直筆書簡や初版本などを数多く所蔵している創価大学。12月1日から、『ファウスト』や『若きウェルテルの悩み』などの傑作で知られる文豪ゲーテの直筆書簡9通(複製)を、中央教育棟ロビーの特設展示場で展示する(12月22日まで)。日本初公開を含む。創立者である池田先生の特別文化講座「人間ゲーテを語る」20周年記念の意義をとどめる。
他に日本で確認されているゲーテの直筆書簡は東京大学や京都外国語大学、天理大学など6通(石原あえか「日本に現存するゲーテ書簡」『ヨーロッパ研究』東京大学、2023年)。創大が所蔵している9通のうち8通はすべて、ゲーテの子どもたちのなかで唯一、成人した息子のアウグスト宛てで、ゲーテ晩年の名作『西東詩集』に関する記述も含まれている。口述筆記ではない全文自筆の書簡もあり、文学史上、極めて貴重な資料である。併せて創大所蔵の『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の初版本やゲーテ自身によって監修された『ゲーテ全集』全61巻なども展示。池田先生の「人間ゲーテを語る」の内容も紹介する予定であり、創価大学の「建学の精神」への理解を深める好機となろう。
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