100分de名著 トーマス・マン“魔の山” Eテレ 5/6~27放送 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

 

感想
トーマス・マンは読んだことがない。

「魔の山」もかろうじて名前だけは知っていたという程度。
定例訪問している「とんとん・にっき」さんのところで番組紹介をしていたので視聴。
そういえば前回の「100分de名著・砂の女」もこちらの紹介。

 

実際自分で読んだら大変だろーなー、という内容を朗読と解説でトレースして行くことで、それなりに理解が出来た。
元々恋の茶番劇として書かれたものが、第一次大戦を挟むことで「死への共感」「生への奉仕」を描く作品に変容した。
そして世界は再び「第二次世界大戦」に突き進んで行くのだな。

レビューと言ってもなかなか感想を言うのが難しいが、若い頃1年以上の入院を経験しているので、療養生活により次第に退廃的な気分に流されて行く雰囲気は肌で分かる。
結局ハンスは死ぬ確率が高い中、死への共感を振り切って生への奉仕へ赴いたのだろう。
現在も行われているウクライナ、パレスチナでの戦争。
我々はどうあるべきか、なんて思いもよらないが・・・

オマケ
なお4回目放送の5/27、放送の最後4分前に北朝鮮のミサイルが発射されたとの報道で内容がブっ飛んだ。
6/31の再放送でリカバリー出来たが・・・

プロデューサーAのおもわく(なかなか読み応えあり)

 


内容
第1回「魔の山」とは何か

司会 伊集院光、阿部みちこ
解説 小黒康正 九州大学教授
朗読 玉置玲央


作者トーマス・マン(1875~1955)はドイツを代表する作家。
「ヴェニスに死す」の作家でもある(1971年に映画化)

1912年に執筆が開始された(38歳)が第一次大戦で中断。
中断期間に思想が変化した。一貫していないからこその魅力。


ハンス・カストルプの物語。
1907年8月。ハンスは結核療養所「ベルクホーフ」に、2日間かけて汽車で向かっていた。3週間の滞在予定で、療養中の従兄弟を見舞いに行く道中。だが乗り気ではない。

健康に良くない・・・
止まった列車の窓に従兄弟のヨーアヒム・ツィームセンの顔。
元気そうなのを見て3週間ほどで退院出来そうだと言うハンスに、その期間は無に等しいと言うヨーアヒム。

あと半年は滞在が必要。
3週間なんて1日。ここに居ると考えが変わる・・・
上の世界と下の世界の二項対立(通用しない)
高校をドロップアウトした話を披露する伊集院。

療養所に着いた二人。

ハンスはヨーアヒムの隣室「34号室」に案内された。

きれいな部屋に喜ぶハンスだが、一昨日ここで米人女性が死んだと話すヨーアヒム(消毒は徹底的にされた)
少し遠くで男の咳き込む音がする。
食堂は明るく上品で、食事も豪勢。だが体がほてり寒く感じる。
眠気も起きてハンスは、医師クロコフスキーを紹介される。
病人ではないと断るハンスに「全く健康な人など見たことがない」と返す医師。

深刻な話を淡々とする(伊集院)
患者と同様の暮らしをするハンス。食事は1日5回。
その合い間は安静。隔週日曜にはテラスで音楽会。
化学療法がなかった時代の代表的療法。居心地がいい。
自堕落な生活。それは第一次大戦前のデカダンス(退廃)
ドイツ国民は当時の価値規範に背を向けた。トーマスは自称「デカダンスの年代記作家」その代表が「ベニスに死す」

ハンスは幼い頃両親を病気で亡くし、祖父に育てられた。
家には「洗礼盤」があり、それを見せてもらうのが好きだった。
めまいの感覚。夢見心地が半分、不安が半分の奇妙な感情。
1年後に祖父が亡くなり、叔父に何不自由なく育てられたハンス。卒業間近になっても、自分が何になりたいか分からず。
彼は天才でもなければ愚か者でもなかった。


第2回 二つの極のはざまで
食堂での患者たちとの出会い。あらゆる階級、人種。


入り口ドアの鳴る音にイラつくハンス。食事後、院長のベーレンシス顧問官を紹介される。散歩中にイタリアの純文学者患者 セテムブリーニと会い示唆を受ける。次回食堂で再びドアの音。
それをしていたのはロシア婦人ショーシャ夫人。
夜、彼女の夢を見るハンス。

山を降りる日が近づくが熱を出すハンス。

ベーレンシス顧問官は肺結核と診断した。

患者として留まるハンスは、ショーシャ夫人に惹かれて行く。

セテムブリーニはそんなハンスに山を降りて造船技士になるよう助言(ここはドロ沼、魔女の島)

 


解説:身体の熱と恋の熱が掛け合わされている。
3人の関係を世界情勢になぞらえている。
セテムブリーニ→ヨーロッパ(合理性)
ハンス→ドイツ
ショーシャ夫人→アジア(非合理、混沌)災いは東から来る


第一次大戦で敗けたドイツだが、フランス的民主主義を拒む。
次いでロシア革命が起きる(新たな動き)東方に対する魅力。
ドストエフスキー全集が刊行された。

ハンスが来てから7ケ月後に謝肉祭が開かれる。ショーシャ夫人に夢中のハンスは、セテムブリーニの忠告から逃げる。
鉛筆を借りた折りに、ショーシャに愛の告白をするハンス(君に対する憧憬。君の産毛を触りたい・・)


彼女は「私の鉛筆、返すのを忘れないでね」と言って去る。
それは部屋に来ていいという意味。一夜を共にした(多分)
6章で山を降りるショーシャ(デカダンスが達成したから)
トーマスは小説をここまでで終わらせるつもりだった。だが第一次大戦が始まり、もっと大事な事を書く必要が出て来た。
(単なる恋の茶番ではないもの)

物語の整理:時間軸の長さが章を経る毎に長くなって行く。
最初の3週間に物語全体の1/4が割かれている。残りの3/4が6年半(意図的)




第3回 死への共感
街で下宿屋を始めたセテムブリーニが、その下宿人であるレオ・ナフタと口論する場に出くわすハンス。ナフタはユダヤ人ラテン語学者。イエズス会士でもあり戦争肯定(全体主義)


一方セテムブリーニは民主主義者でありハンスに、ナフタには近づくなと忠告(染まり易い)ナフタに近付いてしまうハンス。
一方ヨーアヒムは療養所の生活に耐えられず、医師の反対を押し切って山を降りる。駅での別れ。

一方ハンス自身は山を降りていいと言われていた(ハンス自身はこの生活を気に入っている)


解説:ヒトラーも民衆が選んだ代表。独裁に惹かれない様にするために考えるべき事を書こうとしている。

セテムブリーニはトーマスの兄がモデル。

戦時中は戦争批判をしていた兄と、戦後和解した兄弟。

二度目の冬、ハンスはスキーを始める。ある日吹雪に遭い遭難。
山小屋で夢を見た。南国の楽園(懐かしさを覚える)
神殿に足を踏み入れると、残虐な儀式をやっていた。


ハンスは死への共感を失い始める。


「人間は、善意と愛のために思考に対する支配権を死に譲ってはならない」
無事に療養所に戻れたハンスだが、夢の事は忘れてしまった。
ハンスは両親と祖父を幼い頃に亡くしており、死は高尚で荘厳なものと考えて来た。だがそれだけでなく、生への奉仕も考えなくてはならない。
人間は集団になると恐ろしい事をする(ジェノサイド)
その危険性に気付いたトーマス。

解説:すぐ忘れてしまったのがポイント。人はすぐ忘れる。
東日本大震災の時も省エネ家電で騒いだが数年で忘れ、コロナも一時やりすぎたものの収束→忘れるメカニズム。
我々を良く反映している。

8月、軍隊からヨーアヒムが戻って来た。日に日に弱って行く。
医師に訊くハンス。「あと6~8週間、彼を大切にしてあげて」
11月。とうとう起きられなくなったヨーアヒム。髭も剃れない。
この髭で男らしい顔になった。そして息をひきとる。

髭の意味は?ある種、軍人の英雄を表わす。7章でも出て来る。
綿密な計算。構造が見えて来る。
ハンスとヨーアヒムの対比。


後半はハンスとヨーアヒムの話。

第4回 生への奉仕へ
療養所にショーシャ夫人が、ペーペルコルンという老紳士を伴って戻って来る。ハンスは動揺する。


ペーペルコルンは王者の風格で、実際話の内容がないにも関わらず、皆と共にハンスも魅了された。


ペーペルコルンについて、ショーシャ夫人と話をするハンス。


あの人が私を愛していると言い、彼女も彼を尊敬していた。
だが次第に病状が悪化して行くペーペルコルン。

そして彼はある夜、猛毒を注射して自殺してしまった。


解説:ペーペルコルンと知り合う事で、死への共感から生に関心を持つようになったハンス。ショーシャ夫人はすぐに山を降りてしまう。前編の様にエロスを担う存在ではなくなった。

療養所に霊媒体質の少女が来た。

降霊会に参加するハンスはヨーアヒムを呼び出してもらった。

その姿に思いが込み上げ「すまない」と言うハンス。

解説:謝罪に込められた思い(ハンスからヨーアヒムへ)
それはトーマス自身の、ドイツの若者に対する思いでもあった。
最初は戦争に賛成の立場だった→レクイエム小説。

療養所の中でイラつき、ケンカが蔓延する様になり、セテムブリーニとナフタの仲も険悪になった。


ナフタがセテムブリーニに、ピストルによる決闘を申し込む。


互いに相対した時、セテムブリーニは上に向けて銃を撃った。


「もう一度撃つんだ」と言うナフタに「そのつもりはない」
ナフタは「卑怯者!」と言い、決闘とは何の関係もない仕草で頭を撃った。

解説:イラつきは戦争前の状態を表わしている(次第に蔓延)
その臨界点が二人の決闘。セテムブリーニが上に向けて撃った時点でナフタは負けたと思った。(相手を撃たないという信念)
ナフタの様な思想を止めたいという思い。

前半で茶化していたセテムブリーニをこう描いて行く。

ハンスが山の上に来て7年が経つ。それを実感した時、轟きが鳴り響いた。地球を根底からぐらつかせた歴史的な青天の霹靂
それは魔の山を吹き飛ばし、7年間の眠り人を放り出した。
ハンスは突然下界に戻り、志願兵となる。


爆撃で二人の兵士が飛ばされるのを見るハンス。


なおも前進するハンスだが、やがてその姿も消えて行く。

さらばハンス・カストルプ、人生の誠実な厄介息子!
君の物語は終了だ。私たちは最後まで戦った。御機嫌よう──
君がとにかく無事にせよ戦死しているにせよだ!
君の先行きは暗い。
君は予感に満たされながら「陣地とり」をすることで
死と肉体の放蕩の中から愛の夢が生まれる瞬間を経験した。


解説:青天の霹靂は第一次世界大戦の勃発を意味する。
最後近くで出た二人の兵士は、戦争で亡くなった者たちの象徴であり、ハンスとヨーアヒムも表わしている。
一章からのおさらい。物語をグラフで表わす。

六章の手前までどんどん落ちて行く。雪の章で生への気付きを得たが、療養所に戻ったら忘れてしまった。
最後の終わり方には「見えない上昇志向」がある。



最後の一文
このように世界を覆う死の祝祭からも、雨模様の夜空をいたるところで焦がす熱病のようなひどい劫火からも、
いつか愛が立ち現れるのであろうか。


最後が疑問形。そうでなかったら単にナショナリズムの小説。
名著と言われるのは、ここに集約される。
自分たちが続きを見届けなくてはならない。
未だ続く戦争の時代に、我々がどうあるべきかを考える。
複雑なものを、いかに複雑であるかを示すのが研究者の役割り。