⭐️やさしさ通心…No.752 | yasashisatuushinのブログ

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毎週土曜日の午前10時に配信しています。

2024年8月10日(土)

 

おはようございます。

 

先週のやさしさ通心では、原爆投下に対する現代のアメリカ人の反応をご紹介させて頂きましたが、

 

今朝は、戦後すぐ(昭和23年)にアメリカで出版され大変大きな反響がありましたが、日本ではGHQの指示で発禁になった本『アメリカの鏡・日本』についてご紹介させて頂きます。

 

著者は、ヘレン・ミアーズという東洋史の研究者で、GHQのメンバーでもありました。

 

ヘレン・ミアーズは、1920年代から日米両国が開戦する直前まで東洋史・地政学を研究し、二度にわたって中国本土と日本を訪れ調査していました。

 

そして、大東亜戦争中はミシガン大学、ノースウェスタン大学などで日本社会について講義していました。

 

また、連合国軍占領下の日本ではGHQの諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして、戦後の労働基本法の策定に大きな役割を果たしています。

 

帰国後の1948年(昭和23年)にアメリカ本国でこの本は出版されました。

 

著者のヘレン・ミアーズ自身より同書を贈られた日本の女性翻訳家の原 百代(はら ももよ)は、CIE(民間情報教育局)に日本での翻訳・出版の許可を求めたが、却下されてしまいました。

 

原 百代の訳書は『アメリカの反省』という邦題で、1953年(昭和28年)に、文藝春秋新社で出版されましたが、当時は埋もれた著作となっていました。

 

そして、2005年6月、発行元    角川学芸出版、角川書店、アイネックス、文藝春秋新社、訳者    伊藤延司、原百代で、再度出版されています。

 

今朝のお話は、戦後の自虐史観を一掃する内容ですので、ぜひ、日本人全員に読んで頂きたい内容です。

 

『アメリカの鏡・日本』

    〜戦争の背後にある真実〜

 

日本の歴史を日本の立場から説明すれば、彼らは世界を征服する野望にとらわれていたのではありません。

 

「世界のどこの国にも征服されたくない」、という気持ちに動かされてきたのです。

 

私たちアメリカ人が最初に入植した13の地域は86万8980平方マイルの面積がありました。

 

これに対し日本は、9万1654平方マイルにしかすぎませんでした。

 

ペリーが日本の「門戸」を開いた時、私たちの人口は2300万人をわずかに超える程度だった一方、日本の人口は3300万人もいました。

 

それでも「門戸を解放」させようとしたのは私たちの方でした。

 

日本はロシアの脅威から「半島の独立」という実に最もな動機で、中国、そしてロシアと戦いました。

 

第二次大戦後の日本は、「自分たちは何のために戦ったのか?」を忘れてしまったかもしれませんが、日本は当時の国際慣行を律儀に守り、それに促されて行動していたのです。

 

パールハーバー以前の日韓関係について語る歴史かは、

「日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細やかなところまで几帳面に守っていた」

と褒めているのです。

 

そして、宣言ではなく条約で、最終的に日韓併合を達成したのです。

 

これに対し欧米列強の帝国建設は、ほとんどの場合、日韓併合ほど合法的な手続きを踏んでいませんでした。

 

日本人はこれに気が付いたのです。

 

そして、日本人が学んだのは「大国として認められたいなら、ルールを適用される側ではなく、ルールを作る側に回れ」ということでした。

 

日本人は、人道主義・機会均等・人種の平等なるものは、国際法のルール同様「※法的犠牲」に過ぎないことに気づいたのです。

※法的犠制=法的に、ただそう言っているだけ

 

日本から見るとこの戦争は、米英の政策が引き起こしたものでした。

 

アジアが独自に発展するのを阻止し、米英企業が優位に立つために、日本の貿易競争力を抑え込もうとするものだったのです。

 

この日本側の視点はアメリカ人は誰も認めませんが、実際に行われた米国政府の公式説明と政策は、まさに日本の解釈を裏付けていると言えます。

 

日本の立場から分析すると、確かに日本は、自国が欧米諸国によって不利な扱いを受けていました。

 

また日本は、アジア・太平洋地域で大国に包囲されていました。

 

日本はアメリカの言う「自由経済」や「主権尊重」といった表向きの政策は、「飾り」に過ぎないと思ったのです。

 

「大東亜の民のために」、「共栄圏を建設する」という日本の構想は、アジアの植民地に自由経済圏を構築しようとするものでした。

 

日本は現地住民に独立を約束し、具体的行動も進めていました。

 

1935年には既に満州での治外法権を放棄し、1943年には中国政府に租借地を返還しています。

 

大戦中、日本は実際に占領したすべての地域に「独立政府」を樹立していきました。

 

もしヨーロッパ諸国とアメリカが、アジアの植民地に戦争を持ち込まなかったら、アジアの独立政権は喜んで、共栄圏発展のために日本に協力したことでしょう。

 

日本軍による真珠湾攻撃以来、我々アメリカ人は、日本人は近代以前から好戦的民族なのだと信じ込まされていました。

 

しかし、前近代までの日本の歴史を振り返ると、同時代のどの欧米諸国と比較しても平和主義的な国家であったといえます。

 

開国後、近代化を成し遂げる過程で日本は、国際社会において欧米先進国の行動を見習い、

「西洋の原則」を忠実に守るよう「教育」されてきたのであり、その結果、帝国主義国家に変貌するのは当然の成り行きだったのです。

 

ですから日本が、好戦的、侵略的とも見える行動は、我々欧米諸国自身の行動、姿が映し出された鏡といえるものであり、

 

東京裁判などで日本の軍事行動を裁けるほど、アメリカを始め連合国は潔白でも公正でもありません。

 

さらに戦前・戦中においては、国際政治問題は「道義的」かどうかではなく「合法的」かどうかが問題とされていたのであり、

 

戦後になって韓国併合や満州事変も含め、道義的責任を追及する事は全くの偽善であると言えます。

 

実際に戦前・戦中の段階で、日本の政策に対して人道的懸念を公式表明した国は皆無であり、

 

自国の「合法性」を主張する言葉でのみ日本を非難し続けるのは不毛であります。

 

【なるためJAPAN、及び、ウキペディアより】