8月9日は長崎に原爆が落とされた日、8月6日は広島
追悼番組を毎年放映しますが、それを見ていて思ったこと。
中国はかつて日本軍が悪いことをしたと、日本を恨み続けています。
しかし私に言わせればそれは日本の軍人が悪かったということで国民に罪はないことです。
韓国人も日本を許さないと言っていますが、それも悪いのは日本のかつての軍人。
そして日本に原爆を落としたのは、日本の軍が悪かったから日本を懲らしめるためにアメリカが取った措置だから、それは正しいことと多くのアメリカ人欧米人は言います。
しかし、元凶は日本の軍人たち。
日本の国民には非がなかったのです。
そして日本人(広島、長崎では)はアメリカを非難する運動をこの時期行いません。
ただ、「2度とこのようなことが起きないように」という謙虚な姿勢を保っています。
彼らは当時、日本に原爆を落とした張本人ハリー・トルーマンを責めないのです。私はその態度を立派だと言うでしょうか。
テレビの報道ではこう伝えていました。
ポツダム宣言の会合から帰る船の中でトルーマンは広島への原爆投下が成功した知らせを受け、飛び上がって喜んでいた、と。
(ポツダム宣言というのは原爆を投下するための口実~単なる大義~だったようです)
憎むべきは、旧日本軍であり、憎むべきはアメリカではなく、トルーマン個人です。
人間は何と極端か。一方で憎しみをたぎらせ、一方で大量残虐殺人犯の名すら忘れている始末。ほとんどの日本人はトルーマンの名を口にしません。
悪魔という言葉をもし引用出来るならこの者こそ悪魔ではないでしょうか。
私は戦争のことを述べているのではありません。戦争という視点では日本軍も悪かったのですから。
問題は無知とはいえ、人が扱うべきでない兵器=核を使ったことです。(同じ理由で人が扱えない原発は否定すべきだ)
これが人類史上初めての使用だからトルーマンもこれがどんなに残酷なものか知らなかったという言い訳は立つでしょうが、彼が日本人=ジャップを人間として見ていなかったことは確かです。
なぜ広島や長崎が標的となったのか。それは当時そこにはアメリカ人の捕虜施設がなかったからだそうです。
彼はアメリカ人数人の命は尊重し、数十万人の日本の庶民(罪のない女、子供)は人間と見ていなかったのです。
問題は彼が正義のつもりだったということです。彼はアメリカの視点から正義を行なったつもりだったのです。
そして今日本で武力を持とうという動きはどうか。それは世界を見据えてのことではなく、日本の視点からに他なりません。
このように個に向かうことは危険だということです。もっと広い視点を持たねばなりません。
また
私が権威を批判する理由がここにあります。
今の日本の政治家たちは、自分をエリートと自負し、庶民を見下しています。医師も教諭も警官も官僚も、金持ちも、スターも自分は特別だ庶民とは違うと自負しているのです。
それは下のものを差別し、同等とはみなさず、下の者らがどうなってもいいという姿勢に他なりません。
安倍さんをはじめ、政治家、総理大臣というものはほとんど、「苦労知らず」です。
政治家の家系に生まれ、飢え死にしそうになったこともないし、失業し自殺を思ったこともないでしょう。
石原慎太郎は若くして文学賞を取り先生呼ばわり、その息子さん方も同様。
だから、オリンピックには湯水のごとく金を使うけれど失業者対策は成されず、逆に消費税を上げ、かつ庶民を見下しているわけです。
この論理が極端でしょうか。権威たちはトルーマンのように人殺しではない?
トルーマンもただの政治家のひとりだったのです。権威というのは予備軍なのです。
イエス・キリストが祭司ら(権威)を批判していた理由もここにあります。
人の(魂の)傲慢さこそ罪であり、改められなければならないのです。そうでないと延々と転生の輪に取り込まれることでしょう。
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