日韓併合による日本統治によって、李氏朝鮮王朝時代の遺物である身分制度(両班、中人、常民、奴婢、白丁)が廃止された。
両班は、王族以外の身分階級の最上位の貴族であり、王朝の官僚機構・支配機構を担っていた。
その両班。とにかく汗をかかない。
どうやら儒教の教えが、朝鮮半島では、自由・平等・公正・公平…といった人類が普遍的に共有価値としたい視点に立てば、悪い方に向いたようだ。
自分の生活のために働いてはならない。
身内に生活を支えてもらうことは恥ではない。
箸より重いものを持たない。
転んでも自力で起きない。
従者たちに近くの住民を脅させて、飼っている鶏や卵を奪い(江戸時代まで行われていた朝鮮通信使の様子を描いた絵に街道で鶏泥棒をする通信使一行の姿がある)、金を払わない等々・・・貴族的特権を振りかざす様は、「世界で最も傲慢である」と、当時の来訪者に言われたようである。
国を動かすリーダーである者たちが、働かないのである。自分では汗を流さないで、ふんぞり返る。その上、泥棒をする。が、それを咎められることはない。
こうなっては、もう国家の体を為すことなんて、到底出来ない。
ひどい乱れようなのだ。
このことを考えると、心に引っ掛かってくることがある。
それは、朝鮮って、いつから国家になったと言えるのだろうか…?
話は逸れるが、この点、実は竹島問題につながる。
国民国家という概念自体が無い状況の中で、遠く日本海に浮かぶ竹島の存在を、李氏朝鮮の時代に自国領土であると認識することが、果たして出来ただろうか?
この話は、いずれ考察してみたい。
表題のテーマ、続く
八十玄八