親の距離感、学校の距離感 | 僕の日々の徒然と、リクレンの中高一貫校生活(2019/2023)

僕の日々の徒然と、リクレンの中高一貫校生活(2019/2023)

僕の日々と、逆算の中学受験を経て、首都圏中高一貫校に通う子ども達のことを徒然に綴ります。

もう自分は大人になってからの時間が長くなってしまった。だから、あの頃、何者でもなかったあの頃の気持ちを今でもありありと思い出せるかと言うと、正直心許(こころもと)ない。

十代の前半と言うと、親に甘えたい反面、親から独立したい気持ちの間で揺れ動いている。Ambivalent(相反する気持ち)と言えばいいのかな?
寄って立つもの、例えば実績に裏打ちされた人からの信頼みたいなものに満たされていれば、自分の判断ややり方に一定の自信を持てるようになるだろう。そんな自分を知って、更に、そんな自分に臆病になれる、そうなれれば、何者かになったということだと思う。

親が干渉したくなる気持ちは分かる。自分がいなければ生きていけない時期を共に過ごして来たのだから。でも、それが本当は若者から失敗する機会と権利を奪ってはいないだろうか?何故なら、それは失敗から自分で立ち上がる経験と、それに裏づけられた自信を得る機会を奪うことになるから。僕は、そうして、手を離していければと思っている。子供はもう勝手に育って行くし、立ち上がるための教育をしてきたつもりではいる。

兄の学校の対応を見ると、生徒達を大人として扱おうとしている。だから、面倒見のいい学校、熱心とも思える密なコミュニケーションはない。ただ、逆に、だから、いざというときは全力でフォローしてくれるような熱心さが現れてくることもあるかなとも思う。それは、生徒達に過度に干渉しないというメッセージを発信している行間から逆に感じる。これが伝統校なのかもしれない。

今の社会は効率を最優先するような価値が跋扈(ばっこ)しているが、人を育てるということに関しては効率が最優先ではないと思う。

失敗すれば回り道だ。

だから、記憶に残り、血となり肉となる。前例のない物事を判断したり、進めたりする時の決断する勇気に繋がるだろう。

詰まるところ、自分を変えられるのは自分でしかない。それには今までの自分、つまり、考え方ややり方を捨てられる、絶望とも言えるところから立ち上がる経験を重ねることかと思う。

兄の学校に対して、自分は特別な感情は持っていなかった。が、最近、少し好きになってきたのは、こうした自分の価値観に合っていたからかもしれない。

面倒見がいい学校や生徒の自律を待つ学校と色々あるだろう。
皆、自分の価値観や子育ての方針に合う学校を選べると良いなと思う。


兄の場合は、入ってから分かった感じなので僕は選べてないけど(苦笑)。兄が勝手に選んだので。


中間考査にはブツブツ言ってるけど、やっぱり、今の学校に入って良かったと、兄は言っている。


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