⭐️やさしさ通心…No.753 | yasashisatuushinのブログ

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心に栄養補給を!!
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毎週土曜日の午前10時に配信しています。

 

2024年8月17日(土)

 

おはようございます。

 

お盆も過ぎ、今朝の大阪は日本列島から遠のいて行く台風の影響か、爽やかな風の吹く良いお天気の朝になりました。

 

そして、パリオリンピックも終わり、79回目の終戦記念日も終わりましたが、女子卓球メダリストの早田ひな選手(24歳)の記者会見が多くの人に称賛されています。

 

記者に、「日本に戻って行きたい場所は?」と聞かれ、

 

「鹿児島の特攻平和記念館に行って、自分が生きているのと、卓球ができているのが、当たり前じゃないことを感じたい」

 

私は目頭が熱くなるほど大変感動しました。

 

一番最後に、そのことが報道されたテレビ番組のURLと、記者会見全てのURLを貼り付けてありますので、ご覧下さい。

 

日本は、何のために先の大戦を起こしたのか?

 

それは「大東亜戦争」という名の通り、間違いなく、アジア諸国を欧米の植民地からの解放するためだったのです。

 

今の私たちには考えられませんが、植民地になるということは、その植民地の人々は家畜(牛や豚)になることと同じことだったのです。

 

しかしその「大東亜戦争」という名も、戦後のGHQの政策により「太平洋戦争」と変えられ、「日本は侵略国家だ」と間違った教育がいまだに続いています。

 

まず、我々日本人自身が、そのことに気付かないといかないのですが、マスコミがそれを阻んでいる現実も知って下さい。

 

朝日新聞は昨日の朝刊で、木原稔防衛相が「終戦の日」の15日に靖国神社に参拝したことについて、「日韓関係に冷や水も」の見出しの記事を掲載しています。

 

もう、呆れてしまいますね。朝日新聞を購読している方?、即座に解約しましょう。(笑)

 

さあ、では今朝のやさしさ通心ですが、大東亜戦争後に独立したインドネシアのお話です。

 

『日本はアジアの英雄だった』 

 

 第二次世界大戦終結後、独立を宣言したインドネシア共和国と、再び植民地化に乗り出したオランダとの間で起こったインドネシア独立戦争。

 

 1945年から1949年までの4年5ヶ月にわたる戦争で、約80万人が犠牲になりました。

 

 この戦争には、インドネシア独立軍の将兵の教育や作戦指導に関わった、或いは実際に戦闘に加わるなどした日本人の将兵が数多く存在しており、

 その功績に対し、1988年8月17日のインドネシア独立記念日に、金子智一氏など6人の日本人が、国家最高の栄誉である「ナラリア勲章」がスカルノ元大統領から授与されています。

 

 金子智一さんは、血気、盛んな、インドネシア青年たちの独立運動を支援し、青年たちの独立運動のための全国大会の会場を提供しました。

 

しかし、そのために戦後、連合国によって牢獄に繋がれ、死を覚悟したそうですが、何とか1年で解放されたそうです。

 

 敗戦と同時に日本軍は、連合国より独立運動を取り締まるように命令を受けました。

 

 しかし、日本軍の多くは、インドネシア側に密かに武器や弾薬を渡し支援しました。

 

 ほとんどの日本兵が、インドネシアの独立を願っていたのです。

 

 そして、小銃役4万丁の他、多数の武器や弾薬等が、インドネシア側に渡されました。

 

 また、日本の敗戦後もインドネシアに留まり、インドネシアの人々と一緒に戦った元日本軍兵士は、およそ2千人いたと言われますが、

 

 その内約半数の千名が命を落とし、インドネシア独立の英雄として墓地に埋葬されています。

 

 戦後、インドネシアに限らず、植民地支配に喘いでいたアジア諸民族は、自らの力を持って相次いで独立を達成していきました。

 

 マレーシアは、再び占領したイギリス政府との粘り強い外交交渉の結果、1957年に独立しています。

 

 また、長い間海峡の植民地だったシンガポールも、その2年後の1959年に独立を果たしています。

 

 「日本の戦争によって、我々も強くたくましくなりました。

 

 これを必要としないという人もいるかも知れませんが、当時のマレーシアでは、日本軍がもたらした『大和魂』という強固な考えが、どうしても必要だったんです。

 

 このことがあって、我々の『独立したい!』という気持ちが固まり、一つになったのです。

 

 だから我々は、この点を日本人に大変感謝しているのです」。

 

(ウンク・アジス 元マレーシア大学副学長)

 

 そして、インドネシアが独立した後の1955年、アジア、アフリカ会議が開催されました。

 

 この会議では、民族の自決と反植民地政策が高らかに歌い上げられ、アジア独立のうねりは、アフリカ諸国へと波及していきました。

 

 この会議こそ、「我々も独立すべきだ!」と、全アジア・アフリカの国々の目を開かせたのです。

 

 そして、この会議によって、アジア・アフリカのすべての国々が『独立しなければならない!』と決心したのです。

 

 大東亜戦争がなかったならば、アジア・アフリカ会議もできなかったでしょうし、アジア、アフリカの国々の独立もなかったでしょう」

 

(アラムシャ 元シンガポール第三副首相)

 

【大好きな日本を取り戻し、良くしたい チャンネル他】

 

テレビ番組

https://www.youtube.com/watch?v=8WAX3CDktu4

 

記者会見

https://www.youtube.com/watch?v=KN37gNiuEfA