注)2024.5.13に投稿した記事、
【5/12名古屋稽古備忘録、というか当流と愛魂の概説】と同じものです。
冠光寺流の形を用いて愛魂の稽古をすること。
それは合気道や合気柔術に似ているが、違う。
関節はキッチリ極め…なくてもいい。
しっかり崩して相手の弱い方向へ投げ…なくてもいい。
本来しっかり掴まれた手首は、そう簡単に振り解けない。
手の内の操作で相手の骨格の弱点を突いて外す…
手指を張り、肚からの力を出し、体の移動で動かす…
武術的あるいは護身術的にはそれが本道です。
各種武術、合気道にはそのために多くの階梯があります。
合気道と大東流合気柔術を学ばれた保江先生は、
その階梯を素っ飛ばして愛魂で合気を実現可能と喝破され冠光寺流柔術を創始されました。
その愛魂≒合気、私はエッセンスだと認識しています。
ここに合わせる(出る、入る)…とにかくそんな気になるだけ。
©NHK
本稿を読んだだけでは、何言ってんだがサッパリわからないでしょう。
だからそれがどう武術と、合気柔術と関係してんのさ?
それは、稽古に参加いただいた方にはおわかりいただけたと思います。
氣とかオーラとか全く無縁の私で、やってるときも至って普通~のまま。
誰でもできること、というか普段のこのままこれのまま、のことです。
しかしながらわかるためには、繊細な【なにか】を感じ取る稽古が必要です。
あえて技を受けて掛かることで、その【なにか】をカラダ全体で経験することです。
そうすると、何とな~く自分でできるようになってきます。
そんな気になってきます。
当然ながら掛かりが浅い方も、あるいは掛からない方もおられます。
百発百中ならそれは名人、達人です。
その偉大な先達が到達した境地、例えその欠片でも触れることは当流で可能だと思います。
私は武道家でも柔術家でもないただの愛好者に過ぎません。
厳しく辛い武術の修行を、楽しく朗らかなるものに変換した冠光寺流柔術。
その同じ一門として、これからも皆さんと楽しく稽古できればとてもうれしいです。