〈大慈悲の心音 門下への便り〉 四条金吾⑤=完2023年1月15日

 所領没収や追放という危機に陥った四条金吾は、日蓮大聖人の御指導通り、忍耐強く、誠実に、地道に主君に仕えます。その後、主君が病にかかり、医術の心得のあった金吾が看病にあたったことで、主君からの信頼が回復していきました。
 金吾は主君から重用されるようになっただけでなく、新たな領地を賜りました。不屈の信心を貫徹した金吾の逆転劇であり、模範の“社会での実証”と言えるでしょう。
 大聖人の晩年には、金吾は医術にたけた「くすし(医者)」として、師を支えました。自ら調合した薬をお届けしたり、身延の地にたびたび足を運んだりして、師の健康回復に懸命に尽くしたのです。
 大聖人は、建治4年(1278年)に御執筆になったお手紙の中で、主君の出仕のお供に加わり、充実の日々を送る金吾の様子をつづられ、「うれしさ申すばかりなし」(新1599・全1175)と喜ばれています。さらに、その光景を見た鎌倉の子どもたちの声を記されています。“一行の中で、背丈といい、顔つきといい、乗っている馬や従えている者までも、四条金吾が第一である。ああ、彼こそ男だ、男だ”(同、趣旨)と。
 人生の試練に立ち向かい、打ち勝った凱歌の雄姿――。それは、大聖人が仰せの通り、「よかりけり」(新1596・全1173)と鎌倉中の人々が称賛する、金吾の信心の勝利の姿そのものであったことでしょう。
 
 

御文

 今また所領給わらせ給うと云々。これ程の不思議は候わず。これひとえに、「陰徳あれば陽報あり」とは、これなり。我が主に法華経を信じさせまいらせんとおぼしめす御心のふかき故か。
(四条金吾殿御返事〈源遠流長の事〉、新1614・全1180)

通解

 今また所領を賜ったという。これほど不思議なことはない。これはまったく「陰徳あれば陽報あり」とは、このことである。我が主君に法華経を信じさせようとされた、あなたのお心の深きゆえであろうか。

最高の誉れの日々

 「人間の本性は、逆境に陥ったときにはじめてはっきりと現れてくる」――ヘルマン・ヘッセの言葉です(フォルカー・ミヒェルス編『地獄は克服できる』岡田朝雄訳、草思社)。
 苦難に直面した時、不遇な立場に置かれた時、どのように振る舞うのか。ただ環境を嘆き、愚痴をこぼし、くさってしまうのか。それとも、どこまでも変わらず、努力を貫くのか。
 四条金吾は逆境にあって、負けじ魂を貫きました。
 全てを見守り、励ましてくれる師に応えたい――心が折れそうになるたびに誓いを思い起こし、踏ん張ったことでしょう。金吾の所領加増は、主君に仕え抜いた陰徳が陽報となって花開いた福徳に他なりません。
 池田先生は、戸田先生の事業が窮地に立たされた時、一切を捧げて恩師を支えた日々を振り返り、語りました。
 「師とともに生き、師とともに勝ち、師とともに未来を見つめた、わが青春――それは苦闘の連続だった。だが、最高の誉れの日々であった。恩師が発した言葉は、一言一句も、もらさずに、すべて実現してきた。この不屈の師弟ありて、今の学会がある」
 信心を貫き、師弟の道に徹する人は、最後には必ず勝つ――金吾の勝利のドラマは雄弁に物語っています。

御文

 ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし。すぎし存命不思議とおもわせ給え。
(四条金吾殿御返事〈法華経兵法の事〉、新1623・全1192)

通解

 ただ心こそ大切である。どれほど日蓮があなたのことを祈ったとしても、あなた自身が不信であるならば、濡れた火口(火打ち石を打ちつけて出た火を移し取るもの)に火を付けるようなものである。自身を励まして、強盛に信力を奮い起こしていきなさい。過日、命を永らえることができたのは、不思議なことであると思っていきなさい。

「心こそ大切」の「心」とは

 主君に重用され、新たな領地を賜った四条金吾。しかし、こうした“立身出世”が、目指すべき人生の真のゴールではありません。だからこそ大聖人は、「心の財第一なり」(新1596・全1173)と御教示されているのです。
 では、その心とは何でしょうか。
 どんな時も、“大聖人と共に”と広布に生き、「竜の口の法難」までもお供した金吾。一途に師を求め抜く金吾の姿に「師弟の心」を見ておられたのでしょう。大聖人は“いかなる世にも、忘れることができましょうか”と幾度もたたえられています。
 池田先生は、この一節を拝し、つづっています。「『心こそ大切』の『心』とは、『師弟不二の心』であるということです。師匠は常に弟子の勝利を祈ってくれている。弟子が今こそ、強盛な信心を奮い起こしていきなさいと教えられているのです」
 人生は途中では決まりません。最後の最後まで、強盛な信心に立ち、師匠と同じ広布の誓願に立って戦う――その中で、本当の力が出る。その中に、本当の幸福があるのです。