本やりcafe

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アドベンチャー教育
フロー教育
リテラシー教育の
実践と発信で、
みんながHappyで、
自分でTry-all
できる社会
を目指します。
https://learninglablive.jimdofree.com/

「教えない教育」ファシリテーターの金井が、霧降高原での子どもプログラムの予告報告、
現在進行中の様々なプロジェクトの活動報告、日々の思いつき等を綴るブログです。

「その人が持っている能力を120%活用できる社会」、「みんながHappyで、一人ひとりがChallengeできる社会」を目指して、
「体験とリテラシーを繋げるコンテンツを創造し、家庭=親、学校=教員へ広く伝えていくこと」
を使命として、
「アドベンチャー教育、フロー教育、リテラシー教育の実践と発信」
を行っていきます。

WEB https://learninglablive.jimdofree.com/

FB  https://www.facebook.com/satoshi.kanai.3

5年前。






朝カフェを始めて5年。
現在は、市内2校で実施しています。

支援が必要な生徒と繋がるきっかけに。
支援が必要な生徒を支援したい先生と繋がるきっかけに。

ただし、支援したがり屋はいらない。
ただし、支援者の顔をしたら当事者は近寄ってこない。
ただし、対象者を絞ったら当事者は来ない。

だから、地域のおばちゃんおじちゃんの顔がいい。
だから、学校の中でやることがいい。
だから、カフェがいい。



先日は、
普段から関わっている生徒の
「送迎、朝ごはん、勉強タイム」を
朝カフェとセットにしてみた。

おうちでは、
朝ごはんを食べない、
落ち着いて勉強できる環境がない、
バス定期を購入する意思がない、
そんな時に、朝から出動できるのが地域力。
そんな時に、学校もOKしてくれる関係が地域力。
そんな時に、諸々の段取りするのも地域力。




「朝ごはんが食べられない子を支援する」
ためにはいくつものアプローチを持っていないとできない。

そして、継続していること。


人件費ゼロでどこまでいつまでやるのか。

 

『僕は、そして僕たちはどう生きるか』

梨木香歩著

 


 

「そう、人が生きるために、群れは必要だ。

矯正や糾弾のない、許し合える、

ゆるやかで温かい絆の群れが。

人が一人になることも了解してくれる、

離れていくことも認めてくれる、

けど、いつでも迎えてくれる、そんな「いい加減」の群れ。」




 

情報提供。

 

これはチャンスです。

今の公教育を見つめ直すいい機会です。

いわゆるフツーの公立の小学校の姿。

映画として見ると、だいぶ客観的に見ることができます。

その上で、今の、学校を捉え直す、学びを見つめ直す。

 

 

11月24日(月・休) 午前9:30から、

ドキュメンタリー映画「小学校 ~それは小さな社会~」が放送されます。

午前9:30~11:10 Eテレ

https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-N7Y1NRQ3Q2

 

 

私たちは、いつどうやって日本人になったのか――。

アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門ノミネートの山崎エマ監督が紡ぐ、

ありふれた公立小学校の日常がもたらす新たな気づきの物語。

https://shogakko-film.com/

 

 

 

 

 

 

映画館で見た時の感想はこちら

(3月1日の記事より)

 

『小学校〜それは小さな社会〜』を見てきました。

 

 

率直な感想は、

モヤモヤと息苦しさ。

 

個人的な意見としても、

映画の内容としても、

先生や学校を責めているわけではないです。

それが前提で、

モヤモヤが残り、息苦しさを感じたということ。

 

公立の小学校のあるあるなのだとは思いますが、

客観的に映像で見てしまうと、

「待て待てこれはキツい!」と思ってしまう。

 

登場する先生はどちらかというと

優秀でできる先生だと思う。

それが故に、

なんというか、

子どもを手のひらに乗せてコントロールしようとしている

ように感じてしまいました。

「手のひら」はテクニックやスキルの一つではあると思います。

有効かつ効率的な。

 

映画に出てくる、

運動会での「縄跳び」や入学式に発表する「演奏」の

やる気やチャレンジがどこから出てくるのか。

できない、うまくいかない壁にぶち当たった時の

粘り強さはどこから捻出されたものなのか。

観ていると、

内側から沸々と湧いて出てきたり、

溢れ出てくるものではないような気がする。

結果的には乗り越えて笑顔が見れて先生との関係も良くなって、

という一連のストーリーがあるのだけれど、

これって「やる気スイッチの入れ方」、違くないかな・・・と。

 

テクニックにより、「落としてから上げる」戦法じゃん、と。

そのやる気スイッチの入れ方に慣れて馴染んでしまったら

自分でスイッチ入れること、できるのかな。

自分のやる気スイッチを

他者に握られていることに気づかないままになってないかな。

そんな視点を先生や子どもや保護者は持っているかな。

 

やる気スイッチなんて本当はなくて、

気がついたらスイッチONになっていること、

目の前のことに夢中になって没頭して楽しくて仕方なくて、

気がついたらスイッチON。

というのが自然であり理想なのだと思います。

 

 

モヤモヤと息苦しさはそんなところから出てきています。

と同時に、

息苦しさの本当の原因は、

きっと、自分も同じようなことを、

同じような姿勢を、同じような関わりを

しているのではないかと思えるから、だと思います。

「シャドーの投影」。

自分の”あってはならない姿”を映画の中で見てしまったのでしょう。

映画に出てくる先生方がなんだか完璧すぎるのです。

完璧を求めすぎるというべきか。

子どもに求めているように見えますが、

実際には先生自身にも求めている。

 

ちょっと飛躍してしまいますが、

「ダメ人間を晒す」こと

ができたらもっと楽なのになぁと思います。

 

それがなかなかできないのですが・・・。

 

 

いつも通り、各自はやりたいことをやって過ごす

レインボーパーク。

 

みんながそれぞれ別々、バラバラで遊んでいるのが

とってもいい!!!

遊び方もそれぞれのペースがあります。

 

 

 

集合時、車から降りた段階でシクシクしていた小1男子。

もう荒地にいるだけで素晴らしいです!

泣いてもいい、泣いていてもいい、何もしなくても、何をしてもいい。

そんな空間と時間。

そこに、微妙な距離感で一緒にいてくれる高校生ボランティア。

別々にだけど松ぼっくりを拾うという行動を一緒にして、

焚き火に放り込む。

それだけで一歩近づく。

年上の男子達が盛大に、遠慮なく、自由に

巨大落ち葉焚きをやっている姿を見て、

他の子がいなくなってから、落ち葉を抱えてドラム缶の中に放り込む。

その小1男子に近づいて、しれっと落ち葉を手伝ってくれる

髪ボサボサの中2男子がいる。

こちらで指示や合図をしたわけではないのに、

本当に”しれっと”やってしまえるその行動がかっこいい。

 

 




 

ランチ時には、

その髪ボサボサ男子の周りに、

アホ男子が集まってくる。

たわいも無い話をしているだけだけど、

妙な信頼感が生まれている。

側から見ていると”まさや塾”である。

 

 

 

 

 

異年齢、異世代、多種多様な人が集まっているから

小さいけれどいろいろなドラマが生まれている。

 

 

 

そんな11月の快晴レインボーでした。

 

 

アルバムのタイトル: レインボーパーク2025
アルバムの URL: http://30d.jp/kirihuri/183
合い言葉: レインボーパーク
 

 

次回は、12月14日(日)です。