おばちゃんのこと | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

先日在所のN市に行き、かつて住んでいたところに立ち寄ったら、家がなく全くの「更地」になっていた。こんなに衝撃を受けたのは久しぶり。

家の者は7月頃居なくなり、建物は11月頃に取り壊された、と向かいの家で聞いた。


思えば昨年以来、家には立ち寄っていなかった。
おばちゃんはF地区の特養ホームに行ったとの話を聞き、あちこち聞き廻りながらも何とかたどり着き、1年ぶりに会うことが出来た。思ったよりは元気だった。
家の者の住所は判らない。今の私にとっては興味もなく、特にホーム側に聞くこともしなかった。
しかし、夜逃げ同然に居なくなり、親は老人ホームに押し付ける。これでは安いTVドラマ並みの筋立て。一体何があったのか。

 

 

私にとって「おばちゃん」という言葉は「母ちゃん」に匹敵する。
両親を亡くした後、父方の伯父に引き取られた。その時の連れ合いがこのおばちゃん。5人の子供がおり、当時その末っ子がまだ家にいた。
特に差別されたという印象はない。まあ淡々とメシ食わせて寝る場所を提供されたというところか。
多分引き取られて2年ぐらいは、手負いの動物の様な状態だったのだろう。その時の記憶が私自身もあいまい。
小5ぐらいから、ようやく一家の一員であるという認識が出来て来た。それは農家の仕事に関与する様になって、それなりに自分のポジションが出来たためだったかも。

 

 


中2の時に伯父が脳卒中で倒れ、伯父の長男(私にとっては従兄弟)の家族が乗り込んで来た。伯父はその後1年足らずで他界。
従兄弟は、家の半分を壊し奥の土地を広げて家を新築。
それからは嫁と姑の確執がひどく、いつもその事でおばちゃんからの話を聞くうちに、何か「同志」とでもいう様な連帯感が生まれていた。
私自身、その家には2年程度しか暮らさなかったが、それなりの愛着はあった。

 

 

その従兄弟は公務員だったが、嫁の派手好き(お茶、お花の師匠)で金が必要となり、ある事業を興した。当初は順調に売上を伸ばしていたが、数年後トラブルによりあえなく倒産。またそこに至るまでに田畑、家の権利等が全て担保流れになってしまった。
ずっと10年近く債権者の温情で住まわせてもらっていた家も、とうとう追い出されてしまったという事か。

 

 

 

 

それにしても財産を勝手に食い潰し、兄弟からも多額の借金をしており、その上親は特養に押し付けるとは、全くなんという息子か。

 

 

自分は息子ではないので、こういう場面では何も知らされない。が、おばちゃんとのつながりは一番深いという思いはある。

 

 

年齢は多分90歳近いだろう。軽いボケ症状が出始めており、私の事も覚えてはいるが、名前が出て来ない状態。本当に切ないが、まあ出来るだけ顔を見せに行くつもり。

 

 

生きるという事について、いろいろ考えさせられるこの頃だ。
(2005.12.6)