〈幸齢社会〉 元気ハツラツ90歳ライフ(大村崑さんインタビュー)2022年6月8日

 「元気ハツラツ!」のCMや時代劇コメディー「頓馬天狗」で有名な喜劇役者・大村崑さん。90歳を超えた“現在でも”どころか、人生の中で「今が一番、健康」という。そんな大村崑さんに、元気ハツラツの秘訣を聞きました。

喜劇役者
大村崑さん

37.5キロのバーベルスクワット

トレーニングジムでバーベルスクワットに励む大村さん(田附愛美撮影)

トレーニングジムでバーベルスクワットに励む大村さん(田附愛美撮影)

 1931年生まれ、90歳を超えました。つえも使わず、自分の足で歩いてます。50センチほどの歩幅でスタスタ。1キロやそこらなら息切れすることなく移動できます。背筋はピーン。腹は出てなく、筋肉が付いて自分史上最高の体です。
 種明かしをすると、実は86歳から始めた筋トレ(筋肉トレーニング)のおかげです。
 それまでの僕は、平均以下・標準以下の「ザ・おじいちゃん」。家族で食事に行けば、僕の歩くスピードが遅くて、瑤子さん(妻)と子どもはどんどん先に行ってしまいます。少しでも追い付けるように「先の歩行者用信号が赤くなれ」といつも思ってました。
 腹囲は91センチ。瑤子さんとジーンズを買いに行った時、この体形がばれてしまったんです。
 後日、瑤子さんが1対1で行うパーソナルトレーニングジムを探してきて、「一緒に行かへん?」て。即座に「嫌や」と答えましたが、結局、食い下がられて。入会を断るつもり満々でしたが、ジムの人の「速く歩けるようになりますよ」との言葉に背中を押され、ジム通いを決意しました。
 筋トレ初日はショックの連続です。壁と背中の間に大きなボール(バランスボール)を挟んだ補助を付けてのスクワットでも3、4回行えば足がプルプル震えて限界。他のどの筋トレも4回繰り返すのが精いっぱいでした。全種目終わる頃には、声が出せないほど疲労困憊。ところが不思議なことに、運動したことで何十年も経験したことのない、爽快な気分になったんです。この日以来、筋トレにはまり、僕の体の時間は逆流し始めました。どんどん若返り、今では37・5キロの重りを担いでスクワットするほどに。90歳でも筋肉は裏切りません。皆さんにもぜひ、挑戦してもらいたいです。

虚弱体質、結核、大腸がん

 「崑ちゃんだから、そんな運動ができるんでしょ」って思うかもしれません。まったくの逆。本当は、90歳まで生きてるだけでも驚きなんです。
 僕は幼い頃からずっと病弱でした。子どもの頃はしょっちゅう風邪をひいたり、熱を出したり。小学校は養護学級。しかも、生まれつきの弱視で、2年生から眼鏡をかけてました。左耳は、小学生の時、鼓膜に傷が付いてから難聴気味。
 さらには19歳で肺結核になり、右肺を切除。医者からは、「40歳で死ぬ」と宣告されました。
 余命20年。それなら好きな喜劇役者になって大暴れしてやろうと、一歩を踏み出しました。
 キャバレーから始まり、劇場、テレビと活躍の場を広げ、僕の人気を決定づけたのがテレビの時代劇コメディー「頓馬天狗」でした。
 仕事の多忙さに体力は限界。頓馬天狗は生放送だったので、激しい立ち回りに体が付いていかず、影武者を使って休憩を取ってました。影武者は大学生だったチャーリー浜さん。
 僕は疲労のため顔色が悪く、周囲から心配されてました。ズボンのポケットに口紅を忍ばせ、人目を盗み、唇や頰に紅をさして、血色をごまかしてました。その後、40歳の壁を超えられたと思えば、58歳の時には大腸がんが見つかり手術。無事還暦も過ぎましたが、なんとか今までやってきたという感じです。

崑ばあちゃんが笑いで世直し

 「40歳で死ぬ」という言葉は、最近までずっと心に刺さったままでした。死を覚悟していながらも、死を人一倍恐れて生きてきました。でも、90歳になった今、その気持ちが消えているのです。
 僕が死におびえてきたのは、体が弱く、いつ死ぬか分からないという恐怖心のため。それが筋トレを始めて、体力に自信を持てるようになって、ふーっと消えていったようです。
 87歳の誕生日会で同じ芸人の月亭八方に「いつまで生きはるつもり」と聞かれ、とっさに102歳と答えました。その時から、自分でもすっかり生きられる気に。
 102歳まで生きるなら、100歳まで仕事を続けたいですね。その時は、おばあさん役を。おせっかいな昭和のおばあさん。
 町歩きしながら「地べたに座り込んじゃ恥ずかしいよ」とか、「年寄りに席譲って」とかを、面白く。「悪いこと、だらしないことしてたら、“崑ばあちゃん”が来るぞ」ってなったらうれしいね。
 人は人とつながって生きています。昭和の時代は関係性が濃かったから、人に感謝することを今より重んじていた気がします。
 子どもの頃、僕を母代わりに育ててくれた義母が包丁を取り出し、手首に当てて聞きました。「お母さんのここ切ったら、何が出る?」。「そんなん血が出るよ」と答えたら、「違う! 血は出ません」「感謝が出るねん」て言われました。戦争中だったので学校に行けるのは兵隊さんのおかげ、勉強できるのは学校の先生のおかげ、今いるのは先祖のおかげ。義母は「自分のおかげ」と言ったことはありませんでした。感謝することで、自分が恵まれていること、当たり前になってしまった幸せな生活に改めて気付かせてくれます。喜劇役者ですから、感謝の大切さも、笑いに包みながら伝えたい。
 僕は筋トレや経験を通して、人生に遅過ぎるは無いことを実感しました。気になることがあれば一緒に挑戦しましょう、人生が変わります。
 

 大村崑著『崑ちゃん90歳 今が一番、健康です!』(青春出版社)