これは、若い高校教員の会話を基に再現された

ある地方の休日の部活動の実態の一部である。

 

正式に調べたわけではないので、数値は厳密ではない。

およその傾向として理解されたい。

 

会話とは次のようなものだ。

「ねえ、ねえ、この部活動指導手当って

 12時間も拘束されて2700円って安くね?

 時給200円ちょっとじゃん。」

 

「そうなのよ。これが正式な大会への生徒引率なら

 5100円になるのに、練習試合みたいなものだと

 やるだけ損って感じなんだよなあ。

 これくらいしか払わないってことは、

 それくらいの仕事でいいってことなのか?」

 

この二人は20代後半の女性と30代中盤のこの前子供が生まれたパパ教員の会話だ。

 

一般の人には伝わらないだろうが、

部活動を取り仕切る外部団体=校内にあるのでなく、郊外に学校を束ねる組織があるもので、有名なのは、

①高体連②高文連③高野連である。

ま、その他、合唱連盟とか、サッカー協会とか、様々あるが、とりあえず、上記3つは、現場の高校教員が兼務しているがゆえに、公式とみなされている団体だ。

 

公式な組織が招集をかければ、それは公式だから、

休日の手当ても8時間を超えると5100円になる。

これは県から支出されるので、公式という名目が必要なのだ。

 

でも例えば、何かの大会に補助員を連れて行って

どんなに一生懸命部活動関係の仕事をしても0円だ。

 

指導できなくても、生徒の大会参加に付き合えば、

5100円

大会運営に欠くべからざる仕事をしても、生徒が大会に選手としてでなければ0円。

 

だから、団体によっては、部活動の組織である、

〇〇部活動団体という事務局が旅費や手当を支出する場合がある。

 

一般的にこの〇〇部活動団体が支出する手当の方が

県の手当のようにけちけちではないので、こちらからもらった方がよろしい。

 

県の基準は、部活動という特殊な出張を想定して作られていないので、無理がある。無理があるのに、上位団体は行政職なので、行政職の感覚で作られた、出張費支出規定が改善されない。

 

休日部活動の手当ても、

これは業務ではなく、自発的行動だから、

手当を払う気はないというのが基本スタンスで、

でも、かわいそうだから最低限の手当は出しましょうというスタンスだ。

 

で、2700円とか5100円とかになる。

これも、代休をとってもらいたいから手当は余り出さず、

代休をとれば手当は当然消える。

 

現実には、部活動と学校の授業は別物なので、

要するに違う会社で働いているようなものなので、

休日の業務分は平日休むことでは解消されない。

解消されないだけでなく、平日分は確実に自分の負担で消えないので、休めは休むほど、平日は苦しくなる。

もちろん体の疲労は改善されるかもしれないが、精神的には学校に仕事をしに行った方が楽だ。

 

つまり、休日の部活動分を平日で解消するというのはナンセンスという事になる。

 

定額働かせ放題という言葉には

いろいろな側面がある。

 

つまり、県教委が認めていない仕事をするのは本人の勝手なので、それは業務ではないから、県教委は関知しないという基本的な考え。

 

代休をとれと言っているのに、取らないのは本人の責任だから、それは業務ではないという考え。

 

給与は仕事の内容ではなく、年齢と学歴のみで決まるので、年齢や学歴に関係のない部活動指導は、一生懸命やればやるほどボランティア扱いという事

 

そして、教員の側にもグラデーションがある。

部活動に命を懸ける教員がいて、私財と自分の時間と家族を犠牲にしても、部活動に一生懸命取り組む教員が、一定割合いて、その割合も結構高い。

 

こういう教員が当然、

定額働かせ放題の土台を形成している。

いや、立派ですよ。マスコミなんかも大々的に称賛するし、教育委員会なんかも表彰したりするしね。

なんてったって、専門家がすべてをなげうって部活動指導すれば、優秀な選手は集まり、実績は上がり、県の名誉も学校の名誉も高まるわけだから、しかもそれは、実質的には、他の何の実績も上げていない、平凡な教員と給料表上は変わらない給与で実績をあげているわけだから、

こういう教員をほめるってことは

定額働かせ放題の、いい見本になっている。

あの教員は、同じ給料であそこまで実績をあげているんだから、お前はもっと働け。つまり、安い報酬で実績をあげる教員を基準に定額働かせ放題は成立している。

 

これが一般企業なら、実績をあげれば、給与かボーナスで跳ね返るので、さらに一生懸命働くのだろうが、教員の場合これは多くの場合、昇進で賄われるので、こういう定額働かせ放題の見本みたいな人が上層部をしめると、この価値観は強化される。

 

一番いいのは、休日に勤務を命じないというのが県教委や文科省の方針なら、一切の活動を禁止すればいいのである。

 

対外試合も、休日は禁止。

もしやるなら、時給換算で、最低賃金を下回らない手当を払い、行う。

 

土日勤務はさせないが、勝手にやるので、それは知らんという行政職の他人事な対応が、教職の異常さの根源にある。

 

本当に部活動は、いろんな要素が複雑に絡みあって、

一筋縄では解決すまい。

言ってみれば日本の縮図のようなものである。

 

まず成り立ちが組織的ではなく、

自発的であったこと。

もともと生徒の自主的活動であっただろう。

 

そこに自主的に一生懸命取り組む

「神」教師が出現。

 

やがて、全国大会が組織され、いろんな学校で

そこに参加するようになり、

競争が生まれ、受賞すると、メディアが取り上げるようになり、さらに一般の生徒や教員を巻きこみ、

やがてほぼ全員が参加して

皆で取り組むのが常識になったが、

もともと自主的にやり始めたものが起こりなので、

いまさら、組織するわけにもいかず、

そんな財源は最初からなく、

仕方なく、部活動関係者から集金し、企業にもスポンサーになってもらい、

善意のお金と労働で成り立っていながら、

もはや公式的な集いになっており、

いまさら、働き方改革の名のもとに、いやだという人がいても、どうすることもできない制度になっている。

 

教育委員会も文科省も一方で

部活動の教育的意義を認めているので、

土日だけ切り離して、ここはだめとは言えない状況。

教員の側も、積極的にボランティアにはげむ人、

仕方なくボランティアに励む人、

そもそも土日の部活動に異を唱え、まったく関わらない人、

組合でも、この土日問題は、アンタッチャブルである。

やりたい人の活動を制限してまで、一律に

休日の部活動禁止とは言えない状況だ。

 

すると、休日部活動を止める勢力は、

やりたくないやる気のない教員という誤解が生じ、

誰の理解も得られなくなる。

生徒の理解も、保護者の理解も、

そして、行政はもともと勧めていないけれど、

自主的にやられていることだからと理解も何も

というそういう形になる。

 

そもそも、社会的にも、部活動で指導してもらえば、

社会性は身につくし、土日に思春期の子供が

健全にエネルギーを発散してくれるありがたい場所に

部活動はなっているので、そこは託児所的な意味合いも

持っている。土日が必ずしも休みでない保護者も多いから、

学校で面倒見てくれるなら、これに越したことはない。

 

ああ、学者がなんと言おうと、健全な権利主張の教員が

いようと、ま、この流れは変わらんわな。

 

ということで、新しい感覚を持った教員は

嘆き節を語りながら、だんだん慣れていくしかないのだな。

というより積極的にボランティアに励んだ方が、

皆から感謝されて、いいのかも。

10年くらいすると、年も取って、土日の活動がない

部活に移してくれるかも。

 

ヒヒヒヒヒヒ。