新聞小説「白鶴亮翔(はっかくりょうし)」(1)     作:多和田葉子 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「白鶴亮翔」(1) 2/1(1) ~ 3/9(36)
作:多和田葉子 挿絵:溝上幾久子
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二月から始まった新聞小説。新連載にあたっての紹介はコチラ
この作家の小説は読んだことがない。1960年生れの61歳。

本人は早大卒業後ハンブルグの書籍関係の会社に入りその後ハンブルグ大へ入学・卒業。1982年から欧州での生活(現在はベルリン) 

実家は洋書店経営。

挿絵の溝上幾久子は銅版画(エッチング)作家。
多和田葉子の絵本「オオカミ県」でコラボしたのが縁で今回も協業。


感想
題名の「白鶴亮翔」は太極拳の技だという。「ベスト・キッド」でダニエル少年がミヤギ翁から授けられる、両手を広げて片足で立つポーズ。

連載前の<お知らせ>にもベルリンに住む30代の女性が、太極拳の教室で出会う人々との交流を描くと書かれている。

で、読み始めたはいいが、1回目から七十歳ほどのお婆さんが木に上っているから何とかしてくれ、と友人パウラに頼まれる主人公。

つかみはいいな、と思いながらその流れで話が進むと思ったら、出がけに隣人Mさんに会った事で過去の話に突入。

それが延々と続いて、なかなか現在に戻らない。
過去話で本人の周辺を説明していくというのは小説の手法として否定はしないが、3回目からずっと一ケ月経ってもそれが続くと

「確か今バスに乗ってる筈だったよな?」とイラついて来る。
10年ほど前に連載された「沈黙の町で」が過去と現在を行ったり来たりする手法で、ホント疲れた事があった。
新聞小説というのは毎日少しづつ読み進むものであり流し読みやら、たまに抜けたりする事もある。だからせめて時系列は安定して進めて欲しい。過去の振り返りも数回ぐらいならいいけど「一ケ月」以上なんてやられると、自分が読んでいる場所を見失ってしまう。

整理
友人パウラのヘルプを受けて外出しようとしたところへ、隣人Mさんの来訪。それをやり過ごしてバスに乗る主人公。
主人公ミサ(ペンネーム:高津目美砂)は大学で講師の早瀬と知り合い、彼の留学にくっついてフライブルクに来たが、のちにベルリンへ引っ越す。夫の早瀬はその後日本の大学への就職が決まって帰国。

残ったミサはドイツの大学に入り直して語学に習熟するうちに翻訳の仕事を始める。

フライブルクはココ(知らなかったー:羊さん情報

 

ベルリン内の次の場所へ引っ越した先の隣人がMさん。元エンジニアで若い頃(子供時代?)東プロイセン(現ポーランド東部)からバイエルン地方(ドイツ南部)に引っ越した。敗戦直前の引き揚げ者。

今は同性のパートナーと同居している様だ。
過去東プロイセンで違和感なくドイツ語を話せていた事の意味を、大学へ入って初めて知ったというMさん。ドイツ周辺国の辛い過去。
二度しか会っていないのにここまで詳しく記しているのは、彼が今後も重要な位置を占めるという事かな?

ミサ自身のプロフィールがちょっと釈然としない。

早瀬を夫と書いているが、大学の時は自分が学生で早瀬が講師。

結婚してから渡欧したのか?
早瀬は奨学金で留学したらしいがミサ本人は?
また早瀬が帰国した時、普通は一緒に日本へ戻るだろう(離婚した?)
大学に入り直すと言っても生活費や授業料考えたら成立するわけがない。なんか現実感がないんよね。

それはMさんとその姉についても同じ思い。

そんな境遇で良く大学を出られたものだ(まあいいけど)

Mさんとは引っ越した日にコーヒーを誘われ、先方の家でよばれるが、コーヒーにまつわる友人の話が出たわりにはコーヒーを煎れる、飲むなどの描写は一切なく、その次に会った話に続く。
次に会ったのは喫茶店。Mさんの過去が語られる。

話の様子からMさんの家系のルーツはドイツの様だが、第二次大戦での死者はロシアが一番多かったという話しぶりにちょっと引っかかる。
建築家だというMさんのお姉さんの話も、のちに繋がるのか単なる駄エピ(無駄エピソード)なのか。

以前の新聞小説「カード師」も駄エピ満載だったが。

話は唐突に現在に戻った。

さて、ミサはピカチュウ婆さんをどう扱うか?

挿絵について
質感がスゴくいい感じ。やっぱエッチングだとずいぶん違う気がする。



あらすじ

ある日のこと、外に出ようとドアを開けるとそこにMさんが立っていた。いきなりだったので取り繕うようにドアのきしみの話などするが、相手は何も言わない。仕方なく直球で何の用事か聞いた。
「お願いしたいことがあるんです」はにかみ、悪戯を企む様な表情。急がないというので「お電話下さい」と言い残してバス停に急ぐ。
十五分ほど前友達のパウラから、大木の枝に七十歳ほどの女性が座っていると言って来た。日本人の様だが声をかけても反応なしとの事。

絣(かすり)模様のブラウスにピカチュウのポシェットたすき掛けだから、絶対日本人だと言うパウラ。

警察に電話したから、来るまでの間説得して欲しいとの事。
パウラは大学の時にできた友人で、困ってない人にも世話を焼く性格。
木の上の女性は想像しにくいが、ベルリン暮らしで多少鈍感になった。
寒かったがコートを取りに戻るヒマもなく、バスに飛び乗った。

一息ついてMさんの頼み事のことを思った。

助けられる方が似合いなので、たまに頼られると心が躍る。入居して日も浅い私は、Mさんとこれまで二回しか話したことがなかった。

最初にMさんと話したのはベルリンのある地区からこの地区へ引っ越して来た日。

引っ越しは人や地域の切り替えだが電気、ガス等の切換えが重要。
フライブルクからベルリンへの引っ越しは夫の早瀬に全て押し付けた。
だが早瀬は学者肌で契約書をとことん読み込む性格。それは直接交渉の先延ばしでもあり、来週どころか忘却の恐れもある。
それでは困るので彼がご飯を口にした瞬間

「電話会社に連絡したの?」と彼の記憶を更新。
哺乳類はご飯を口にする時警戒を解く。

この時早瀬は「自分でやればいい、なだめやおだては体力の無駄」

と意外な返事。目から鱗の私は早速電話会社に話をつけた。
しばらく二人で暮らしたが、早瀬が一人で帰国後は全て自分で対応。
電話対応では心配性と外国訛りで相手をイラつかせ、怖さを感じる。
顔を見合わせた対応では不親切にされた記憶はない。電話での違和感より表情が、助けを乞うような印象を与えるのかも知れない。
ボイラーを直してもらった経験は明るい思い出。気力がある日に思い切って電話すると、相手の女性の頼もしい応対。

修理工もすぐにボイラーを直してくれた。他人との接触で若返る思い。
早瀬が去ってもそのベルリンの住居(賃貸アパート)に留まった。
人気がある地区であり、多民族的な雰囲気でメロディーや雑多な言語が飛び交う。

だが日が暮れれば、少ない街灯のせいで足元がおぼつかなくなる。
歩道わきには寝袋にくるまっている人の姿も。住む建物の入り口で寝ている人もいて、鍵を開けるのにもひと苦労。

一人で暮らすならもう少し安心な地区に住みたいと思い、スージーにいい空き部屋の話がないか頼んでいた。

それが見つかり、引っ越し会社のダンボール箱で荷造りを始める。
そんな時に夢を見た。百歳越えの私が天国行きに受かり、行くフライトで持参する本を選ぶ場面。なぜか参考書しかなく、その中の特定問題だけ解いて受かったのが犯罪かも、と思った瞬間に目が醒めた。
直後に電話して来たスージーにそれを話すと、その問題―孫康さんが雪あかりで本を読んだとの部分が彼女の共感を呼んだ。

雪からエネルギーを得る発想が素敵だという。彼女はグリーンピース(自然保護団体)で車椅子でも出来る事務を行う合い間にドイツ語をオンラインで教えている。
スージーとの電話を早々に終え荷づくりを再開するが、本の重圧から逃れるため踊れる音楽を、とCDを探す。
幾人かの男女が描かれ「ブラジレイロ」と書かれている。
ブラジル音楽が始まるとすぐに気分が転換し、肩が揺れ始めた。

本棚の石川達三も三島由紀夫も、レヴィ=ストロースもダーウィンも海に見立てたダンボール箱に飛び込む。皆ブラジルを目指した人たち。

私はあわてて箱を閉めた。
すっかり忘れていた、鶏の絵がついた蚊取り線香の缶が出てくる。
ベルリンで数年に一度遭遇する蚊のために使った。懐かしい香り。
ただ、除虫菊のにおいはドイツでは危険や犯罪を連想させるという。

フライブルグ在住時隣りのシュミーデさんが、預かってくれていた荷物を届けてくれた時、蚊取り線香のにおいに反応。とっさにお香だと言ったが、彼女はあのサハリンとかいう物質を撒いた事件を連想した。
それはサリンの事だが彼女にとってはみな同じに重なる。
ツェーベルクさんなどは江戸文化に詳しく、豚の「蚊遣り」を持っていた。ルフトハンザで客室乗務員をしていた彼女は、アジア勤務のたびに骨董屋回りしたとか。
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蚊取り線香の缶を引っ越し用の箱に詰めた。
引っ越し準備には、まるで幽霊屋敷と繋がっているような家具のすき間のものをどんどん引き出す「歯間ブラシ」的作業が必要。
作業の半分は不要物の廃棄。だが捨てた物に限って後日必要になる。そんな事が何度もあると捨てた事が心に深く刻まれ、後悔の念が。
早瀬が残したこけしを捨てようとした時「命を捨てる」という、高校時代倫理の先生で、クラス担任でもあった五里先生が書いた本を見つけた。先生が癌で亡くなった噂を、その時期に級友から聞いていた。
五里先生が子供の頃、父親が自殺未遂を起こしていたそうだ。
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先生の父親は志願して特攻隊員になったが出撃前に終戦。高度成長期に軍服姿でマンションから飛び降りたが助かった。先生は自身の心が壊れることの回避で「命を捨てる」を書いたと前書きに記していた。人の自死には事前に必ず自由意思を他人の手で抹殺されている。
一度読んだだけで読み返す勇気がないが、捨てようとは思わない。
捨てられない本を集めた「迷い棚」にある「ネオナチ組織者のインタビュー集」と「姨捨山の史実と神話」 後者は早瀬を崇拝した郡山という女性が書き私にプレゼントした。私より彼に読んで欲しかったかも。
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いつか時間ができたら読もうと思うのは欺瞞。そんなぐらいなら今読めるだけ読んで捨てた方がいい。だが「姨捨山の史実と神話」の姨の字を見て捨てられないと思った。その字には誇りと強さと謎がある。

姨は私の人生を貫くテーマになるかも知れない。

ダンボールの組立て作業で指を痛めたので、とっておいた軍手を使った。「軍手」という死語も、とっておけばいつか役に立つ。
ダンボールの借料は新品2ユーロ、使用済みは1ユーロ。
使用済みを選んだので箱にマジックでいろいろ書いてある。
「光」「救い」の意味は?新興宗教の幹部でも運ばないだろう。
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「光」を「下着」 「救い」を「掃除用洗剤」と書き換えて感じる僅かな解放感。荷物を詰める作業は、自分の過去を始末し未来へ持ち越すための、一人だけでするもの。
だが、引っ越し屋が来たとたん静かさは消え、人の息吹で満たされる。

スージーの紹介で依頼した業者は「チーター」という、学生が作った会社。チーフはオランダ人の背が高い学生。
最近は卒業前後で社長になろうとする者も少なくないという。
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「チーター」は社長ともども、雇われている学生の国籍も様々。
シドニーから来ているという大柄な学生が、長い事開けていないトランペットのケースを抱え「君、トランペット吹くの?」と聞いた。
もうずっと吹いていない、と返事。
僕らのバンドに入らない?と軽く話す学生。サンバ系。
リズムは呼吸だと言う。
社長にせかされて去ろうとする学生の腕をつかんだ私。前から気になっていた、アジアの女性は肺が小さくトランペットは無理かとの問い。
測りもしないで?と不思議そうな彼。
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脳味噌の重さで知能が定義されるのかと返され、考えているうちに学生は外へ。外のトラックは、開けたリヤドアから掛け布団カバーのユリ模様が見えて恥かしい。最後の荷物を積み込みトラックが走り出す。
私は地下鉄に向かった。
新しい住居での荷物積み込み作業。

学生に聞かれ、置き場所を指定する。
若者たちが引き上げると、人の動いた気配だけが空中に残った。
携帯電話が鳴る。スージーから。
状況を聞かれ、一つだけ不気味な事があったと返す。
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それで話した「光」と「救い」のダンボール箱。新興宗教に違いないと言うとスージーが「光」はランプ、「救い」は救急箱でしょうと言った。
電話を切るとコーヒーが欲しくなったが、道具が「台所」のどの箱にあるか分からず、外に出て喫茶店でも探す事にした。
裏庭に出てみると、隣家の初老の男が薔薇の剪定をしており目が合った。私は「今さっき引っ越して来た者です」と挨拶し「ミサ」と名乗った。
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男は名乗ったようだったが口が髭に埋もれMの音しか聞き取れない。
すぐ去ろうとすると「お役に立てることがあったら何でもおっしゃってください」と明快な口調。
あいまいな返事に「例えばコーヒーを飲みたいのに道具が出せないとか」と図星の指摘。
幼い頃姉から読心術を習ったと言い、改めてコーヒーの誘い。
Mさんの独特の口調に引き込まれる。Mさんの家に入るなり薔薇の香り。靴箱の上に眼鏡をかけたとぼけた顔の置き物。
そしてMさんには大きすぎる長靴。息子と同居?
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豆を送ってくれるコロンビアの友人が羨ましいと言うと、若い頃は論敵だったが今でも連絡し合うのはそのシュテファン・アストだけだと言う。
Mさんよりその名が記憶に残る。論敵と言っても遠くに住んでいるので、物のやりとりだけで済んでいるらしい。
コーヒーをもらって、こちらからはリストに従いドイツ語の本を送るという。送る前に読もうとするが、社会正義などクセが強くすぐ挫折。
優しそうなMさんが辛口の批判家に見え、自分への反響を警戒した。
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アストさんがコロンビアに移住した理由を聞くと、エイゼンシュタインの「メキシコ万歳」を観たからだという。
その後コロンビアでコーヒー園をスイス人の資産家と始めた。
急に、遠い親戚が南米のある国で鶏卵の事業に成功した話を思い出して話してしまった。遺骨の扱いを本人が言い残しておらず、遺族は埋めるのが現地か日本か困ったという。
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死んだ者の骨の行方を気にする文化に驚くMさん。
その人が卵アレルギーだった事で遺伝子の話になる。
Mさんのコーヒー好きの遺伝子。コーヒー文化が栄えたのは地中海近辺という事から、Mさんは自らの遺伝子が国際的だと話す。
曽祖母にはいつもイタリア・南方系の複数の恋人がいたそうで、かなりのスキャンダルになり「シニョーラ長靴」と呼ばれていたという。
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長靴をイタリア全土に例え、隅々まで知っているというやっかみ。

自分の祖父以外の三人の子供の顔が異なっており、噂があったらしいが証拠はないとの事。
話が重くなりそうなので、コーヒーは昔からお好きで?と話をそらす。
昔コーヒーはなかったと言うMさんの、小皿を置く動作が気になった。
今流行の腰痛だという。
私も時々ぎっくり腰になると話すと、湯たんぽがいいと言うMさん。
茹でたジャガイモを袋に入れ腰を乗せ一晩寝るといいと聞き、やってみたら嘘のように治ったと話す私。
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それを聞いたMさんは、かつて居候の時じゃがいも自作の経験があり、捨てるための用途は無理だと言った。
話を変えるMさんに、腰痛の原因は文筆系の仕事かと聞かれ、翻訳をしていると返す。
聞かれるまま大学で文学部に進み、そこで講師だった夫と知り合いそのまま夫の留学についてフライブルクに来た事まで話してしまった。
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奨学金が切れて、私たちは一年間私費でベルリン生活をしてみる事にしたが、夫は実家近くの大学への就職が決まり帰国。私はそのまま残ったと話す。Mさんはまだ沈黙。
結局ここで大学に入り直し、奨学金でしばらく通ったが翻訳をやり始めて今は通わず。
面白い仕事で収入を得られると言うMさんに、小説の翻訳などは出来ず、退屈な仕事が殆どと返す私。初対面の人に話しすぎた気まずさ。
電話が鳴ったのを機に家を辞した私。
Mさんとは半月ほど後に一度話をした。
引っ越し荷物は調理器具など整えただけ。
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今頼まれているのは旧東ドイツの日常に関する資料の大要翻訳。
依頼主は東京のある大学教授で社会主義の研究者。

スラブ系言語には強いがドイツ語は苦手だという。
翻訳ソフトで掬いきれないものを文脈から読み取る事が求められる。
例えばドイツに持参するコーヒー豆についての説明も、文脈によっては挽いたものか豆のままか翻訳ソフトでは判別が出来ない。
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コーヒーのない東ドイツに持って行くのなら挽いたものに違いない。

わざわざそれをことわる背景考慮が訳には必要。
その点辞書は素晴らしい。製本の世代により的確な表現がされる。

Mさんと二度目に会ったのは近所の「ケストナー」という喫茶店。

仕事の息抜きで立ち寄ったのだが、店の奥に座る男性が目をあげた。
親しげに立ち上がろうとしたMさんが、痛みのせいか動きを止めた。
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どうぞ座ったままで、とMさんを座らせ、アーユルヴェーダのブレンド茶を注文して彼の前に座った。皺を寄せて微笑むMさんが挿絵で見た杜甫に似ている。それを話すと、東プロイセン地方にはドイツ人なのにアジア的面影のある人間が時々生まれると言ったMさん。
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東プロイセンをポーランドで括ろうとしたらMさんは「ロシア領、リトアニア領もある」 歴史の傷口は当事者にとっては一ミリ間違えても痛い。
ドイツ人の東方植民開始時期について聞くと八百年ほど前とのこと。
アジア系としてフン族が入ったのが四世紀頃。プルーセン人という非アジア系もいたという。
Mさんのパートナーがそのプルーセン人の末裔だと話した。

パートナーの単語が男性形だったので、そういう事かと思った。
仕事の邪魔では?との問いに休憩で来たと嘘をつきジャケットで鞄を隠した。
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Mさんに職業を尋ねてみた。今はしていないがエンジニアだったという。若い頃は農作物の改良をやろうと考えていた。芋に興味があった。

東プロイセンからドイツに引っ越してすぐ畑で野菜作りを始めたという。
自分の、日本からドイツへの引っ越しは大きな跳躍だった、と私。
Mさんが引っ越したバイエルン地方では、自分が外国人なのか現地の人たちが外国人なのかと思い、家族に聞いたという。

「ここは一体どこ?」
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姉はカトリックの国、叔母はバイエルン国、叔父は祖国ドイツだと言い混乱。年上の従兄弟が言う「連邦共和国」が最も正しい。

それにはなるほどと思った私。
言語の事を聞くと、ドイツに来る前からドイツ語で暮らしていたという。ポーランド人がドイツ語を話していたから。

それが傲慢だと大学に入ってから気付いた。それからポーランド語を学び始めたが英語の十倍以上難しいと言った。
カウンターからお茶が出来たとの合図があり、立ち上がった私。
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頼んだサフランのお茶はほとんどお湯。

お茶とコーヒーの嗜好で軽い議論に。そこから野菜の話となり、Mさんが野菜を作ったという戦後の話に移った。
終戦直前に叔父家族と共にドイツ本国に着いたMさんと姉。

その後叔父家族と別れてある農家の居候となり、敷地の一部を借りて小屋を建てた。
畑を作るのは楽しかった。ジャガイモだけでなくシュテックリューベというカブも。あれには命を助けられたという。


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小屋を建てたり畑を作ったりという事に感嘆。

やるしかなかったと言うMさん。
ご両親の事を聞くと戦争中に事故で死んだという。

第二次世界大戦でロシアが最も多くの死者を出したと聞いて内心疑ったが、この数字には自信があるとの事。
家を建てたお姉さんの事を聞くと、子供でいる事が許されない時代だったと言う。政府の政策で農家による子供の引取りは行われたが、邪魔者扱いされた。
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厳しい環境の中で姉が家を建てようと言い出したた時は嬉しく、彼女は父親代わりでもあったと言うMさん。

その姉は後にベルリン工科大で学び建築家になった。
ニコラ・ミーネンフィンダーというその建築家:姉の名を私が知らない事が悔しそうなMさん。

自身の名はMしか聞き取れなかったのに明快な発音。
名といえば「ミサ」というのは、私の翻訳者としてのペンネーム「高津目美砂」による。最近では本名よりも着心地がいい。
本当にニコラ・ミーネンフィンダーの名を知らないかと追及するMさん。
建築音痴で有名な建築家の名さえ知らない、と言い訳する私。
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高名な建築家のダニエル・リーベンスキー、タダオ・アンドー、レンツォ・ピアノの名を言われ「偶然知っています」と答えた私。

互いに吹き出した。
ニコラの建築は戦後の廃墟から出発しているという。

オリジナルの瓦礫を使いたいという顧客は南ドイツの富豪が多く、金に糸目をつけない様な連中。Mさんの姉が存命か分からず、どんな家に住んでいるかといった事も聞けない。
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気付いて回りを見ると、この店内も廃材で出来ている様に見えてきた。
Mさんに帰りましょうかと促され、2時間もいた事に気付いた。

その後しばらくしてからMさんか訪ねてきて、頼み事があると言われた。私の場合、頼まれ事で多いのは漢字を読むこと。

いつだったか通りがかりの書店の店主から、父親の遺品の掛け軸の内容を教えて欲しいと頼まれた。
メールで送られたものは「国破山河在」「城春草木深」ときて「感時花濺涙」は漢語辞典を頼りに訳した(濺は水をそそぐの意)
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しかし「時」や「感」の文字の意味を考えるうちに自信をなくし、辞書を引く。漢詩は難しくなり四行目の「恨別鳥驚心」などは、仕事の上司部下の関係を想像しながら訳した後メールを返信。

本屋さんには感謝された。
だからMさんの頼みも掛け軸などを訳すのだろうと思ったが、その時は出がけだったため聞くことができず、以後会っていなかったので気になっていた。
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外に出るたび隣りの庭を見たが薔薇が見えるだけ。

先方が遠慮しているとの判断から、何日かあとにMさんの自宅呼び鈴を押した。だが待っても家の中は静か。

二度ベルを押していいのは郵便配達人だけ、とのスージー忠告よりベル連打を断念。

あの時、頼みごとがあるとMさんが来た時にはパウラの用事で出掛けるところだったので聞けなかった。

日本人と思われるおばあさんが木の上に腰かけている件。
バスを降りると、パウラと彼のボーイフレンド ロベルトが駆け寄る。

ドイツ語が通じない相手(英語、スペイン語も)なので日本語で話してみて、とパウラ。