人は一人では生きてはいけない、仲間と家族とみんなで協力し合うからこそ生きていける、幸せになれる…
…とあらゆる人は言うけれど、、
たった一人でも、誰にもできないことを成せる可能性が力があるんじゃないだろうか。。
確かに一人で生きていくことは無理かもしれない。
だからこそ助け合い、一緒に支え合っていく相手が必要なんだと思う。
たとえその対象が、たった一人だとしても、、
あらゆる人間を敵にまわしたとしても、、
そのたった一人が、大きな希望に、大きな支えになる。
ある人は言っていた、、それを、ほんとうの仲間というって。
「たとえ世界の全てを敵にまわしたとしても、たった一人のために戦う、それが仲間ってもんだ」って。
僕は自分の実体験の中でも、最近のあるニュースの中でも、その言葉に深く臨場感を感じた。
先日、9月28日に遺体が見つかり、同じ高校の男子生徒に殺害されたある女子生徒のことがよくニュースで報道されているけど、、
彼女にはほんとうに信頼し合える仲間、心から本気で向き合ってくれる人間は、一人でもいたのだろうか。
殺害される前日まで、恋人と仲良く楽しそうに過ごしていたとは言われているけど、、
殺害した男子生徒は彼女の親友でもあり、本人に頼まれてやったことだと供述しているけれども…
それでも、彼女に対して本気で向き合ったり、本気で理解しようとしたり、本気で力になろうとしたり、、
心から本気で愛してくれた人が一人でもいたのだろうか、悲しいけれど、もしかしたらいなかったのかもしれない。
既に今は亡きその彼女と、僕は一度も会ったことも話したこともあるわけではないけれど、、
多かれ少なかれ、似たような価値観の女性と、交際していた時期があった。
その子の口癖は「死にたい」で、いつもリストカットをしたり、不安定になって叫び出したり、、
時に、意識が不安定のまま家で包丁を持ちだそうとしたことがあった。
そうしてまで、僕が助けてくれるか、向き合ってくれか、そばにいてくれるか、自分を必要としてくれるかを、、
何度も何度も試してきた。。
僕は逆に「そんなに死にたいなら一緒に死のうか?」と言うと、、
それに対してその子は、僕には死なないでと言ってきた。
その子がどんなに自殺願望をとなえても、もちろん殺したくもなければ、見捨てたくもなかった。
たとえどんなに理不尽な目にあったとしても。。
あるときその子から電話がきて、浮気相手のことで僕にわざわざ相談してきた。
母親からも友達からも、交際してきたあらゆる男たちからも、本気で向き合ってもらえず、、
ほんとうの自分を観てもらえず、本気で自分のことを理解しようとすらしてもらえず、、
電話越しに、首吊り自殺をしようとしていた。
声のトーンも弱っていた、、生命力が薄らいでいたように。
僕がここで本気でその子と向き合わなければ、自分のことを度外視してでも手を差し伸べなければ、、
死ぬかもしれない、そう思った。
一時間、本気で向き合い話した末、その子は明るい声で「じゃあね」と言って、死ぬのをやめてくれた。
僕は思った、人は誰かがいることで本気になれる。
愛する人がいることで、本気になれる。
愛してくれる人がいることで、生きる希望になる。
たった一人だけでも。。
そしてその命は、成長し変化し、昨日までの自分を越えていき、未来へと受け継がれていく。
ある物語の主人公は言っていた、、
「命のサイクルは止まらない、未来に受け継がれていくのが、永遠の命だ」って。
どんなジャンルの映画やストーリーの中にも、純粋な主人公がいて、純粋なヒロインがいて、、
多かれ少なかれ、純愛がある。
なぜかというと、たった一人に秘められた可能性の大きさ、愛の深さ、命の尊さ、生きることの楽しさや素晴らしさを少しずつでも、、
たくさんの人に伝えるためなんだと思う。
だから、、たった一人でも、誰かの力に希望に生きがいになれる。
本気になることは、決して面倒くさいことでもかったるいことでもない。
自分の存在価値や人の存在価値を、命の価値をどこまでも高められることだと思う。
そしてその価値を知るきっかけは、人それぞれあらゆる出会いやあらゆる形が、見いだしてくれるはず。
個人的なことを言えば、ある物語との出会いが、主人公との出会いが、原点となり、その価値を未だに伝え続けてくれてるような気がする。
そうだよね、、、
仮面ライダーディケイドの門矢士こと、、井上正大さん☆