9月15日、雨のち曇り | 熊猿の仲 ~ゆうえんのなか~

熊猿の仲 ~ゆうえんのなか~

モンチッチのようなヨメが、ツキノワグマのようなダンさまとのゆる~りとした日常を綴ります。
果たして熊と猿は仲がいいのか悪いのか…。
今日も中年夫婦はとことんマイペースに暮らします。

何事にも、向き不向きがある。
何かを始めようとする時に適正を見極めるのは、様々な面において有効ではないだろうか。

それが仕事となれば、ますます重要性を帯びてくる。
好きだから・興味があるからなんて動機は、天職を見つける助けにはならない。
小さい頃から足繁く美術館に通っていた子に、絵描きの才能があるとは限らない。
日本の伝統的建造物に恋い焦がれている青年が、宮大工になれるとは限らない。
壊滅的にセンスがなかったり、手先が不器用だったりしたら、その世界で活躍するのはなかなか難しいだろう。

向いていないことが分かれば、どんどんやる気がなくなり、労働意欲が低下し、やがて仕事自体辞めてしまうかもしれない。
せっかく望んだ職業なのに、嫌いになって離れるなんてとても残念。
悲しい結果を迎える前に、適正について考えてみてもいいんじゃないかな。

最近思うことがある。
あたし、探偵に向いてるんじゃないかって。
なぜって、素質がありそうなんだもの。
では、探偵になる要素として何が必要か。
何より、話を引き出す力だと思う。
依頼者の気持ち、対象者の嘘、関係者の何気ないひとこと…
信頼を得て、警戒心を解き、思わずポロリと言葉を漏らしてしまうような状況を作り出す。
これこそが最も重要なんじゃないか。

接客業に就いていたから、とんでもない数のお客様の話を聞くことができたこと。
暇さえあれば穴が開くほど誰かを見つめて、コト細かに人間観察をしてきたこと。
新宿二丁目を拠点に遊んでいたため、様々なタイプの人種にふれ合ってきたこと。
複合的に要因が絡まり、驚くほどの情報と経験を得ることができた。
結果、知らず知らずの内にディープな相談を受けたり、ここだけの話的な秘密を打ち明けられたりすることになった。

はっきり言って、自ら相手の懐に入っていったことはない。
なのにどうして、あんなにも人々はあたしを求めてきたのか。
自己分析してみるに、ポイントは2つ。
①聞くのが得意
周りが話したがりばかりなので聞き手人生を送ってきた→適当なタイミングで合いの手を入れる習慣がついているので、話し手がどんどんノッてきてしまうらしい
②クチが固い
些細な悪口や噂話ですらも外に漏らすことは決してない→そもそも他人に興味がないので、わざわざ誰かに言い付けたりしないし、そこまでの熱量はない

勝手にみんなが喋ってくれて、事件が解決して、金になる。
もう、やるしかない!って感じ。

定年してから探偵始めたりしたら、すごく格好良い。
刺激でボケてる暇なんてなさそうだし、歩き回ったりして体力もつきそう。

ババァ探偵事務所
どうかしら?