理解って、何?…
理を解するってことは、たくさんのケースで必要なことだと思う。
たとえば数学の方程式を解くことであったり、、
英文を読解したり、小説の内容を把握したりなど。
刑事が事件の謎を解き、解決に導くときなど。。
たくさんの人が自分の仕事や勉強、専門分野であると理解を積み重ねていくけど、、
人間関係となると、どうしてそんなに難しくなるんだろう、、
むしろどうして、自分自身でそんなに難しくするんだろう。。
たとえば職場でよくいる上司、怒りっぽくてぶっきらぼうな上司、エラそうだしイヤだし大嫌いっ…
って理解しないまま、片づけてしまえば楽だけど、、
ちょっとずつでも理解しようと思ったら、不器用なりに部下を守ろうとしたり思いやりの気持ちを持とうとするいいとこも見えてくる。
それとか、わがままで気分屋で独り善がりな恋人、面倒くさいし相手してやるだけ時間の無駄、こんなやつ付き合ってるメリットなんかない…
なんて理解しないまま、突き放してしまえば楽だけど、、
なぜそうなのか、ほんとはこっちに訴えかけたいことがあるんじゃないのか、求めていることがあるんじゃないだろうか、、
と考えて向き合えば、歩み寄れたり、そのときの笑顔が可愛いかったり、一緒にいて心地良いなど思い、今よりもちょっとだけ、幸せになれる。
僕は介護の現場でしょっちゅうお爺ちゃんお婆ちゃんと向き合って、時には対応が大変な人もいるけれど、、
理解する意識で向き合えば、その人のほんとうの気持ちが、求めていることが、少しずつでもわからないことはない。
抑えつけたり、支配することは、誰にだってできるし、それが全てだと言うのは誰にだってできるけど、、
理解して理解し合って関係を深めることが、強さじゃないだろうか。
ある人は言っていた、、
理解、それは愛だって。。
愛に限りなんてない、自分の思う限界なんてない。
自分でいつも勝手に限界をつくって思い込んでいるだけ。
愛はどこにだって生まれる、価値観の違う者同士の間でも、、
国境を越えて、国外の外国人との間でも、、
自分とは生きてきた世界、住む世界が違ってた異性とでも、、
人間と怪獣の間でも。。
それを伝えてくれて、どんな人とでも向き合う勇気をくれて、素晴らしい可能性を伝えてくれて、ありがとう、、
人間と怪獣との共存という大きな夢を持つウルトラマンXこと、大空大地さん♡w