こんにちは。

今回は「使徒ペトロの言葉から学ぶこと」と題して書きます。記事の構成は以下のとおりです。拙文ですが最後までご覧いただけましたら幸甚です。

 

 

一、はじめに(憲法改正に向けた国内の政治動向)

聖書に書かれた暦(太陰太陽暦)ではまだ十月ですが、世俗の人々が使っている太陽(グレゴリオ)暦では2026年になり(※以下、当記事では太陽暦の日付はアラビア数字で表記することにします。)、世の中は激しく動いています。1月6日には島根県東部で震度五強の人工的に起こされたと思われる地震が発生し、その後も秋田県、千葉県、岩手県、石川県で震度四の地震がありました。これらの地震は国民に「南海トラフ地震が起きる可能性が高くなって来た」と思わせるための伏線なのだろうと個人的には考えます。「自然災害に人間は立ち向かうことが不可能なので、緊急事態条項を日本国憲法に加憲する必要がある。」という意識を国民に刷り込むのがNWO支配層の狙いなのでしょう。そして9日には、「高市首相が衆院解散を検討、23日通常国会の冒頭に…2月上中旬に投開票の公算」(読売新聞オンライン)と報じられました。当該記事には、2月上旬に衆院選の投開票が実施されるだろう。『選挙戦では憲法改正も争点になるとみられる。自民と日本維新の会は連立政権合意書で、緊急事態条項を創設する改憲条文案を作成し、26年度中の国会提出を目指すと明記している。』とあり、憲法改正の国民投票が近日中に実施されて、我々日本人の人権や自由が奪われる日が目前まで迫っていることが分かります。そして15日には立憲民主党と公明党が新党「中道改革連合」を結成、カルト創価学会の中心人物であった池田大作氏の思想「中道」について、公明党の斉藤鉄夫代表は翌16日にこれは人間の幸せが第一、人間の幸せより他にもっと大事なものがあるという考え方ではない、という人間中心主義です。また、別の言い方をすれば人間の生命、生活、生存を最大限尊重する考え方だと思います。また、分断と対立をエネルギーにする、そういう政治手法ではなく、色々な異なる意見を聞き、そして合意形成を図っていく、粘り強い対話で合意形成を図っていくそういう政治手法、これを私どもは中道主義、このように考えているところです。右と左の真ん中という意味ではなく、大きく包み込む包摂主義、共生社会、これを目指していくということも中道主義の一つの側面だと思います。こういう政治に共鳴する人たちを集めて、それが日本の政治の中心になるということが、私は日本の政治をこれから変えていく大きな力になると思っておりまして、今回その中道主義の塊を作っていく一歩だと、スタートだと思っております」(引用元はこちら、HUFFPOST)と、述べたようです。一見すると、人間中心主義や連合国(UN)のSDGsを連想させる斉藤氏の発言は間違っていないように見えるかも知れません。しかし、聖書読者なら、この世の万物は神が御言葉で造られたというのが現実であり(ヨハネ一章一節〜五節参照)、我ら人間は神の被造物であって、主権は神にあるという事を常に頭に入れておかねばなりません。また、創価学会を支持母体とする公明党は以前から、こちら(讀賣新聞オンライン)にあるように、「中道改革」の五本柱の一つとして、「現実的な外交・防衛政策と憲法改正」を標榜しています。国会は議論する場ではなく与野党グルでプロレス状態の茶番劇であり、憲法改正の危機がすぐそこまで迫っている事は間違いありません。我々庶民が自由に活動出来る期間は、ごく僅かしか残っていないことを認識し、残された時間を有効に使う生き方をして参りましょう。

 

二、ドンロー主義と技術官僚主義

そして目を世界情勢に移してみると、1月2日の夜に亜米利加のトランプ大統領からの命令を受けて、「断固たる決意」(Operation Absolute Resolve)と名付けられた軍事作戦が南米べネズエラで遂行されて、翌3日の深夜にマドゥロ大統領夫妻が拘束、米国のニューヨークに連行されました。亜米利加はマドゥロ氏を、麻薬テロの共謀、コカイン輸入の共謀、機関銃および破壊的装置の所持、亜米利加に対して機関銃および破壊的装置を所持する共謀の罪状で起訴しましたが(参考記事はこちら、BBC NEWS JAPAN)、これは伊藤真弁護士がこちら(YouTube)の動画で言っているとおり、米軍の軍事行動は連合国憲章二条四項で禁じられている「武力行使」に該当し、同二条七項で規定されている「連合国の国家への不干渉の原則」にも抵触するため、国際社会はこの米国の野蛮な犯罪行為を非難しなければなりません。亜米利加は常に「麻薬テロの撲滅」、「独裁者を排除して民主主義をもたらす」等の大義名分を掲げ、武力行使を正当化しようとしてますが、今回のマドゥロ大統領夫妻の拘束は、過去にパナマのノリエガ将軍、イラクのサダム・フセイン大統領、リビアのカダフィ大佐を拘束した光景と重なって見えます。今回のベネズエラ侵攻の目的の一つは、世界最大の石油埋蔵量があると言われているベネズエラで、石油権益を掌握している支那と露西亜からそれを奪い取り、ロックフェラー家を中心とした米国石油企業に莫大な利益をもたらし、この産油国を統治下に置く事にあります。しかし、亜米利加の軍事行動はそれだけに留まらず、僅か一週間の期間に下記のような戦争の火種となるような出来事がありました。

 

(引用元:https://x.com/j_sato/status/2009581575173001263)

 

上記投稿にあるとおり、米国政府は国民にとっては「暗黒時代」を目指して進んでおり、国民に既に「暗黒時代」に突入していると言える世相となっています。そして、第二次トランプ政権の国家戦略は下記のように「ドンロー主義」と呼ばれているようです。

 

(画像引用元:https://www.youtube.com/watch?v=WteK4jllgZQ)

 

上記の画像のようにドンロー主義の目指すところは、「西半球」と呼ばれる経度零度より西にある領域の覇権を掌握する事です。ミカエル氏のブログ「真の聖書福音と預言」や当ブログの読者の方ならご存知のとおり、トランプ大統領や世界各国の為政者たちは支配層である超富裕層の傀儡であり、彼らの究極の目標は新世界秩序、世界統一政府の樹立です。こちら(note)の記事では、今回のベネズエラ侵攻の真の目的は、技術官僚政治(テクノクラシー)の完成だと解説しています。以下、同記事からの引用です。

 

現在の動きと照らし合わせてみてください。
ベネズエラの占領、コロンビアへの介入示唆、グリーンランドの買収検討。
これは100年前のテクノクラートたちが描いた地図の「清書」です。
そして、その中心にいるのが現代のテクノクラートたちです。
• イーロン・マスク: 彼の祖父ジョシュア・ハルデマンは、カナダのテクノクラシー・インクの調査ディレクターでした。
• ピーター・ティール: パランティアを通じた監視国家の構築。
• マイケル・クラツィオス: AIと生体認証を連邦政府が一元管理するための枠組み作り。

彼らが目指しているのは、民主主義ではなく、AIとアルゴリズムが人間を管理する「デジタル監視帝国」なのです。

 

技術官僚主義(テクノクラシー)という言葉はご存知でしょうか。手前はこの言葉をミカエル氏が約四年前に投稿された記事、真の聖書福音と預言「動画四回目投稿 現代語訳聖書の翻訳は間違いが多い 後編」で初めて知りました。以下、当該記事からの引用です。

 

米国という国はいつも戦争ばかりし、他国を武力や経済制裁等で脅迫して無理に言うことを聞かせ、傲慢で残忍で冷酷非道な所業を働き、人種差別が酷く(とりわけ亜細亜系、日本人に対して)、悪魔的な娯楽(遊技、映画、音楽、スポーツ等)と服飾(ジーンズやTシャツ等)の世界的発信地となり、情報技術の業界では他国の同業他社ををことごとく潰して市場を占有し(マイクロソフトとアップルがコンピュータを担い、GAFAと呼ばれる企業らが市場を占有してる現状がその証拠)、テクノクラシーと呼ばれる科学技術によって人々を支配することを目論み、市場独占を狙って競合を徹底的に潰す等の暴力を辞さず、悪魔崇拝がはびこるし、それに知らず知らずの内に影響されてる一般人も多いんや。

 

九割九分以上の聖書未読の日本人は、亜米利加文化を当たり前の事として受け入れ、科学によってもたらされた利便性も享受していますよね。手前自身も聖書を自分で通読するまでは、周囲の人々を同じように洋服を着用し、スマホに入れたフェイスブックで承認欲求を満たしたり、ラインで家族や知人と会話をしたり、もっと楽な生き方がしたい、もっと楽しい娯楽はないかなぁ、などと考えながら生きている愚民でした。しかし、数年前まで勤めていた電機機器製造会社で社内政治の腐敗に気づき、自分は会社のために電機機器を開発するのは正しいのだろうか、科学技術はこれからどのように進化するのだろうか、科学のもたらす弊害についても考えるべきではなかろうか、などと考えるようになりました。当時はGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック(現在のメタ)、アマゾンの頭文字。マイクロソフトを加えてGAFAMと表現することもあった。)と呼ばれる欧米企業やBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)と呼ばれる支那企業が市場を占有していましたが、現在では画像処理装置(GPU)の開発で革新をもたらし、人工知能(以下、AIと表記。)等の分野でも主導的役割を担っているエヌビディア社が、こちら(Think180°)のとおり、時価総額が世界一の企業になっています。これらのコンピュータや半導体関連企業は製品製造の原材料として希土類(レアアース)や金、銀、錫等の金属類を必要としているので、彼らの要望に応え、亜米利加はグリーンランドの獲得を目指しているのでしょう。一般に、欧米諸国とBRICS(🇧🇷🇷🇺🇮🇳🇨🇳🇿🇦)と呼ばれる共産主義の国々は利害関係が異なり、常に互いを敵対視して対立していると認識されていると思います。しかし、下記の記事にあるように、BRICSという枠組みを、NWO支配層を代表する大富豪のロックフェラーが考案したというのが現実です。

 

 

話が前後しますが、冒頭で述べたベネズエラの国家乗っ取り事件の後にはこちらこちら(共にX)のような生成AIによって作成された虚偽の画像と情報が拡散されて、「ベネズエラ国民は大統領夫妻が逮捕されたことを喜んでいる。」、「トランプ大統領は悪人だらけのDS(闇の政府)を倒す救世主だ」などといった誤認識を持ってしまった人が大勢いた模様です。数年前から人物合成技術(ディープフェイク)が著しく発展し、業務に使用している企業も少なくないようです(参考記事:国内企業における生成AIサービスのシェア、ChatGPTが56.8%でトップ、Geminiは37%、Claudeは6.4%─ノークリサーチ、IT Leaders)。思慮の足りない多数派の人々にとってAIは、自分の実力や能力以上に表現力を発揮してくれて、収入を増やす手段にもなり得る夢のような道具だと捉えられているのでしょう。しかし、こちら(MiraLab AI)の記事にも書かれているように、AIに依存すると考える力や主体性が衰えるというのが事実であり、AIを活用すると支配層に個人情報を自ら譲渡してしまう事にもなります。また、生物兵器mRNAワクチン等によって削減された労働力をAIを搭載したロボットに置き換えるという意味もあるでしょう。聖書読者のあなたは、AIは極力使わないよう注意を払い、自分の頭で考える習慣を身に付けてください。

 

 

技術官僚主義が蔓延っているのは欧米諸国や日本のような「西側」「シオニスト」国家だけではありません。BRICS等の共産主義国家でも同様です。フリーメーソンの一員で、十九世紀に活躍した哲学者で思想家のカール・マルクスの主張は、マルクス主義または科学的社会主義と呼ばれています。科学的社会主義とは、「歴史・社会構造の科学的分析に基づいて、社会主義社会への移行は歴史的必然である」(出典:デジタル大辞泉)とする主張のことであり、建前としては平等な社会を目指す社会主義(共産主義)国では、ごく僅かな支配層に富が偏在し、言論統制が強まり、庶民はデジタルIDを付与され、常に監視されて社会信用得点制度でAIに支配層に従順か否かを評価され、精神的にも肉体的にも自由を奪われた奴隷として生きることを強いられます。既に新世界秩序、十五分都市が実現している支那のような社会の住人になりたくないのなら、主イエスの教えに立ち返り、キリスト道を歩むことを目指しましょう。

 

 

三、使徒ペトロの言葉から学ぶこと

聖書には、「あったことはこれからもあり、かつて起こったことはこれからも起こる。太陽の下、新しいことは何もあらへん。」(コヘレトの言葉一章九節、ミカエル氏訳)と書かれており、歴史は繰り返すものであることが分かります。ところで読者のあなたはミカエル氏の記事「洗礼者ヨハネとキリストの再臨前のエリヤ」と「エリヤを信じひんのなら滅びる」はご覧になったでしょうか。旧約時代の代表的な偉大な預言者エリアの役割と、主イエスが初臨された今からおよそ二千年前の時代にエリヤの働きをしたのが洗礼者ヨハネでした。そして、終末、主イエスの再臨が目前まで近づいた現代において、エリヤの働きをされているのがミカエル氏です。

 

主の来臨が二度あるのと同じく、エリヤの到来も二度あるという認識がある事が必要や。一度目のエリヤの到来は、洗礼者ヨハネであった。マラキ書で預言されてるエリヤは、主がいらっしゃる前に主のために道を準備する働きをする者を指す。主イエスの初臨前は洗礼者ヨハネであり、主イエスの再臨前にも彼と同じような働きをする男が居るということや。この理解が無ければ、聖書預言及び主イエスの御言葉を正しく理解してるとは言えへん。

神の律法を憎む愚か者への戒めとして、エリヤについて付言しておこう。旧約聖書続編にあり、「エリヤは燃えたつ律法への熱情のゆえに、天にまで上げられた。」(マカバイ一 二章五十八節)とも書かれ、預言者エリヤは神の律法をこよなく愛して守っていたことが分かり、また、それが要因で天に上げられたと明言されてる。せやから、律法遵守をせな、天には行けへんということが分かるやろ。よって、偽使徒パウロやパウロ教信者どもなんかは反キリストであり、救われることは有り得ず、蚊帳の外であり、論外なんや。上述したキリストの再臨の前に道を備える男は、まさしくエリヤと称されるべき人で、かつ、神の律法への熱情がある男というのが特徴と言える。よって、キリストの再臨前のエリヤは、パウロ教信者である世の諸教会や諸教派の中には絶対に居らへんとも断言出来る。

(引用元:真の聖書福音と預言

洗礼者ヨハネとキリストの再臨前のエリヤ」 七、エリヤと称される者)

 

一世紀当時では洗礼者ヨハネ一人だけがエリヤであり、十二使徒ですらエリヤではなく、他のキリスト者もそうではなかった。主イエスは、洗礼者ヨハネを「来るべきエリヤ」、「預言者以上の者」と評しはり、同じく終末時代のエリヤもその辺の世俗社会にどっぷり浸かってる役立たずのにわか信者な訳がない。エリヤは神から与えられる特別な役割であり、人間自身が「自分がエリヤになりたい」と望んでなれるものではない。神に主権があり、人間には無いと言うたやろ。洗礼者ヨハネ自身も、エリヤになりたいと思て生まれてきた訳やないし、それを意識して生活してた訳やない。神から予め仕組まれ、そのようになったんや。すべては神の御予定と御意志に基づく。せやから、人間自身が「よし、エリヤになろう」と意気込んでなろうとしても、それを果たせへんやろし、エリヤではないとも言える。なぜなら、それはその人間自身の醜い欲から出たものやからで、神の御意志や予定から外れてるからや。そして、エリヤになれない、エリヤではないからとて、無価値ではないからな。それも誤解せんように。エリヤでなくても、偽りの自称キリスト者にならず、真のキリスト者になれば、同じように神の王国に入れるんやさかい、「自分ではない他の男をエリヤと認めたくない」なんてけったいな対抗心を燃やして邪魔したり、嫉妬したり、足を引っ張ったりして悪い道を歩むべきではない。むしろ、そないな想いや悪行は神とほんまもんのエリヤに反抗してる事実に気付いて悔い改めるべきや。繰り返し言うが、エリヤになろうとしてなれるものではないし、エリヤたる人は必然的にそうなるものやからや。せやから、かように無駄な気負いや対抗心は捨て、自分自身を弁え、冷静に客観視することの方が遥かに重要で、分不相応な事をしても実現でけへんばかりか、その品性の悪さからかえって神から見捨てられて滅びる可能性が高くなる。

(引用元:真の聖書福音と預言

エリヤを信じひんのなら滅びる」 三、行いこそが重要)

 

四福音書を熟読すれば理解出来ますが、主イエスは自分がキリスト(ギリシア語 Χριστός 〔キリスト〕、ヘブライ語 מָשִׁיחַ〔メシア〕、預言者、油注がれた者という意味。)だと自称されたことはありません。それと同様、洗礼者ヨハネも自分をエリアだと意識して生きていた訳ではありません。ミカエル氏は聖書が真理であることに気づかれ、およそ九年前の聖書暦二千十七年の年末にアメーバブログに最初の記事、真の聖書福音と預言「目を覚ませ」を投稿されて、ネット上での福音伝道活動を開始されました。その約一年後には、ネット上に教会を設立されて、聖書暦二千二十一年の初めには、ホームページ「キリスト道」を開設されました。彼これらをすべて無償で行われ、我々「真の聖書福音と預言」の読者は、極めて難解な聖書の真理を知ることが出来ているのです。ミカエル氏も決して自分が終末時代のエリヤだとは言われませんが、終末の到来に誰よりも早く気づかれたのが彼であり、彼の仰る助言や警告、叱責の言葉などを素直に受け入れ、自分の弱点や不足している点を改善しながら従うのが正しいです。そして、上記引用文に書かれているとおり、我々キリスト道を歩むことを目指す人間は、「無駄な気負いや対抗心は捨て、自分自身を弁え、冷静に客観視する」ことを常に心がけ、自分の「塩」(個性や役割)は何かを考え、聖書研究や、奉仕の仕事をする事、伝道活動に力を注ぐべきだと思うのです。

ここからは、十二使徒の筆頭格であったペトロの言動に関する記述を読み解き、真のキリスト者を目指す我々が、どのような生き方をすべきかについて考察します。

 

新約聖書 使徒言行録 三章十五節〜二十六節(参照)
(十五節)あなた方は、神が死者たちの中から復活させられた、命の創始者を殺した。我らはその事の証人です。
(十六節)そして、あなた方が見て知っている方への御名の信仰によって、その名は強固になりました。彼(主イエス)による信仰が、あなた方全員の前で、彼に完全な健全さを与えたのです。
(十七節)ところで、兄弟たち、あなた方が、あなた方の指導者たちと同じように無知のうちに行ったことを我は知っている。
(十八節)神はすべての預言者たちの口をとおして予め告げられたキリストが受けるべき苦難を、このように実現されました。
(十九節)だから、あなた方の罪が赦されるように、悔い改めて、立ち返りなさい。
(二十節)そして、主の御前から休息の時が訪れ、主が予めあなた方に約束されたイエス・キリストを遣わされるであろう。
(二十一節)神の聖なる預言者たちの口から語られた時代から、この方は、すべてのことが回復される時まで天に受け入れられることになっています。
(二十二節)モーセは父祖たちに言った。『あなた方の主なる神はあなた方の兄弟たちの中から、あなた方のために我のような預言者を立てられる。彼があなた方に語ることすべてに聞き従いなさい。
(二十三節)この預言者に聞き従わない者は皆、民の中から根絶させられよう。』
(二十四節)そして、サムエルから続くすべての預言者たち、語った多くの者たちも、これらの日々について告げたのだ。
(二十五節)あなた方は預言者たちの子孫であり、神があなた方の父祖に与えられた契約の子等です。神はアブラハムに言われた。『お前の子孫によって、地上のすべての民は祝福を受けるであろう。』
(二十六節)まず神は御子イエスを復活させ、あなた方を祝福するために遣わされました。それはあなた方各々を悪から離れさせるためでした。』

 

上記は、主イエスが公生涯を終えて天の国に帰られた後、使徒ペトロが伝道活動を行っている中で、対して説教を行った場面の記述です。四つの福音書を読めば理解出来ることですが、主イエスは三十歳を過ぎてから洗礼者ヨハネから洗礼を受けられ、旧約聖書のモーセ五書に書かれたモーセの律法の一部(割礼、動物の犠牲、司法律法、祭司律法、食物規定等)を廃止、または更新されて、それ以外の律法は世の終わりまで一点一画も消えることはないと(マタイ五章十七節~十八節参照)仰り、律法遵守することの重要性を主の元に集う人々に教えられました。上記十七節で、使徒ペトロは、彼の元に集った人々に「兄弟たち」と呼び掛け、主イエスと強盗バラバの裁きの場において、何の罪(神の律法違犯)も犯していないのに、民衆が指導者(為政者)たちと同様に聖書について無知であったために、主イエスを拒み、バラバを釈放するように要求してしまった事について、使徒たちは知っていると言って聴衆たちを叱責しています。十八節では、罪なき子羊である主イエスが様々な苦難に会われ、あらゆる人々に蔑まれ、罵られ、唾を吐かれたり、鞭で打たれた挙句、公開処刑されることも創造主なる神が定められていたことを旧約時代の預言者たちをとおして予告され、それが実現したとペトロは説いています。善のみを行い、罪(神の律法違犯)を犯したことのない人間は誰一人いないので(コヘレト七章二十節参照)、十九節にあるように、主の教えに立ち返り、悔い改めて改心し、二度と律法違犯をしない生き方をすることをペトロは推奨しています。「悔い改め」については洗礼者ヨハネも宣べ伝えており(マタイ三章二節、マルコ一章四節、ルカ三章八節参照)、主イエスも「悔い改めなければ皆、滅びる。」(ルカ十三章三節、五節参照)と重ねて仰っていることからキリスト者にとって必要不可欠な行いであることが分かります。二十節については、新共同訳聖書では、「主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。」と翻訳されておりますが、TR底本から翻訳するなら「主が予めあなた方に約束されたイエス・キリストを遣わされるであろう。」とするのが正しいと考えます。二十節〜二十一節の記述は、主イエスが再臨されることについてペトロは伝えようとしていた事が窺えます。二十三節〜二十五節では、モーセ、アブラハム、サムエルという旧約時代の預言者たちの名前を挙げて、預言者たちや主イエスの言葉に聞き従う者は神の祝福を受けることが出来るが、主イエスに聞き従わない者は全員、神によって滅ぼされるとペトロは伝えています。二十六節にあるように、悪人たちで溢れかえっている都会から一刻も離れ、キリスト者として正しい生き方をして参りましょう。

 

新約聖書 ぺトロの手紙二 一章十六節〜二十一節 (参照)
(十六節)我らは巧みに練られた作り話に従ったのではなく、主イエス・キリストの力と再臨を知らせるために来たのです。我らは主の偉大さを目撃したのです。
(十七節)神である御父から栄光と誉れを受け、その威厳ある栄光による声が彼にこう告げられた。「これは我が子愛する子である。我が心に適う者である。」
(十八節)そしてこの声は天から来たもので、我らが彼と共に聖なる山にいた時に聞いたのです。
(十九節)こうして、我らは預言の言葉をより確かなものとします。あなた方は、それを暗い場所で輝く灯し火のように、夜が明けて明けの明星があなた方の心に昇る日まで、それ(預言の言葉)によく注意していなさい。
(二十節)はじめに知っておいて欲しいのは、聖書に書かれたいかなる預言も自分勝手に解釈すべきではないということです。
(二十一節)預言は人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊の導きにより神の人々が語ったものだからです。

 

次は使徒ペトロが書き送った書簡について考察します。

十六節の「巧みに練られた作り話」という記述が個人的には気になりました。手前は信仰生活を始める前は、読書が人生を豊かにすると考え、主に文庫本の小説を購入して通退勤の電車の中で読むことを日常としてました。しかし、聖書を初めて読み終えた時(※一回目に読んだ時は、創世記から黙示録までを順に読んだのではなく、気になったものから読んだので、初めて「通読」したのは二回目でした。)、意味がほとんど理解出来ず、もう一度読むべきであると感じたことを覚えてます。世にあるすべての小説や漫画、ノンフィクションと呼ばれる事実や実際の出来事に基づく作品を含め、人間が作った作品には、多かれ少なかれ「嘘」が混ざっているものです。それに対して市販聖書には悪意ある改竄や欠落等があるものの、他の書物や学校の教科書には書かれいない、本当の人類史、この世は天蓋に覆われた平面で、太陽も月も天蓋の内側にあるという事実、的中率十割の預言、人としての正しい生き方等が書かれていることに朧げながら気付くことが出来たのだと思います。今ではこれが神のお招きだったのだと確信しています。それ以降、聖書以外の書物には関心がなくなり、歴史や法律等について学ぶ際の参考資料として目をとおすことはありますが、あくまで参考資料に過ぎないため、斜め読みで充分だと思うようになりました。十七節〜十八節では、書簡筆者のペトロとヤコブ、ヨハネの三人が主イエスに連れられて山に登られ、神の声を聞いた際の光景について伝えています(マタイ十七章一節〜十三節、マルコ九章二節〜十三節、ルカ九章二十八節〜三十六節参照)。十九節は、暗い場所すなわち、もう直ぐ到来する暗黒時代(大艱難)に備えて預言の言葉をしっかりと勉強し、注意しておきなさいという使徒ペトロの慈愛ある忠告です。二十節の「いかなる預言も自分勝手に解釈すべきではない」という教えも非常に重要な教えだと思います。恥ずかしいことですが、手前は何度も「神のイスラエル教会」への入試に失敗しています。その原因は、世俗の試験と同じように考え「完璧ではなくても合格させて貰えるのでは」と甘い考えを抱いたり、自己点検を怠ったり、この聖句にあるように「預言の言葉を自分勝手に私的解釈してしまった」ことに起因してると思うのです。読者のあなたも教会試験に挑もうと考えておられると思います。その際には手前と同じ間違いを犯さぬようにお気を付けください。二十一節では、預言は聖霊の導きによって書かれたものであると述べられており、聖書預言の信憑性の高さが強調されています。最後にミカエル氏の言葉を引用させていただきます。

 

読者各位もペトロの姿勢を学び、泥臭くても結構であり、失敗しても腐らず、諦めず、きちんとしたキリスト者になるための努力を怠るべきではない。諦めた時点で人生終了やからや。なお、諦めへんという点は、往生際が悪いのと勘違いせんといて欲しい。改善に向けて必死に良い努力を続けて、成長し、実を結ばな、意味が無いからや。

(引用元:真の聖書福音と預言「洗礼者ヨハネとキリストの再臨前のエリヤ」 

二、洗礼者ヨハネをどう見るかでその人の立場が分かる)

 

 

四、結びに

今回は「使徒ペトロの言葉から学ぶこと」と題し、憲法改正⇨日本滅亡の危機が目前まで迫っていること、新世界秩序につながる技術官僚主義が着々と進んでいることをお伝えしました。聖書未読の人々にとって科学技術は利便性を向上する有難いものであり、その弊害を考えようともしない人が多数派でしょう。科学未来(SF)小説家であったアーサー・C・クラークという人が「クラークの三原則」と呼ばれる未来に関する法則のようなものを書き残しました。その三項目が「十分に高度な科学技術は、魔法と区別できない。」というものであり、支配層の手下である科学者たちは、AIを発展させて一人でも多くの庶民を欺き、悪魔と地獄への道連れにしようとしています。

あんた方の間に、自分の息子や娘に火の中を通らせる者、占い師、予言者、魔法使い、呪術師、呪文で魅了する者、口寄せ、霊媒者、降霊術者が見出されてはならない。これらのことを行う者はすべて、主にとって嫌悪やからや。これらの嫌悪の故に、あんたの神、主はその者らをあんた方の前から追い出されるであろう。」(申命記十八章十節〜十二節、ミカエル氏訳)とあるように、神の嫌悪される行いをしてはいけません。

聖書は万物を創造された神の御意志が反映された唯一無二の書であり、主の終末預言は必ず実現します。十二使徒の筆頭格であったペトロも聖書の預言は確かであると述べており、彼の残した言葉も真のキリスト者になることを目指す我々にとってはとても有益です。使徒ペトロの言葉から、彼の信仰の姿勢を学び、霊的な成長を目指し、主イエスの聖なる教えに立ち返り、神の律法、掟、戒めを覚え込み、日々悔い改めて新生し、自律した真のキリスト者になることを目指して歩んで参りましょう。

 

(引用元:真の聖書福音と預言「聖書の終末預言 一」)

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。