世界最貧国の貴族・両班、その歪んだ精神が今も続く その2 | yaso-haruyaのブログ

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国や民族等の違いによる優劣をつける、言わば国家レベルの差別があったし、今も続いている。東アジアの悲劇は、近隣諸国同士の差別史観により、史実が歪められている事にある。史実を探り、失われた日本人の誇りを取り戻すことが世界の安定に寄与すると訴えたい。

 李氏朝鮮末期には、両班という身分が売買されていたので、両班がやたら増えたそうである。ワケわからんカオスな状況である。

 

とにかく李氏朝鮮末期の半島は乱れていた。

町中の道という道が、糞尿まみれる(朝鮮通信使の一行が江戸までの道中の宿場に泊まると、翌朝、街道が糞尿でいっぱいになったそうだ。そういう習慣・意識・文化の違い・隔たりは大きい。)不衛生極まりない不潔でみすぼらしい姿であったのだ。それは、半島随一の都会であったはずのソウルの中心地でさえ、である。

これは、例えば南大門付近の当時の写真はネット上に存するのでご自身で検索してご参照されたい。すぐに見つかるはずである。…例えば「李氏朝鮮時代の画像」や「日韓併合前後の朝鮮」で検索!

 

紛れもなく李氏朝鮮王朝末期は世界最貧国の一つであった。

 

 李氏朝鮮のあと日清戦争の結果を受けて独立を果たし、大韓帝国(1897年~)となり、日露戦争の後には日本の保護国となり、そして日韓併合(1910年)で日本国の一部となった。

 

 日韓併合以降、朝鮮総督府は身分制度を廃止した。

 貴族的特権による甘い汁を吸うことしか知らなかった両班にとっては、青天の霹靂、あってはならないことであったはずである。日本への反発心「恨」がこの時、生まれていてもおかしくはない。

 

表題のテーマ、続く

八十玄八