水の上を歩くキリスト | 預言者のコラム2

預言者のコラム2

俗言ではなく、預言者の視点から哲学、
人生、宇宙、宗教、
時事問題などを語って行きます。



聖書にこのような話があります。

『使徒たちが海を渡ろうとしていると、海が荒れて嵐になった。その時キリストは陸地にいたが、使徒たちの苦難を感知した。
使徒たちは荒れ狂う海に人影を見て言った、「化け物だ」。しかし、ペテロは言った、「いや、あれは師だ」。キリストが海の上を歩いて彼らを助けに来たのだった。そして、キリストは船に乗り込むと、海を叱りつけて、凪にした。』

この物語は、最初、助けに来た神が化け物に見える、ということを語っています。しかし、よくよく見るとそれが神だった、ということです。

では、これが我々とどう関係があるのでしょう? それは、我々の日常でも、神の救いは一見、とんだ災いに見えるものだ、ということなのです。

例えば、あなたが風邪をひいたとします。それはあなたにとって、災いです。しかし、どんなに小さな災いでも、それはカルマの成せる業なのです。

(エドガー・ケイシーも、あなたはこの意見~全てはカルマであるということ~を気に入らないだろうが事実である、と言っている)

そして、上の理論から言うと、これは「神の助け」ということになります。

では、風邪をひくことのどこが神の恵みなのか、とあなたはおっしゃるでしょうが、それは、あなたが犯した小さな罪が、これによって解消された、ということだからです。

要するに、あなたは罪を犯したけれど、それが許された、ということが恵みなのです。もし許されなければ、もっと大きな災いが降りかかるかも知れないし、罪が加算されて残るかも知れないからです。

ここで、大地震や放射能汚染などについて考えてみましょう。我々はそれをいわば「化け物」と認識しています。しかし、我々の中のペテロは、そこに「神からのメッセージ」を読み取るのです。

では、どのようなメッセージなのか。それは、「災いが起こったこと自体が、反省するべき好機だ」ということであり、「これを機に、他者に慈愛を捧げるチャンスにするべきだ」ということであるのです。

今の日本は、たまに大きな地震があります。しかし世界を見回すといいでしょう。

インドなどの他の国でも大きな地震はあり、日本程の規模でなくても建物のが脆弱なため多くの死者を出したりしています。

アメリカでは台風、竜巻、山火事などの惨事があり、日本にいては知り得ませんが、それぞれの国にそれぞれの形の災いがあるのです。

その時、人は、ただやり過ごすのではなく、そこにメッセージを読み取らねばならないのです。

古来、雷を「かみなり」と呼んでいます。「神が鳴らしている」ということなのでしょう。
イスラムの礼拝の時に雷が鳴って皆、「アラーからの言葉だ」と言っていました。
そのような人々を現代人は笑うけれど、案外、むしろ賢いのかもしれません。

大きな地震があって老人が「ああ、神様が怒っている」と言ったら子供らは笑うでしょう。「単なる自然現象だよ」と。
しかし、そこには必ず意味があるものです。

イエスキリストの処刑の時、正午なのに空が真っ暗になりました。それは日食のせいだったのですが、エドガーケイシーによるとそれは必然であり、ただの偶然ではなかったと言います。

我々は困難があった時、恐れ不安になっても後ろにキリストがいることを確認し、やり過ごすのではなく、教訓にしなければならないということなのです。




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