「学力」だけでは足りない時代へ

岐阜の教育の転換点

 人間力を養う ”


先日、教育関係者の方と、AI時代を見据えた教育のあり方について意見交換を行いました。


少子化が進む中、小中一貫の義務教育学校や中高一貫校の検討など、岐阜県の教育は大きな転換期を迎えています。


さらに、私立高校の無償化の影響により、公立高校では定員割れが現実のものとなっています。「学校の再編」は、もはや先送りできない課題です。


一方で、通信制高校の入学者増加という新たな動きも見逃せません。

多様な学び方が広がる一方で、人間関係の構築や社会性の面で不安を感じるという声も現場から上がっています。


ここで問われるのは、「何を育てるのか」という本質です。AIが知識や情報処理を担う時代だからこそ、これから必要とされるのは、人間としての力、すなわち「人間力」です。


・人と関わる力

・やり抜く力

・現場で考え、動く力


これこそが、企業や地域社会に求められる人材の基盤です。


こうした力は、教室の中だけでは育ちません。ものづくりや作業学習、地域との関わりといった「体験」を通じてこそ、身につくものです。


教育は「効率」だけで語るべきではありません。むしろ、手間のかかる体験こそが、これからの時代の価値になります。


また、学校再編を進める上では、市町村単位にとどまらず、岐阜圏域としての広域的な視点が不可欠です。


人口減少の中で、限られた教育資源をどう活かすか。これは自治体の枠を越えた、避けて通れない課題です。


今回の意見交換を通じて、私が進めている「岐阜圏域の広域連携」の重要性を改めて実感しました。


来年度予算を見据える9月定例会までに、

岐阜圏域議員団と首長が意見交換を行う場を立ち上げる予定です。


現場の声を起点に、県の担当部局とも連携しながら、議論で終わらせず、具体策として形にする。


スピード感を持って、岐阜の教育の再設計に取り組んでいきます。



今朝の岐阜新聞一面に、

「地域医療維持へ試行錯誤」

との見出しで、東海中央病院の厳しい現状が報じられました。



東海中央病院は、各務原市の“命を支える基幹病院”です。その現場が、いま大きな岐路に立たされています。


記事では、2月20日に江崎知事に対し、市長・副市長とともに県議会議員が

「愛知県との救急輪番体制の具体化」

を要望したことも取り上げられていました。


しかし、正直に言えば、ここまで有効な手を打てなかったこと自体が問題です。


昨年度の赤字は14億7000万円で過去最大。もはや“看過できる水準”ではありません。


各務原市も従来の約2億円に加え、さらに2500万円超の追加支援を行う見込みですが、これは“延命措置”であって、根本治療ではありません。


必要なのは「構造改革」と「意識改革」


この問題は、単なる経営の話ではありません。地域医療の“仕組み”そのものの問題です。


だからこそ、私は以下の提案を行いました。


  • 市民・市内企業の健康診断や人間ドックを東海中央病院に集約する
  • 独立開業した医師との連携強化(医師会との関係再構築)
  • 市民からの信頼を取り戻すための情報発信と意識改革
  • 救急体制安定のための消防本部との情報共有の徹底



要するに、

「使われる病院」に変えなければ、残らないということです。


病院は“あるのが当たり前”ではない


長年、市民病院として地域を支えてきた東海中央病院。しかし今、その存在そのものが問われています。

このまま変わらなければ、確実に「選ばれない病院」になります。

逆に言えば、ここで本気の改革ができれば、地域医療のモデルにもなり得ます。


私たちに問われていること


この問題は、行政だけの責任ではありません。


  • どこで健診を受けるのか
  • どの病院を選ぶのか
  • 地域の医療をどう支えるのか


その一つひとつが、病院の未来を左右します。


東海中央病院の存続は、各務原市の「命を守る基盤」を守ることです。


私は、県・国への働きかけを強めるとともに、一人の住民としてできる行動も積み重ねていきます。

本日は憲法記念日。



毎年この日には、「憲法と現代日本を考えるつどい」が全国各地で開催されています。


各務原市においても、「第28回公開憲法フォーラム」のライブ中継にあわせ、戦後問題に詳しいジャーナリストであり予備自衛官でもある講師を招き、憲法講演会が開催されました。


先の衆議院選挙では、いわゆる「高市旋風」とも言われる流れの中で、自民党は単独で憲法改正の発議に必要な3分の2以上の議席を確保しました。


党内が一枚岩とは言えない状況はあるものの、高市総理は、来年の自民党大会も視野に入れながら、国民投票に向けた準備を進めていく構えです。


日本国憲法が施行されてから79年。

時代は大きく変化し、国際情勢も不安定さを増しています。


こうした中で、自民党の党是である憲法改正を実現していくためには、本日のようなフォーラムを通じて、広く国民に議論を喚起していくことが不可欠です。


地方議員として私自身も、参議院合区の解消といった地方の声を反映する課題や、災害対応、そして安全保障の観点からの自衛隊の明記など、現実に即した憲法のあり方について、引き続き発信していきます。

日本の林業は、「切ること」よりも「運び出すこと」が難しい産業です。奥地や急峻な山では、いまだにヘリコプターに頼らざるを得ない現場もあります。


技術はある。しかし、コストが合わない。これが、林業が衰退してきた本質です。


一方で、状況は確実に変わりつつあります。


ドローンやICTの進化、国産材需要の見直し、そして円安による競争力の回復。森林を「活かす条件」は、ようやく揃い始めました。


実は私自身、議員になる前の約30年前、

農林業の収益力強化を目指してNPO法人を立ち上げ、急峻な斜面でのヘリコプター間伐の実証や、間伐材の多面的活用に取り組んだことがあります。

しかし当時は、山や木に十分な財産価値を見出すことができず、現実の壁に跳ね返されたのが正直なところです。


それでも、今は違う。

技術も、環境も、そして時代も変わった。


岐阜県の森林率は約82%。

この資源を「持っているだけ」で終わらせるのか、それとも「稼ぐ力」に変えるのか。

これは林業の問題ではなく、地域の未来そのものの問題です。


先日も「自民党移動政調会」で、林業団体の皆さんから現場の声を伺いました。

課題は明確です。

「切る」だけでは成り立たない。

「出す」「使う」までつなげて初めて、林業は産業になります。



だからこそ私は、森林の集約化と搬出コストの低減、そして公共施設や民間建築での木材利用の拡大を進め、稼げる森林”の仕組みづくりに取り組んでいきます。


山を守ってきた人たちや山で働く人の努力が、まちの価値としてきちんと返ってくる。そんな当たり前を、岐阜で実現していきます。




県政自民クラブの総会が開催されました。


総会では、5月8日に予定されている臨時会における、正副議長、監査委員などの議会人事について協議が行われました。


その結果、県議会議員46名中34名が所属する県政自民クラブの議長候補者として、私が選任されました。


総会の場において、ご挨拶の機会をいただき、大役を仰せつかったことに対し、身の引き締まる思いでおります。


なお、本件については既に一部報道もなされておりますが、正式には5月8日の臨時会における選挙を経て決定されるものであります。


県議会議員として20年目を迎える節目の年に、このような機会をいただいたことに感謝しつつ、結果を静かに受け止めながら、その時に備えてまいります。


引き続き、県政の発展と県民福祉の向上のため、全力で取り組んでまいります。




タケノコをいただきました。

丁寧にアク抜きされ、水煮にされたものです。



父の生まれ育った地域は竹藪が多く、子どもの頃から春になると、食卓には当たり前のようにタケノコが並んでいました。


正直に言えば、若い頃はあまり得意ではありませんでした。

しかし、京都で下宿していた時のこと。家庭教師先での「春祭り」で、タケノコづくしの料理をご馳走になり、その美味しさに驚かされたのを今でもよく覚えています。


昨夜は、そのタケノコをバターと醤油で軽く炒め、自作のだし巻き卵を添えて一杯。

シンプルですが、これが実にうまい。


空腹に負けて料理の写真は撮り忘れましたが、旬の食材を自分で調理し、日本酒とともに味わう。

それだけで、なんとも言えない充実感があります。


派手さはないけれど、こういう時間こそが、日々の疲れをほどいてくれる。

改めて、「旬をいただく」という贅沢を実感した夜でした。

久しぶりに名古屋へ。

名古屋鉄道で名古屋に向かいました。

通勤ラッシュ後とはいえ、8時台の車内はしっかり混雑。改めて、鉄道が持つ「大量輸送」と「定時性」の強さを実感しました。


だからこそ考えさせられます。

岐阜県で議論されているLRT構想

「どこへ、誰を運ぶのか」が曖昧なままでは、絵に描いた餅です。


待ち合わせは、定番の

ナナちゃん人形。


一方で、周辺を歩くと変化も感じました。名鉄百貨店は閉店し、地下街もやや人の流れが弱い。リニア開業の遅れが、名駅周辺の再開発にも影を落としている印象です。


名古屋は、JR東海、近畿日本鉄道、そして名古屋鉄道と、多様な鉄道が集まる交通の要衝です。


それでも「駅前の賑わい」は、他の政令指定都市と比べると物足りない。理由は単純で、“交通とまちづくりが一体になっていない”からです。


岐阜県がやるべきことは明確だと考えます。岐阜市・各務原市・可児市を結ぶ名鉄は、単なる移動手段ではありません。地域経済と人の流れを支える「動脈」です。にもかかわらず。行政と鉄道事業者の連携は、正直まだ弱い。


これから必要なのは、次の3点だと考えます。

  • 行政主導で「使わせる仕組み」を作ること

     (通勤制度、駐車場政策、パーク&ライドの徹底)

  • 鉄道とバスを含めた“面的な交通設計”

     (駅から先の移動を放置しない)

  • 県民への徹底した意識改革

     (公共交通は“守るもの”ではなく“使って活かすもの”)


「モータリゼーションの次の一手」


東海地域は、トヨタ自動車を中心に発展してきた“車社会の優等生”です。

しかし、高齢化と人口減少が進む中で、そのモデルは確実に限界に近づいています。


これからは「車か、公共交通か」ではなく、“どう組み合わせて地域を維持するか”の時代です。


「現場に出て、政策に落とし込む」


銀行員時代、上司から言われた言葉を思い出しました。

「月に数回は名古屋や東京に出て学べ」

まさにその通りです。現場で見て、感じて、考える。

生活者の目線と、政治家の目線。

この2つを行き来しながら、

“現場 → 発信 → 政策 → 実行”

ここまでやり切ることが、今の役割だと改めて感じました。


久しぶりの名駅。

単なる外出ではなく、次の一手を考える良い機会となりました。

先日の自民党の会議で、各務原市の市街化調整区域にある既存集落にお住まいの方から、切実なご要望をいただきました。


「家を売りたくても売れない。買う人がいても建て替えができない。」

市街化調整区域の制度が、結果として、人口減少を導き、空き家を増やしているのではないかという問題です。


市街化調整区域は、無秩序な市街地の拡大を防ぐために設けられた制度です。その理念は重要であり、むやみに開発を認めるべきではありません。


しかし現場では、別の問題が起きています。


市街化調整区域で進む

「静かな空き家化」


既存集落では

・高齢化

・相続

・転出

などにより、住宅が空き家になるケースが増えています。


ところが市街化調整区域では、所有者が変わると住宅の建替えが難しくなる場合があるため、

・売りたくても売れない

・買いたくても建て替えできない


という状況が生まれています。

その結果、住める宅地が使われないまま放置されるという、本来の制度趣旨とは逆の現象が起きています。

既存集落の多くは、

・道路

・上下水道

・電気

・消防、防災体制

といった生活インフラがすでに整っています。

つまり、新たに山林を開発するよりも、既存の宅地を活用する方がはるかに合理的です。


それにもかかわらず、制度の運用によって住宅の更新が進まないのであれば、地域にとって大きな損失だと感じます。



参考になる愛知県の運用


参考になるのが隣の愛知県の取り組みです。

愛知県では、都市計画法第34条の運用基準や開発審査会基準を整理し、

・分家住宅

・既存建築物の建替え

・既存集落内の自己用住宅

などについて、許可対象として明確に位置付けています。


このため、線引き以前から住宅地として利用されてきた場所や既存集落では、所有者が変わっても条件を満たせば建替えが可能という運用が行われています。

結果として、宅地としての売買が成立しやすく、住宅の更新も進みやすくなっています。


守るべきは「線引き」だけではない


市街化調整区域の制度は、高度経済成長期の都市拡大を背景に整備されたものです。しかし現在の大きな課題は、人口減少と空き家問題です。

ルールを守ることはもちろん重要ですが、ルールが地域の衰退を招いてしまっては本末転倒です。


無秩序な開発は認めるべきではありません。

しかし、

・既存集落

・既存宅地

・生活インフラが整った場所

については、所有者が変わっても住宅の建替えや再利用が可能となる仕組みを検討する必要があるのではないでしょうか。


人口減少時代のまちづくりは、「新しく作ること」より「今あるものを活かすこと」です。


既存集落の暮らしを守り、地域を次の世代につないでいくためにも、市街化調整区域の運用について、今後さらに研究を深めていきたいと思います。

昨日、自民党岐阜県連大会議室において、小林鷹之政調会長をはじめとする自民党本部政調会の役員を招き、要望活動が行われました。



会議には、江崎知事、県選出国会議員、県議会議員に加え、林業関係団体の役員が出席し、現場の課題や政策要望について意見交換が行われました。


江崎知事からは、バイオコークスの活用可能性や山林の所有者不明問題、測量の課題などについて提起があり、県議会からも各部会長を中心に、現場の実情を踏まえた要望が続きました。さらに林業団体からも、切実な声が数多く上がりました。


今回の会は、地方の実情を直接国に届け、政策に反映させるための新たな取り組みとして開催されたものです。岐阜県の課題に加え、中東情勢の影響による企業活動や県民生活への影響についても率直に伝えることができ、大変意義のある場となりました。


私は発言の機会こそありませんでしたが、各要望を聞く中で、森林面積の多い岐阜県の特性を活かした政策の重要性を改めて強く感じました。


「水と空気はタダじゃない」

これは私が20年前に掲げた理念ですが、まさに今、岐阜県にとって現実の政策課題として突きつけられています。


環境と農林業は、岐阜県の根幹です。

今後も現場の声に耳を傾けながら、具体的な政策として形にしていきます。



「林業政策として示された“自立国産エネルギー”の方向性」


小学校2年生の男の子を持つお母さんから相談を受けました。内容は、学校との関係、そして担任の先生との関係についての悩みでした。


その学校は、全校で約80人。1学年も十数人という、小規模な地域の学校です。本来であれば、目が行き届く、温かい教育環境であるはずです。


しかし一方で、人数が少ないがゆえに人間関係が固定化しやすく、逃げ場の少なさという難しさも抱えています。


今回の相談の大きなきっかけは、「通級学級」への編入を勧められたことでしお母さんとしては、

「なぜ自分の子が?」

「特別扱いされることに納得できない」

という思いが強く、戸惑いと不信感を抱いている様子でした。


制度として必要な支援である一方で、

その意図や目的が十分に伝わっていない。教育委員会や学校側の説明不足は否めないと感じました。


その日の夜、偶然目にしたのが、「タツキ先生は甘すぎる!」というドラマでした。

不登校の中学生に寄り添うフリースクールの先生を描いた作品です。子どもを「矯正する」のではなく、「理解し、待つ」という姿勢。


簡単なようで、実は一番難しいことだと感じました。子どもの多様性をどう受け止めるのか。


私たちの時代は、「優等生か、そうでないか」、こうあるべきだ」という、ある意味わかりやすい基準の中で育ってきました。


しかし今は違います。


一人ひとりの特性や個性をどう伸ばすか。

そして、社会の中でどう生きていく力を育てるか。教育の軸そのものが、大きく変わっています。


ただし現実は、理想通りにはいきません。


制度はあっても理解が追いついていない。

現場は忙しく、丁寧な説明に時間を割けない。保護者は不安を抱えたまま判断を迫られる。

このギャップこそが、今の教育現場の課題だと感じます。


子どもたちは、それぞれ違って当たり前です。だからこそ必要なのは、「分けること」ではなく「支えること」。

そしてその前提として、

保護者が納得できるだけの丁寧な説明と対話です。


今回の相談と、偶然見たドラマ。

まったく別の出来事ですが、共通していたのは

「子どもをどう理解するか」

という問いでした。


教育は、子どもの未来をつくるものです。

だからこそ、制度だけでなく“人の関わり方”が問われていると感じた一日でした。


今回の件については、私自身も教育委員会と直接面談し、通級指導の説明のあり方や、保護者への情報提供の改善について、現場の声を踏まえた提言につなげていきたいと考えています。