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『いのちの旅人 評伝・灰谷健次郎』を読んで。

 

ここ最近、海外からの最新(?)の教育スタイルに基づいた

学校や学びのスタイルが注目されています。

横文字で表現されているアレです。

学びのシステムとして、

学ぶこととしての理論だてはものすごく説得力があるし

実際に国家レベルでシステム化されているところもあるので

導入もしやすい。

 

ただ、それらにちょっと違和感を感じ始めていた今日この頃。

 

そんな時に本屋で出逢ったのがこの

『いのちの旅人 評伝・灰谷健次郎』。

読んでみて、もしかしたら、今、自分が欲しているのは

こういうことかもしれないな、と思ったのです。

ものすごく”昭和的”というべきか、古き善き時代というべきか。

 

子どもたちと向き合うこと、じゃれ合うこと、一緒に相撲を取り合うこと。

子どもたちの”今、この瞬間”の力を全面に出させて、受け止めて、やり合うこと。

そんなシンプルなことがもっともっと大前提にあっていいのだなと。

 

感情を表現すること、

情動に突き動かされること、

それによって

創造すること、

個性を発揮すること。

 

 

キリフリの活動、夏育や自然塾やレインボー、

さらには、「あそびのにわ」も

もっともっとシンプルでいいのかも。

 

感情を表現する=本音を言える、あるいは、聴ける

情動に突き動かされる=本当の自分に気づく、あるいは、いられる

創造する=唯一無二の存在であることこそ本物

個性を発揮する=本気の自分を露わにする

 

 

 



 

 

以下、引用

 

・ただ子どもに甘い先生ではなかった。

当時、児童雑誌「きりん」の編集に係っていた灰谷は、

教室で毎日、子どもたちに詩や作文を書かせた。

大人が喜ぶだろうと先読みし優等生的な内容を書くと、

「こんなん、つまらん」とこきおろした。

「ええかっこすんな。自然体で生きろ」と教えた。

子どもたちはそんな先生を慕った。

 

・自分が教師であることを忘れて、敗退の授業に見入ってしまうほど

見たことのない授業をしたという。

子どもたちが創造的に生きていけるようにと、

作文教育や絵画教育をはじめ、創造的な授業に力を入れていたのだ。

 

・まず教師自身が創造的でなければ、

子どもたちに創造性を求めてもダメだということを灰谷な熟知し、

常にそれを実践していた。

 

・許しを請う世界からは魂の自立はない。

盗みという行為によっていったん失われた人間性を回復するためには、

もう一回盗みというものに向き合うしかないと思う。

非常に容赦のない世界です。

いまここで苦しむことが、彼女が強く生きることにつながっていくんだと思うと、

どうしてもしてもやめるわけにはいかない。

その辛さをお互いに耐え抜くことが、教師と子どものたった一つの

どうしても抜きがたい関係だというふうに考えているわけです。

 

・教育本来の動機からすれば、

すべての子どもはそれぞれかけがえのない個性をもち、能力をもっている。

それをさぐりあて、引き出すことが教育の仕事なのだが、

今の学校教育の体制・体質のなかには、

それぞれの個性や能力をかけがえのないものとして、

尊重することを許さない性急さ偏狭さがある。

だから子どもが能力を欠いているのではない。

子どもが深いところにしまいこんでいるちからを引き出す

意思と能力とを教師が欠いているのである。

 

・いうなら子どもを中心にした真に人間的な共同体をつくりたいのです。

対等で自由で、楽天的で前進的な広い意味での遊び場とでもいえばいいのでしょうか。

そこで生きることの意味を考え、学び、

そして共に語り合うことができればと思うのです。