永久寺の灯籠にハマってから、石灯籠ブームが来てます。
世間のブームじゃなくて、もちろん個人的なブームです。
まぁ、まだ永久寺の灯籠は見つかってはないんですが。
ブームは他の石にどんどんいってまして。
とりあえず、灯籠の本といえば、
そう。
天沼俊一先生の慶長以前の石灯籠ですね。
この本が1940年発行。
天沼先生の専門は建築ですが、瓦とか灯籠も詳しい。
誰か詳しい知り合いがいたとの噂です。
で、この本の賢いところは灯籠なんて日本に死ぬほどあるわけやから、灯籠全部知ってると言ったら誰かにこれ何?と言われて、知らんと言うたら学者失格、みたいになるところ。
慶長以前の石灯籠でないと灯籠ではない! ❨そこまで言ってない。(笑)❩
と、きっちり線引をしたところです。
また、慶長というのが絶妙で日本刀の古刀とおなじぐらいですし、絶妙ですよね。
先生の前例に習って僕も線引します。
元弘以前の石造美術です!
元弘は鎌倉最後の元号で、1333年辺り。
鎌倉はできれば含めたくないんですが、そこのところはふわっとさせておきます。
たまに好きな灯籠などもあるので。
できれば平安以前と線引したいんですが、苦渋の決断です。
線引をできるだけ昔にしたいのは数が増えるから。(笑)
できるだけ、少ない数を相手にやりたい。
なぜなら、知識がないから。❨爆笑❩
逆に狭すぎたら、あいつ何も知らんと言われそうなので、痩せ我慢で鎌倉も入れときます。
あと、灯籠以外も案外好きなので、石造美術としておきます。
何回もいいますが、私は灯籠のライトユーザーですので、詳しい人は生温かい目で見ていただけると幸いです。
間違いなどもあって当然と思ってますので、優しく指摘いただいたら、前から知ってたみたいな感じで言い訳したあと、こっそりなおしておきます。
はっきり言って石造美術そんなに好きじゃないですからね!(笑)
さぁ、言い訳がながくなってしまいました。
この記事もゲロ吐くほど長くなってますので、最後まで読めた人はいまだにいませんので、ラフテル目指しても目指さなくてもどっちでもいいですが、ご安全に!
こういうのって、手つかずの歴史に触るのが面白いんですよね。
逆に言うと、本に書いてあることは読むだけやし。
面白くないでしょ。
最近休憩時間に色々ポチポチやってると色々見えてきて、そういうのをブログに載せていこうとおもってます。
現存する日本最古の石灯籠は奈良の當麻寺。
諸説ありますが、680年としましょ。
凝灰岩製で柔らかく、日本の凝灰岩は表面が剥離するので、中台の下部の蓮弁と竿に少し模様が残るぐらいでツルッとした印象。
火袋は消失してます。古いのは大体火袋がやられる。一番もろいしね。
當麻寺は横が二上山で、凝灰岩の産地。松香石という名前がついていて、石の粉をこすると松の匂いがするとの噂。
僕はやったことないから知りません。
古い灯籠は八角ですね。
八角というだけでうん?となります。
八角はやはり中国の影響やとおもいますね。
中国は塔も八角が多く、縁起を担いでいるのがわかります。
逆に日本は六角ですね。
聖徳太子が関連して京都池坊のところに六角堂があるくらいやから、かなり早くに六角が導入されてます。
6は眼、耳、鼻、舌、身、意から起こる6つの欲を捨て去ることで角を取り、円満になりましょうという願いが込められたことからこの六角形の形になったそうです。
日本最古の灯籠があったと推測されるのは、飛鳥寺が600年頃。基礎が発見されている。
現在は埋め戻されてますが、これも凝灰岩ですね。
日本最古の寺だけあって、灯籠も最古と思われます。
基礎だけやけど。
基本的にここは百済から人が来てやってます。
主に仏像や瓦の技術が有名ですが。
やはり石が面白い。
石マニアの皆さん?と共有したいのは、飛鳥寺の心礎。
やはり、日本初の寺ですから心礎も最古。
心礎は五重塔の柱の下に置かれる石で、飛鳥寺はかなり下にあって珍しい。
古い大きい五重塔には大概あって、古い石造美術マニアとしては見逃してはいけない代物です。
全国ではおそらく300前後あるといわれています。
まぁその個数しかないので、貴重ですよね。
最近忘れられがちですが。
ここの穴の中に仏舎利などの貴重品がしまわれて、崇拝の対象になってます。
古い時代の伽藍配置は塔への崇拝とかブッダへの崇拝になっていていますが、時代を経て金堂などにある仏像への崇拝にかわっていきます。
数が増えて塔が大変になったのかな。
飛鳥寺の心礎は花崗岩に四角い穴。
水切りの十字線がかっこよろしい。
心礎は見た目じゃないといいますが、僕はやっぱり見た目のデザインも良くないとその心礎に愛着わかないですね。
本薬師寺の心礎もいいですし。
橘寺の心礎もいいです。
この宇宙人感も最高です。
丸だけではないのが、心礎の面白いところ。
四角もあるしこんな宇宙的なのもあるし。
シャリ封入穴が横にあるやつもあります。
面白いんですが、研究されつくしてます。
新しい発見は、かなり難しいです。
で、もう一つの灯籠は山田寺。
これも基礎だけ。
凝灰岩ですね。
650年ごろとしましょ。
山田寺の心礎は簡素な作り。
ここに、仏舎利と言って仏陀の骨が入ってるとされるんですが。
なぜか、なかった。
誰かが持って帰ってしまったという噂。
誰が持って帰ったのか。
近々出てくるかもしれません。
山田寺の灯籠は復元予想がされていて、それが飛鳥資料館にあります。
猪目と格子が残骸ででてきてるらしいですね。
二段になってたとか色々いわれてますが。
まぁこの形は東大寺の金灯籠の形に近い感じです。竿がエンタシスになってたり猪目が反対向いてたり。
創作のロマンって感じですね。
あとは興福寺灯籠基礎、710年。
マニアには超有名。
突然ですが、興福寺の灯籠マニアあるあるいいますー。
興福寺にはー、灯籠の基礎だけ見に行く〜。
あるあるですー。(笑)
花崗岩製では最古かも。
あと基礎だけみたいのは平等院の灯籠。
基礎以外は後補です。
1053年創建やから、まぁ新しいです。(笑)
灯籠は基礎だけみるのが大人のロマン。
一番硬派な灯籠ラバーです。
とある人は、逆に残っちゃってるかーなんて言ってます。(笑)
でも平等院のは遠いから基礎だけ見るなんてかなり難しいですけど。
灯籠マニアの平等院あるある言いますー。
いきますよー。
10円玉にー、灯籠のってないてー。
怒ってる〜。
あるあるです。(笑)
あの灯籠は火袋の作り方が好き。
板のせただけ。
韓国にもあんなんが何個かありますね。
韓国も結構古い灯籠多いです。
でも、韓国に残ってる灯籠も700年以降が多いんちゃうかな?よく調べてないけど。
現存で世界最古は當麻寺という噂もありますが。
中国をさがすとやっぱり出てきた。
山西省童子寺。550年説あります。
中国では石灯といいます。
中国に古い灯籠は案外なくて、これも正確な年数は不明で。凝灰岩でかなり剥落してます。
ただ、この寺が出来たのは550年。
シルクロードの町。石窟でも有名な雲崗のちかくですから。
まぁありえますよね。
デカさも5.5mとでかいです。
主観で見ると當麻寺応援隊として、この灯籠の存在が邪魔なんですが、
客観的にみるとこの灯籠があって嬉しい気持ちにもなる心中複雑な灯籠です。
この灯籠がある山西省は北京の西ですが、このへんは当時鮮卑族か高句麗人系の北斉がおさめていて、仏教が盛んでしたから、灯籠は中国というより北方民族の文化なのかもしれません。
もう一つ抑えておきたいのはサンギョン石灯籠。
これは北朝鮮の少し上。
現在の黒竜江省。少し昔でいうと満州。
750年あたりにできてます。
まぁ、わたくしに言わせましたら、少し新しいぐらいなんですが、作られた時代がバリバリの渤海全盛期というのがたまらん代物です。
もはや、ロマンしかない!
そういう代物です。(笑)
スケール感壊れてる感じですが、それもそのはずの6.5m!
日本のは3mあったらごつい感じありますが、倍を超えていくサイズ感。
火袋が二段になってるのも山田寺の灯籠を彷彿とさせるロマン使用。
しかし、中国韓国の灯籠はデカイですね。
見に行きたいけど、遠いわー。(笑)
灯籠の話ししてて、韓国仏国寺まで石を見に行ったと言う人がいたら裸足で逃げ出してください。(笑)
葬送のフリーレンでいう、無名の大魔族です。
とんでもなくマニアックな石人間です。
さすがに海外までいったら、灯籠マニアとして本物。
やばいです。
韓国の灯籠のバリエーションも結構豊富で面白いです。
特に昔のやつ。
新しいのは画一的ですね。
あっそうそう、渤海のサンギョン石灯籠。
傘の屋根のディテールとか、基礎の蓮弁とか、格狭間とかしっかり深く作ってますよね。
凝灰岩っぽいのに崩れてないのがすごいですよね。
そういう崩れない凝灰岩もあるみたいですが、日本のは結構崩れますよね。
何が違うんかな?
しかし、6mはでかい。
やはり、韓国とか中国で後世灯籠が広まらなかったのは、デカくて作るのが大変だから。
というのもあるかもしれません。
少し下ると所謂朝鮮灯籠など、コンパクトなのもでてきますが。
中国でも、韓国でも日本には灯籠がめっちゃ多いと言う認識はあるようで。
なんでこんなに独自の広がりかたをしたのか?というのも面白い研究材料かもしれません。
で!一番好きなのは。
明日香の石造美術の謎コーナー。
猿石と石人像ですね。
この宇宙から来たみたいなんは、どこから来たか説がつよいですが。
こないだネットサーフィンしてたら、よく似たのが出てきました。
はい写真の真ん中左ー。
よく見てよー。
ち◯ち◯がありますね。
このスタイル猿石と同じ感じ。
細かいところをいうと、剣を持っていたりサカヅキを持っていたり手の形など、かなりの共通点があります。いうとしつこくなるからいわんけど。
ぱっと見は違うけどディテールが同じなのよ。ディテールが。
そして、このスタイルの石人は遊牧民系の民族のところに結構あるんです。
で、この石人像はペルシア人とかいう噂もありました。
確かに顔立ちがあっちの方の顔ですよね。
で、調べてみると。
シルクロードを行ったり来たりしてたソグド人というイラン系遊牧民てのがでてきます。
ペルシア人ていうと少し違う感じ。
あの帽子もソグドの服装と合うし、やはりソグド人が明日香の時代に奈良に来てたいうのはありえそうです。
ソグド人は当時の中国の首都、西安とかにかなり来てたみたいですし、人の行き来はかなりありそう。
個人的な感想では、日本まで来てたのは突厥人ぽい。イラン系トルコ人の遊牧民、いまでいうウイグル系の人が来て、石人像や須弥山石、猿石を作ったと睨んでます。
知らんけど。
遊牧民にはイラン系、トルコ系、モンゴル系、ツングース系がいて、複雑に混ざり合い複雑に分かれているので学術的にもようわからん。
というのが本音らしく、いち鉄マニアの僕に分かるわけない!というのが最強で最高の言い訳になります。(笑)
じゃあ長々ブログにすんなよ。
と言われそうですが、子どものころ親父に明日香に連れて行かれて、友達と遊びたいのに石とか寺とか仏像見させられてた小学生時代からの疑問、30年以上なんやろ?と思ってた石がネットサーフィンで似た特徴の石を見つけたら、趣味のブログにのせざるをえんでしょう!
で、シルクロードを見ていくと西はアイルランドから東は中国まで、石人があります。
一番多いのがモンゴル、カザフスタン、キルギス、ウクライナ、ウイグルあたり。
正確にいうと、石人は日本にまであるのかも。
ただ、この猿石は背後にも顔があったりして、前後に一人ずついるのは世界を探しても今のところないですね。
橘寺の2面石とかもこのスタイルですが、少し違う。
なんで前後にほったのかとか、謎がえぐいですね。
猿石は欽明天皇陵の近くから江戸時代あたりに出てきてるようなので、もう少しふるいのかも。
亀石とかはなんとなく漢の石造美術に似てますね。
霍去病の墓あたりにこんな動物の彫刻があります。
まぁ、時代が紀元前100年とかですから時代はあわないけど。
テーストがね。にてない?
石の形に逆らわないところとか。
日本に文化をもたらしてたのはシルクロードを渡ってた人達とか、遊牧民とか。
そのへんですよね。
で、石造美術で、花崗岩がまた増えるのは鎌倉以降。
中国の石工職人が来て作り出す。
鎌倉時代に宋から伊行末が来て、東大寺の狛犬とか法華堂の灯籠とかをつくって、そこから伊派の子孫が奈良で作っていく。
というのが、専門の範囲内の灯籠、石造美術の流れ。
次回!
ニーズがあれば!
ここはテストに出る!?
植木屋なら実際の眼で見ておけ!
灯籠、石造美術観光マップ!作成予定!?