「し」はタブー 歌丸、裸芸に物申す | 預言者のコラム2

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『復帰の歌丸、日本のお笑い界に物申す 裸芸に「面白いと思われちゃ困る」Yahoo!ニュース 6/17(土)
笑点メンバーと囲み取材に応じ、ピン芸人・アキラ100%などの「裸芸」に物申した。
「失礼ですけど、日本語を使わないで笑いを取っている芸能人の方が大勢いるじゃないですか。これも、言っちゃ失礼ですけど裸でお盆持って出てきて何が芸なんですか。私は違うと思うな」と、アキラ100%のお盆で隠すネタをバッサリ。』


タブーというか、禁じ手というか、ある意味やってはいけないことがあります。
例えば、映画でも本でも漫画でも、安易な作りのことです。
 

世のうわさで「どらえもんの最終回は主人公ののび太が実は病人で、全ては彼の想像だったという終わり方をするのだ」というのがあります。楽しかった活動が全ては夢だった、妄想だったというのは、とても落胆させ、不愉快なものです。
 

つまり、どんな作者でも、物語の最後は「夢でした」とするのは安易であり、視聴者、読者をがっかりさせ、裏切るというもの。

以下、私が感じたもの

お笑い界 「しもねた」
どうも、しもねたというのはそれだけで万人をクスクス笑わせる力を持つようです。幼稚園児が「うんこ、うんこ」と言って喜ぶのといっしょです。それだけにテレビに出る芸人がそれで笑わせるのは卑怯というもの。
そのような芸人は「力」がないということだと思うわけです。

歌丸さんが指摘していた「裸」というのもそれでしょう。

芸人たちで飲みに行ってすぐに脱ぐ人がいるそうですが、彼らは安易に笑いを取りたいから。

(あと食レポートで「うまい、うまい」連呼する人。「うまい」は誰にでも言えること。プロなら、「うまい」という表現を使わずにうまさを伝えろ~その点、彦摩呂は上手だといえる)

ボクシング界 「しろうと」
先日亀田なんとかが、しろうと相手に買って喜んでいましたが、ボクサーというのは格闘技のプロ、これは素人には敵わないものです。素人がどんなに強くてもはプロには歯が立たないもの 。
そんなことは当たりまえのこと。
 

プロが素人を相手にすることは、弱い大人が自分の強さを示したいために、幼稚園児限定で喧嘩をするようなもの。亀田なにがしはよっぽど自分に自身がなかったのでしょう。
 

ボクシングというのは喧嘩とは違い(暴力性があるが)、撃つことだけでなく、いかにかわすかという技術が問われるのです。あとスタミナの問題など。だから腕力だけでは戦えないのです。
ゆえに、格闘技のプロがしろうとと戦うのはタブーなわけです。

映画 死 
先に、「夢落ち」の話をしましたが、もう1つ、物語のラスト、もしくは中盤で主要人物を死なせるのはタブーだと私は思います。絶対いけないわけではないけれど、これはお笑い芸人が「しもねた」を使うようなもの。


なぜなら、「死」は誰をも感動、動揺させるものだからです。だからもし映画に感動を加えたかったら「死」を導入すればいいということになってしまうのです。うまい人はそれを持ち込まず、感動をつくり上げねばなりません。


下手なのがビートたけし。私の中では彼がいかにフランスで勲章をもらおうとも、「彼はしろうと」。お笑い芸人の余芸。
その証拠に彼の映画ではいつも、「死」が描かれるのです。安易。

おもしろいことに上記の法則があります。皆「し」に関するものです。
「しろうと」「しもねた」「死」と。
 

 

 

 

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