出張先で事故に巻き込まれ帰国できなくなった弟と、出産後に感染症にかかり入院を余儀なくされたその妻。
認知症の母を世話する父には頼めない。
義妹の両親は頼めるような関係性にない。
回り回って、突如やってきた大きすぎる役割。
これまでのように、好き勝手なペースで生きることは出来ない。
人との関わりを避けてきたのに、誰かの助けナシには何ひとつ動けない。
些細な変化に驚いたり、他人の親切に感動したり。
ひとりだけの生活では知り得なかった、様々な感情に出会うことになる。
たった数ヶ月のこと、産まれたばかりの姪っ子の記憶に残ることはないだろう。
それでも小さな命と一緒に過ごした日々は、確実に男の中の何かを目覚めさせた。

誰にでも人生を振り返った時に、ターニングポイントになるような出来事がある。
たとえそれが、些細なモノでも。
高校2年生の約1年間を、おばあちゃんとふたりきりで暮らした。
きっかけは、3世代同居に向けての家の建て直し。
通勤・通学の事情で一定期間、父・母・弟とあたし・おばあちゃんの2組に分かれて生活することになった。
大正生まれのおばあちゃんはとにかく働き者で、常に何かをしているような人。
いわゆる知恵袋的な存在で、あたしにはすごく面白い毎日だった。
年の差55才の同居は、不思議な刺激に溢れていた。
今あたしは、サバイバル力を身に付けようとしている。
自分の能力を引き上げて、極力電気に頼らないようにしたいと思っている。
食べ物で免疫力をアップさせる、電化製品を徐々にスリムダウンさせるetc…
手本になるのは、何をおいても昔の人。
ふとした瞬間に頭に浮かぶのは、おばあちゃんから聞いたアレコレだったりする。
おばあちゃんのぬか漬けの美味しさは、今でもはっきりと覚えている。
あの逞しさと力強さと優しさは、確実にあたしの中の何かを目覚めさせた。
将来、あたしが森に移住するようなことになったりでもしたら、それはある意味おばあちゃんのせい。