誰かを無暗に持ち上げてはいけない | 預言者のコラム2

預言者のコラム2

俗言ではなく、預言者の視点から哲学、
人生、宇宙、宗教、
時事問題などを語って行きます。

 

将棋の世界では「先生」と呼び合うそうだ。
落語家戒では「師匠」。
 

これらは悪い事だ。誰かを尊敬し持ち上げることのどこが悪いのか? それは誰かを持ち上げる人というのは必ず、その反面「誰かを蔑む」からに他なりません。
これは差別です。
 

「東大生は偉い」と言ってもいけない。彼らはただ杓子定規なお勉強ができるだけだ。つまり言われた通りのことはできるが、何が正しくて何が間違っているかを判断できず、自分で自主的に正義の活動が出来ない人々の集団だからです。


先日、秘書を罵った狂気の代議士が話題になったでしょう。彼女は東大出で、人格欠損だ。高学歴者にこのような資質の人は少なくないのです。そもそも「驕り」というのが「人格欠損」なのだから。
 

東大は日本では最高峰だが、ケンブリッジやハーバートからは見下げられているものです。世界にはその国特有の最高峰大学がある。北京大学やらソウル大学やら。私は詳しくないが、しかし東大はその多数の中の1つに過ぎないのです。

日本という狭い国にいると視野が狭くなり、そこが最高峰に見えるがそうではないのです。


このようにどのような権威であって、決して見上げてはいけないということです。人間など皆、糞をして死ぬだけの存在なのだから。
 

しかし糞をして死ぬだけの人間ではない人々もいます。
それは謙虚で、慈悲があり、差別せず、セックスに於いて清く、人々を助け、世を改善しようとする人々です。
 

それは物質を超越した行為だ。

「物質」=「地上」に固執する人々は地位、権威、金銭、名声を求めます。そのために学歴、教員免許、医師免許、弁護士免許などを取り、自分自身の地位と金のために躍起になっている。

これが糞をして死ぬだけの人間たちだ。

彼らが歩んだからと言って、世が改善されるわけではない。(世界から殺人、戦争、無慈悲がなくなるわけではない)
 

もし世を改善させたければ、その人自身が威張らず、人を圧せず、見下さず、窮地にある人々を助け、霊的な高みと同調するような存在にならねばいけないのです。

そうすればそれは物質性を超えるのだから、その人の人生に意義があったことになるのです。

しかし誰かをその権威だけで持ち上げるのは、差別に他ならず、
芸能人は落語家や芸人を「師匠」と呼んではならず、将棋師たちもお互いに「先生」呼ばわりしてはいけないのです。
 

医師、教師、弁護士たちに関しても「先生」以外の権威のない呼び方を社会は考案すべきだと私は提案します。

 

 

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