人々は学校で教える教科を学びだと思っています。国語、算数、理科、社会、確かに大切ではあります。
しかし、人間は一度死んで、再び生まれて来ると、それまで成人だったのに再び赤ん坊から始めなければならない。やっかいなものです。そして再び知識を付けて行く必要があるのです。
数字は宇宙的なものだし、言語はコミュニケーション。理科は自然科学であり人間に根付いたもの。そして人間は社会ルールの中に生きている。
しかし、それだけではないのです。本来なら教科に組み込まれなければならないものを現代人は省いてしまっています。
例えば僧侶がする修行などです。断食して空腹による忍耐をする。これは謙虚になり、貪りを止める意味があり、忍耐力を培う意味もある。そして体から余分な毒素を排出する意味もあります。
断食が必須と言っているのではなく、精神を鍛えることも、その意義を教えることも大事だということです。
キリストは子供の頃、天文学や占い、瞑想、なども教科として学んだそうです。
そして今の社会を見ると、圧迫面接をしている人々は、他者を虐げてはいけないということをまだ学んでいないことになるではありませんか。
金持ちなど優位に立つ人が他者を蔑んでいたら、彼もまた学びが足りないということになるのです。
金持ちが貧しい人々に与えていなかったら、それも無知と言えます。
原子力が危険だと、人間が扱うべきものではないと理解出来ない人々、利権、利益を優先する人々も学びがない人です。
誰かを仲間外れにする人々もそう。
戦争をしている人々も、肯定する人々も。銃を肯定アメリカ人も。
過去の戦争問題で他国を憎む中国や韓国も。姦淫を容認している日本も。
無作為な性行をよしとするフランス人やアフリカ人も。皆、学びが足りない人々なのです。
こうして人間たちは人生を終えると死ぬわけです。すると学んだ知識は0に戻るのです。良いものも、悪いものも。表面的な知識は消えます。
しかし、愛を培ったら、礼儀、謙虚さ、反攻撃性を持ったら、それは来世にも受け継がれるのです。
このように人間らは転生を繰り返しはするけれど、良いものだけを自らの糧とすることが出来るのです。
あなたは学んでいるでしょうか。良いものを学んで魂の糧としなければなりません。
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