今回は迷わない子羊の善き方々向けです。
迷える子羊たちも修羅の門から出られる…かもしれません。
さて当ブログを開始(2023.3.14)してそろそろ1年になります。
ひっそりと人知れず咲く…知る人ぞ知るつまりほぼ誰も知らない。
私はそれでいいと思っています。
今回を機に、特に愛魂について書いた記事をまとめてみました。
何と!
同じことばかり力説していた…つまり何の芸もなかったのであります。_| ̄|○
いちいち駄文読むヒマない!という方向けに、ここはというところを抜粋します。
本稿の文字の背後にあるものに気づくこと。それだけです。
誰も気がつかなくてもただ静かに見守り無条件に受け容れている【 】
内面操作、意識操作でもありません。ただずっと在り続けるだけ。
あえて操作と言うなら、「操作しない!」を維持し続ける。
すべては意図せず勝手にそうなっている
自動的に遍くすべてゆるされてある
無条件に受け容れている(ある)
いかなるときでも分け隔てなく
…その意味でそれは偉大な愛と言えるでしょう(か)。
その中に何も考えず抗わずただいる(ある)、すなわち愛の中にいると実感します(しなくてもいい)。
実感している私(魂)がここにいる=愛魂。
眞法、それは人が本来持つやさしさ、愛おしむ気持ち、祈り捧げ支える心とか【…】。
それは、見えないといういわば形而上の意味でスピリチュアルなもの。
その【…】は、この世/あの世(すべてをゆるしている愛。すべてなので悪なるものも含む)に生きるわたしたち(魂)に備わっている。
やわらかな光溢れる優しい世界で戯れるワンコと蝶々
慈愛と友愛と親愛とにかく愛しかない世界…しかない
そのすべてを同時に同等に受け容れる
何も足さず何も引かずに
全 部 ま る ご と
そして最近アップした記事が、
お相手と対して、
見て 聞いて 触って 思いに気付いて、
目の前に(で)あらゆるすべてを受け入れて在る現実の世界に(で)、
生きる(ひたる、入る、のる、温泉につかる…etc.)。
抜粋した文をあらためて読んでも、ほぼ同じこと口走っているようです。
しかしやっぱり意味不明かもしれない。
それでもよろしければ、一度稽古に参加して体験してみませんか?
なんだか誘導広告みたいだったけど、そもそもほとんどアクセスされないブログなのでよし。
ところで前回と今回の表題は、あるエッセイの表題へのオマージュです。そしてそのエッセイは別の小説の表題へのオマージュ。
走ることを語るときに僕の語ることby村上春樹
愛について語るときに我々の語ることbyレイモンド・カーヴァー