テツになる勇気。 -3ページ目

テツになる勇気。

テツってのはね、乗ってりゃいいってモンじゃない。撮ってりゃイイってもんでもない。スジって一人でニヤけていたら通報寸前w。
そう、テツってのは、語ってナンボなのよ(マジかっ

3月のライオン、ついに完結、です。終わっちゃいました。

 

最終話は桐山君が高校2年になった新学期の話と、短編読み切りの「ファイター」で幕閉じ。

 

両方とも、最後はホッとできる、良い話です。でも、新学期の話も良いけど、やっぱり見どころは「ファイター」ですかね。エンディングのテーマソングにもなった位、この物語が何を目的としているのかをはっきり示している神回!です。

 

小さいころから友達もいない、孤立した桐山君がやっと掴んだ「きっぷ」は将棋の対戦者カード。このカードを持つことで、自分の前に必ず誰かが座ってくれる。優しい人、悪態をつく人、目の前に座る人の性格はそれぞれ異なるけど、兎に角みんな、座ってくれる。そして将棋を指してくれる。この切符を手放したら、もう自分には居場所も座る場所もない。だから絶対に、この切符は手放せない、という、思い込みの激しい桐山君ですが、そこで最後に登場するのがやっぱりアイツ、二階堂!

 

要所要所でオイシイところをかっさらっていきます、この御仁。桐山君が、自分の居場所を求め続けた孤独の過去を思い出しているとき、そんなのにお構いなく「桐山、早く座れ」と、急くように自分の隣のざぶとんをバンバンと叩く二階堂君。結構このシーン大好きです。

 

3月のライオンには多くの棋士が登場しますが、そのどれも実在の棋士には寄せず、架空のキャラクターとして作られているそうです。が、裏設定では二階堂君だけは別。若手棋士として多くの期待を集めながら29歳で病によりこの世を去った村山聖棋士とのこと。病弱なところもぽっちゃりな体格も全て似せているようです。

 

昔、「月下の棋士」という、こちらはもうめちゃくちゃ硬派な将棋漫画(漫画というより劇画)があって、そこでも村山聖棋士をベースとしたキャラクターは登場していました。そこでもやはり、病弱な面が前面に出ていて見ているこっちがハラハラしてくるのですが、3月のライオンでは、安心して読むことができます。

 

なぜなら、作者さんが言うに、「二階堂君は、村山聖棋士がもし生きて元気に将棋をしていたらどうだっただろうか?」を体現したキャラクターなんだそう。なので、確かに二階堂君、病弱だし不死の病にかかっているようだけど、楽しそうに桐山君に絡んできて、そのスタンスは今後も変わらないでしょう。花岡さん、しっかり縁の下の支え役、お願いしましたぞっw

 

で、最終話に二階堂君が名場面をもっていったのはヨシとして、一応最終話らしく最後は沢山の棋士の顔が出てきます。(いや正確には原作の「ファイター」でもそのシーンがあるので、最終話だからそういう場面を足したわけではないですが)しかしまあ、そこに出てくる棋士達。ちょい待てアニメじゃまだ出てないのも一杯いるよねwハッチも山崎順慶も、後藤だってほとんど出てないし宗谷名人だって、まあ出ているといえば出てるけど、まだ新人戦前だから桐山君とも絡んでないし。桐山君に歩み寄ってニッコリ笑うなんてまだ想像できないよね。などと思いながら、最終話の余韻を浸ったり。

 

最終話のエンディングは、やっぱり「ファイター」そして最終話オリジナルの映像。ここはやっぱりシャフトです。この会社、サービス精神旺盛すぎっ。アニメのオープニングやエンディングって、全話通じて同じ動画が普通なのに、以前の「物語」シリーズなんか登場する女の子のキャラクター別に主題歌作って動画まで変えてた。だから、2,3話で曲が違ったりするw

しかも、曲のテンポもキャラクターごとに全然違うから、作画も大変だっただろうなと思います。

 

最終話はなんだかんだで美人三姉妹は一度も出てこない。しかも、2クール目のエンディングはやっぱり三姉妹抜きなので、最後の最後位は出しておかないと、という思いもあったんかもしれませんね。で、エンディング終わったらやっぱりキター!10月から続編公開決定!そりゃそうだよ、ここで終わったら「ライオン」じゃない。今までも名場面一杯あったけど、やっぱり新人戦とか柳原棋匠の防衛戦とか(これはホントに見なきゃダメ!)、ケーキ丸飲みの名人戦とか、キワッキワまで行っちまった土橋九段と宗谷名人の対局に、極めつけは雷堂棋竜の鹿児島でのタイトル防衛、「ここが漢の関ヶ原~!」。どれもはっきりいって見逃せない!

 

次のクールでどこまでやってくれるんかなぁ。できたら雷堂棋竜のタイトル防衛まではやってほしいなぁ。3姉妹に関係するトラブルがいろいろ解決してきて、すっきりし出す頃だしね。途中で終わっちゃったらちょっと悲惨すぎる、、

 

となこな考えながら、とりあえず次を待ちましょー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月から、アニメがスタートしました。

 

私としては、ひいきにしている(イミフ)シャフトさんの新作アニメということで、仕方なく見始めた(なら見るなw)わけですが、見始めてハマってしまっている自分がいますww

 

3月のライオンは、羽海野チカさんの同名漫画が原作。前作が「はちみつとクローバー」というと、ドラマ化とかもされたみたいだし、知っている人も多いかもしれませんね。ちなみに「ハチクロ」は私見てませんw

 

シャフトさんの新作が将棋漫画と聞いて正直不安も大きく、キャラクターの設定(プロ棋士が主人公)を見てもホントにこれで万人が感情移入できるんかよと疑心暗鬼ではありました。

 

実際見てみるとこれがまた。おもしろい。

 

プロ棋士という観点でみると、プロ棋士を単に勝負師としてでも特異な集団と異常に誇張するわけでもなく、等身大の人間として描かれていること、その上で、普通のサラリーマン人生でも起こりえるような出世(昇級)や降格(降級)に喜び苦しんでいる棋士の姿を時におもしろく、時に重厚に描いている点が、作者のストーリー立てのうまさを感じます。

 

主人公は悲壮な、でも誰にもでも起こりそうな過去を持っていて、それでも自暴自棄になるわけでもなく、さりとて上手く世の中に溶け込んで行っているわけでもなく、ただひたすら将棋を追いつづけてきた少年。

 

面白くて原作も買いそろえてしまいましたが(まだ連載中のため、最新刊まで)、その中にいじめ問題も出てきました。いじめが起きている学級で、いじめを受けている生徒が担任の先生にそのことを伝えるのですが、先生はまさかの「いじめられている側が悪い」的なつれない返答。しかし、読み進めてみるとなぜ先生がこういう対応をしたのか、考えさせられる描写も出てきたりして、しっかり人物設計というものをしているなというのが率直な感想です。

 

プロ棋士の主人公が、ひょんなことから親のいない美人3姉妹の家に頻繁に出入りするようになるという、どうみてもブッとんだストーリー展開をここまで共感を持てる仕上がりに仕立てた作者はすごいですね。感心しました。

 

最後にみどころをもうひとつ。オープニング。

 

主人公の男の子の心情がよく表れた名作のオープニングと感じます。さすがシャフト。

深夜アニメのオープニングなんてだいたい、登場キャラクターをとりあえず全部出して明日に向かって走らせて最後は決めポーズさせる、でだいたい終わるんですけど、この作品は主人公の男の子しか出てきません。

手に届かないところで宝石が光る暗闇を歩き続けるシーンは、「よくこんな場面を想像できるな」と観賞しきり。さすがシャフトさんと感心の一途です。

宣伝になりそうな美人3姉妹も、一切出てきません。スポンサーの顔色をうかがう必要のないNHKだからこそ出来る芸当なのかもしれませんけどね。

 

作品のテーマは、人が何かを取り戻していく物語だそう。

物語の最初は悲壮感しかなかった主人公ですが、最新の12巻ではボケとツッコミを両方こなす面白いキャラクターに変化しつつあります。加えてプロ棋士会という、サラリーマンとちょっと似ていて異なる世界の新鮮味も楽しめるこの作品。ぜひご覧になってはどうでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と考えてしまう原因は何でなのでしょう?

廃墟、つまり荒廃した人為的構造物であれば、お化けがいないと許されない、いや、いるべきだ、居るに決まった。



散歩中、立体駐車場の廃墟を見つけました。
いい感じにゴミが積もっています。



なぜ廃墟を見ると、怖いもの見たさという感情が湧いてでるのか、理詰めで考えてしまうとなかなかいい理由が見当たりません。

廃墟=人の手が入らなくなった空間、と捉えるとどうだろうか。人の手が入らなくなったということは、言い換えるとある時までは人の手が入っていて、ある時から入らなくなったということと言えるでしょうね。

実際人の手が入っていれば、どんなにボロだろうが錆びていようが、廃墟のようであろうと、圧倒的に廃墟ではないと言える。

廃墟と廃墟でないものの違いは、人工物に対する最近の手入れの有無によって決まるということ?

これを廃墟と定義した時、人の手が入らなくなるとなぜお化けがでるのだろう?手入れをして貰えなくなった「もの」が、人間を恨んで具現化したものがお化け?つくも神みたいなもんか?お化けってそんなに領域狭かったっけ?

と、言うわけで今日は


メトロ車両をゲット。

秋空に映える廃墟と電車を写真に収めて、ひたすら屁理屈の秋を堪能してみました。
秋ですからね。多少の戯れは許されるでしょう。